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魔女との出会いと「自立」の話

はじめに

こんにちは。株式会社ジザイラボの江畑です。アカツキの”元”社員です。
現在は自分の会社から、アカツキの皆さんの支援をしております。
そんな、もうアカツキでも人事でもない江畑が、アカツキの人事アドベントカレンダーで書けることってなんだろう?と逡巡していたのですが、普段自分が大事にしていることをアカツキの価値観に照らし合わせてお話することにしました。
テーマは「自立」です。

アカツキでは組織の価値観のひとつとして「信頼と自立」を掲げています。

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皆さんは「自立」と聞くとどんなイメージでしょうか。
これは江畑なりに「自立」の一側面をこう解釈すると、無理せず捉えられ、日々が楽しくなるのではないかなあ(そうだといいなあ)というお話を、謎の魔女と会った思い出話と共にお送りします。

「サヨナラ」だけが人生だ

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

唐代の詩人、于武陵の漢詩「勧酒」の日本訳です。
最後の一文だけ引用されることも多いので、聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
私はこの詩が書いてある小さな紙切れを、魔女から貰いました。

魔女との出会いと別れ

2007年10月。魔女は、私の教育担当でした。
数ヶ月前にブリスベンの羊飼いだった私が、日本に帰国して初めて担った業務は、操作を間違えると平気で数百・数千万円の売上が吹っ飛ぶという運用でした。怖すぎる。

毎週火曜日、13時きっかりにシステムのボタンを押すところから、その鬼のような重責の運用は始まります。
そして背後には、黒く長いワンレングス・真っ赤な口紅・細身で長身・黒皮のタイトブーツを履いた魔女が、採点ボードを持ち、足を組んで黙って座っている。怖すぎる。

マニュアルはあるものの、大量で複雑なの商品とシステム知識を駆使し、的確かつ俊敏に判断していかなければ、次の工程に間に合わないという運用。(なんの仕事だと思われるかもしれないが本筋から逸れるので割愛させていただく)

後ろから魔女の視線をヒリヒリと感じる。怖い。

概ね2時間程度で運用を終わらせ、後ろを振り向くと
「悪くないが、遅いわね。」と言われて反省会に突入。
そんな社会人復帰の毎日でした。


魔女は毎日早く帰ります。
魔女は派遣さんだったのです。
「あんたたち、本当に仕事が好きね。私には無理だわ。ご愁傷様。」
だいたい毎日そんな悪態を嬉しそうについて帰っていきます。

魔女は好き嫌いがはっきりしていて、調香とフィギアスケート、そして旅が好きでした。
私が魔女に教育されて約1年後、私と先輩社員たちがひーひー言いながらピークを乗り切るのを見守ったあと、通訳の国家資格をとり、魔女はさっさと会社を辞めてしましました。

彼女の最終出社日に手渡された紙切れに、夕焼けか何かの写真と一緒に印字されていたのが先の詩でした。
わずか5㎝四方程度のその紙切れは、私がその会社を辞める10年後まで、捨てずに持っていました。

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“それもまた同じように素晴らしいことだ”

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に沿うためにこの世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に沿うためにこの世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ

ドイツの精神学者フレデリック・S・パールズによる「ゲシュタルトの祈り」です。
これもまた詩なのですが、私が大切にしたいことと、そして「自立」するためのオススメのエッセンスが3つ入っているので紹介させてください。

(やっと自立の話ですが1日目小能さんの「「湾フグ釣り」に夢中になった体験から感じる、人事の成長としてたいせつな3つのこと」よりはマシなはずです)

その1

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に沿うためにこの世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に沿うためにこの世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。

自分は自分。他人は他人。ですね。そりゃそうなのですが、それがなかなか難しいことでもあります。

期待に応えたい。
よく思われたい。
こうなって欲しい。
こうはならないで欲しい。

人間関係が近ければ近いほど、自分と他人との境界線が曖昧になり、むくむくと何かしらの感情が生まれてくるような気がします。
(この辺りは12日目の坪谷さんの「イライラは成長のサイン」で書かれている事にも通じるものがありますね)

この詩の作者が創った「ゲシュタルト療法」という心理療法があります。
この療法で日本の第一人者の方がされているセラピーを、見学させてもらうという貴重な体験をしたのですが、その中で、自分と他者の間に「手で境界線をひく動作」をさせることがありました。
ゲシュタルト療法は理論より体験を大切にしているので、もしご自身のむくむくが現れたら、ちょっと試してみるのもいいかもしれません。

その2

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

そうですよね。
”ひとりの個”として他者と敬いあい、その上でつながることが、なお素晴らしいのです。

その3

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ

一般的な訳は最後が「それも仕方のないことだ」で終わるのですが、私はこちらの「それもまた素晴らしいことだ」の訳の方が断然好きです。
この「出会える/出会えない」は、心が通ったか否かのことだと解釈しています。

そうか、同じように素晴らしいのか。それでもよかったのか。と救われた気持ちになることもあります。
そして今まで自分の後ろ道にバタバタと倒れている人間関係のシカバネみたいなものが成仏していくような感じも。
よかったよかった。これから行く先々でも、きっと気の合う人も合わない人もいるでしょう。同じように人類として愛せるなら、それでもよかったんだと思えます。


一見「自立」というと、その1だけが浮かんできますが、2・3があってこそ、真に「私は私。あなたはあなた。」が成立していると思います。

順番でもあるし、どちらも同じことでもある。といったところでしょうか。

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最後に魔女にあった日のこと

魔女の退職後に、一度だけ2人で会ったことがあります。
働いてばかりいる私を心配して、飲みに誘ってくれました。
その日、彼女は仕事場の時と違って色々な話を私にしてくれました。

元々の家族にあまり恵まれなかったこと、貧しかったこと、若くして上京し夜の街でお金をためたこと、自分の道は自分で切り開いてきたこと。今はとても楽しいこと。

あまり自分を大切にしていないような生活をしている若かった私に、本来ならば説教のひとつでもしたいところを、お酒をゆっくり飲みながら、私の下手な相槌を肴に自分自身の話をたくさんしてくれました。ただそれだけの時間でしたが、改めて人をあたたかく包むような人だと思ったのを覚えています。

思えば、彼女はいつも周りを気遣っていました。
時に突き放し、時に手を差し伸べていました。
そして彼女は誰にも過度な期待をせず、自分の価値観をとても大切にしていました。

当時一緒に働いていた私たちが、彼女の手助けができていたか、同じように頼れるような存在になれていたかは自信がありません。
ですが、「コノサカズキヲ受ケテクレ」から始まるあの詩に思いをはせると、私たちと「出会い」そして別れたことは、祝福してくれているんだろうな(少なくとも)と少しほっとした思いがします。

それから魔女とは一度も連絡をとっていません。とれていません。
周りに聞いても音信不通で、彼女のことだから海外にでも行って帰ってこないのだろうという話でした。

おわりに

勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離

「勧酒」は五言絶句の漢詩です。五言絶句は五言で一句として、起・承・転・結の四句を並べて構成します。

四句目の原文は「人生足別離(人生別離足ル)」。
そのまま直訳すれば「人生に別れはつきものだ」となりますが、後ろには「だからこそ今この時を」という意が入ります。
それを”「サヨナラ」だけが人生だ”と訳したのが「山椒魚」で知られる井伏鱒二でした。

“「サヨナラ」だけ”とは、どういうことだろう。と、よく貰った紙切れを眺めていましたが、「サヨナラ」の中に「初めまして」も「どうぞよろしく」も「好き」も「嫌い」も、「出会った」も「出会わなかった」も入っているんだなと最近は思えるようになりました。それでも、体感まで至るのは、できたりできなかったり。難しいものです。

今はもう詩が描かれた紙切れは手元にありませんが、そんな「自立」のかけらを掴んで人と出会って(別れて)いけたらいいなと思っています。

ということで、アカツキの外の人であり、アカツキと出会った人である江畑の、魔女との出会いと「自立」の話でした。

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この記事は、『アカツキ人事が思いのままに書く Advent Calendar 2021』 の 20日目の記事です。前回は22卒総合職内定者である浜里さん の「アカツキのこんなところに惚れました」でした。

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