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子どもは自分(親)の作品でも、功績でも、ない。(主に自分のための備忘録)

絵本で子育て、自分育て。
多くの方にお読みいただければ嬉しいです◎

さて、どギツめのタイトル設定。笑

これは、誰に対して言いたいとかではなく、
他でもない自分自身が、肝に銘じておかねばと思っていることです。

いつも、ぼや〜っと考えているだけなので、
休暇中の時間のあるときに、
備忘録として、文章に残しておきたいと思います。
…と言いながら、公開するまでかなり日数を要してしまった。。

*****

子どもは親の作品でも功績でもない

・親の育て方次第で子どもは天才になる
・子どもを○○大へ進学させた母親の何とかメソッド

みたいな本とか記事とかを最近ますますよく見る気がします。

私は、
そりゃ子どもには天才になってほしいし、
今の子どもたちが大人になる頃に、どれだけ学歴が有用かは不明にしても、
学歴も、あるに越したことはないだろう。と思っています。
そうなると、お勉強も出来ていてほしい。

できることなら、
どうやったらそんなすごい子たちが育つの??
どんな子育てしたの????
…とまわりに聞かれるような、「すごい子たちの親」になりたいような、気もしています。

…ああ、邪念。不純。だらけの私の心の中。笑

この邪念はなかなか手強くて、
全然自分の中から消えそうにないのですが(汗)

そこでいつも思うこと。
例えば本の通りに子育てして、その結果すごくうまく(親の望む通りに)いったとしても、
それは子どもの人生。
どんな選択も、結果も、子ども自身のもの。

親は、20年くらい、ちょっと隣を一緒に走っているだけ。

だから、すごい子が育っても、
それを親の功績だと思うのは、ちょっとおこがましい、かな。

あ、でも。
もっとあかんと思うのは、
「育て方間違えた」「子育て失敗した
とか言う、親。

本人は反省の意を込めて言ってるんだろうけど、
それ、自分の子どもを全否定してるってわかってる???
私、失敗作なん?ってなるやん。
…と、学生の頃から思っている私です。
子どもは親の所有物でも、作品でも、ない。
失敗したなんて、人格のある子どもに対して本当に失礼。
たとえそれを本人の前で言っていないとしても。

そして、我が子がもう大人になってても、
育て方間違えたと思うなら、
今からでも子どもを叩き直したらいいやん!!
と思うのです。

…あ〜20年後、私、同じこと、言えるかな。できるかな。
(我が子、今4歳・2歳…)
でも、まず、やれることを一生懸命やりたいな。

話が逸れましたが、
子どもの凄さを親の功績にしてしまったら、
子ども本人の頑張りはどこへ行ったんだ???
…となる。
親が環境を整えたにせよ、サポートしたにせよ、
最終的に頑張って結果を出したのは、子ども。
やっぱり子どもが主役。親は伴走者。と思います。

すごい子が育ったと本を書いている方たちも、
結果そうなったというだけで、
育てているそのときは、目の前の子どもと一生懸命向き合って、ただ一生懸命子育てしてたんじゃないかなあ。

まわりがその子育てを褒め称えるのは良いけど、
何より子ども本人たちが頑張ったからこそ、今その子たちが立派になっていることは見逃すまい、と思います。

*****

絵本の読み方とも関連して考えた。
親、そんなに前に出やんでいい。

絵本の読み方でも、
あんまり声色を変えないでいいよとか、
あれこれ質問しなくていいよとか、
そういうポイントみたいなのを言われたりしますが、

それって結局
お母さん、(もしくは、お父さんやその他ご家族)
そんなに前に出やんでいいよ!
っていうことかなと、思ったりしています。

大好きな家族の隣(もしくは膝の上)で、
大好きな家族の声で、絵本を読んでもらう。
それだけで子どもにとっては結構心あたたかな時間が過ごせるはずだから、

もう、それ以上、読み手の個性を出さなくていい。
もう十分なの。

って感じかな。と最近思っています。

普段の生活でも、親が前に出過ぎない方がいいだろうと思うことは多々。
子ども同士のちょっとした小競り合い、とか。
(まあそう言って、私の口、出ること出ること。笑)

私の母なんかは、めちゃくちゃお喋りさんなので、
私の小さい頃〜高校生くらいまで、
担任の先生やお医者さん等に、
「お母さん、今ね、本人さんに聞いてますよ」
と穏やかに諭され、口を噤むこと、ちらほら?多数?あったなあ。笑

私が結婚して、子どもを産んで、今の家に引っ越してくるとき、
(母とは同居じゃないのに)母、私よりも一生懸命ご近所さんに挨拶して回っていて、
「お母さん、住むの私やねんけど?ご近所さん、お母さんがここに住むのかと思うやん!」
と私が言うと、ほんまやな!と笑って、そこからはちょっと控えめになったり。

今思うと、母の前に出過ぎているエピソード(笑)は、
それだけで1記事書けるくらいたくさんあるのだけど、
それでも、私と弟2人合わせたよりも個性強そうな我が母が、
・子どもの意思はしっかりと尊重してくれたこと
・姉弟をあまり比べないでいてくれたこと
には、感謝。

…あれ?こんなにちょけた話(ちょけた、は関西弁?ふざけた?おどけた?が標準語かな?)を書くつもりじゃなかったのに。

とにかく、母は、親は、あまり前に出過ぎてはいけない。
ただし親自身のキャラクターが強すぎる場合はもう仕方ないので笑、
子ども自身の意思をしっかり尊重できる親であること。

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子どもに夢を託すのは悪か!?

・子どもに○○に育ってほしい!!
・子どもに自分の出来なかった夢を託す

みたいなのもあると思います。

私だったら
・子どもに絵本好き→読書好きに育ってほしい
・自分が運動神経悪かったので、運動のできるカッコイイ少年たちになってほしい
とか。

私の母からの依頼(?)は
・D大学の合格証書、もらってほしい
です。笑

この母の依頼めいたものは、
遡ること云十年、母が志望していたD大学に不合格となったところから始まり、
その後、娘である私、息子である私の弟も続けてD大不合格だったので、
「悔しいな〜!!!あんたに子どもが出来たら、受けさせてよ!笑 あ、行かんでもいいねんで!笑(合格だけして蹴ってもいいという意味)」
という親子3代での、リベンジ・チャレンジ☆です。笑

私は、親が子どもに夢を託したり、○○になってほしいと希望を持つのは、
別に悪いことではないんじゃないかと思っています。

ただ、託された夢を、
子どもがまず受け取るのか、
受け取ったとして、それが叶えられなくても、託した方は笑って納得できるのか。

託すってことは、完全に相手に渡してしまうということ。
自分の手からは完全に放してしまうということ。
だから、そこから子どもがどう選択しようと、どんな結果を出そうと、
それにつべこべ言ってはいけないかな、と思っています。

我が母の、D大学合格!の話は、
受かっても、受からなくても、そもそも受けたくない!と突っぱねられても、
多分後々、我が家の楽しい話題になるだろうと思っています。

我が子たちの学歴云々は全く別として、
母の悲願達成なるのか、今からちょっと気になりつつ、
楽しみにしているところです。

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またまた思いついたままに、つらつら書いたなあ〜私。

車の運転中に、
子どもは自分の作品でも功績でもない。
っていうフレーズが、久しぶりに頭に浮かんだもので。きっとスラスラ書けると思ったのに。
びっくりするほどいい文章が書けそうなイメージがあったのに。

あ〜難しかったし時間もかかった。
(しかも、その割に、我が家のしょーもないエピソードが散見されるだけの文章。笑)

頭の中に浮かんでいるものを書き留めたりするっていうのは、
素粒子でいうところの、波を粒にするような作業だと
量子力学コーチの高橋宏和さんが言っていた。
(素粒子は原子よりもっともっとちっちゃい単位。波でもあり粒でもあるものらしい)

↑これは夢を叶えるというテーマでお話されていたことだけど、
夢や目標じゃなくても、頭の中の波を粒として、頭の外に出す。
その作業に、なんというか、充実感があります。(疲労感も。泣)

まだつかみきれていない粒がたくさん。

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お読みいただきありがとうございました。
小さな幸せがあふれる毎日でありますように◎

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