自叙伝風小説31トレード挫折編

「お先です!お疲れ様でした!」
倉田はいつもの編集部から定時になってすぐに荷物をまとめて声をかけた。
するとそんな彼を編集長が引き止めた。
「おお、休む前は大丈夫かって心配してたけど、だいぶ元気そうだな」
「・・・まぁ、いつまでも塞ぎ込んでいられませんしね」
倉田は苦く笑いながら今はいない例の先輩の席をチラリと見やった。
その態度に思うところはあったようで、編集長も同じような顔を浮かべながら曖昧に頷いた。
「どうだ?今日は久しぶりに飲みでも行かないか?」
「すみません、今日はもう予定があるので!」
そういいながら倉田は会話もそこそこに切り上げ、編集部から出て行った。
今日は待ちに待ったアカヤギの取材日。申し訳ないが他の誰よりも優先したいと思えるのだ。はやる気持ちを表すかのように駆け足でビルを後にすると、そこに見知った女の顔があり、倉田も流石に止まってしまった。
「あ、斎藤さん」
倉田の表情は以前彼女とよく会っていた頃と比べても明るいものではなかった。
それは、自分のミスで少なからず迷惑をかけただろうし、何より頼りない、恥ずかしい姿を見せてしまったという彼自身の感情にあるだろう。それに以前は週に二回も会っていたのに例の事件があってからはその回数はゼロに変わっていて、なんとなく距離をとっていたのだ。
だが、ここにきて不意打ちのように会ってしまうと倉田はどう話しかけて良いものかと戸惑ってしまう。いっそのこと先程と同じように予定があるからと逃げても良いのだが、如何せん目の前にいるし自分は立ち止まってしまった。
それに、彼自身もこのまま何も言わずにいるというのは本能的に認められなかったらしい。
「倉田さん、お元気そうで何よりです」
だがそんな迷いを知ってかしらずか口火を切ったのは斎藤だった。
以前と変わらない可愛らしい笑みを浮かべながら本心で喜んでいる姿に倉田も思わず見入ってしまう。
そして、変に取り繕うこともなく、素直な言葉が出てきたのだった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。・・・おかげさまで、今はもう前を向いています」
それは自分一人の力ではなかったが。その言葉は吐き出さずに伝えると、斎藤はまたも嬉しそうに頷く。
「それはよかったです!また倉田さんの記事が読めることを楽しみにしてますね?」
花が咲いたように笑みを浮かべる彼女はチラッと倉田の出てきたビルを見てから、一歩倉田に近づいた。
その距離とふわりと香る甘い匂いに心臓を速くさせながらも、倉田は下がらなかった。
その様子を見て軽く首を傾げながら、斎藤はそっと自身の口元に手をやり、声を顰めた。
「・・・以前お話ししたこと、覚えていらっしゃいますか?」
倉田も軽い話ではなかった、と心臓を抑えつつ頷く。
「ええ。でも、それは励ましのようなものでは・・・?」
「まさか。一時の励ましで会社を巻き込むようなことは私も言いませんよ」
倉田の言葉は額面通りではあるのだが、それ以上に確認の意味も込められていた。
あの事件があった後、結局真相はわからないがともかく倉田は前を向き直した。そして現に仕事にも復帰をしている。なればこそ会社を移籍するという話はなかったことになるのではないか。そう思って彼は口にしたのだ。
だがその疑念に反して彼女は即答で首を振る。それどころか疑われていて少し悲しそうですらあった。
「私個人だけでなく、編集長も含めてこの意見には賛成なんです。きっと倉田さんにも、私たちにも。今いる会社自体にもメリットがあることだと思いますから」
「今いる会社にも、ですか?」
何も倉田はプロのアスリートというわけではないのだ。会社の移籍といっても今いる会社を辞職し、その後彼女の会社へと再就職するという流れだ。今彼がいる会社にとっては純粋に一人の損失であるはずだ。そう思いながら聞くと、彼女はクスッと笑うだけ。
その笑顔にどこか悪い人の感情も見えて倉田は戸惑ってしまう。
そしてその真意を聞くことができぬまま、会話もおざなりになって気がつけばミステリオに座っているのだった。

「・・・なるほどね」
「はい、あれは、どういう意味だったんでしょうか」
倉田は取材を始める前にアイスブレイクとして雑談をしてくれているアカヤギに、ここぞとばかりに先程のことを聞いてみた。実際に見ていなくても彼であればなんでも見抜けてしまうと思ってのことだ。
そして、それは間違いではないことを知る。
「・・・まぁ、確かにね。デメリットも大きいとは思うけど、そこまでは気にできていない・・・いや、気にしていないんだろうね」
そこまで言うとアカヤギはクスッと笑った。
「よかったね、倉田くんは思ってるより評価されているし、大切に思われているんじゃないかな」
「どう言う意味ですか?」
「確かに、君がいなくなることのデメリットはあるけど、正直例の事件は状況証拠だけど先輩の仕業ってことでしょう?もしその過程で言うなら、その先輩は君に恨みがある、もしくは君を蹴落とす必要があるってことだよ」
何が言いたいのかわからず倉田は先を促すように頷きながら目を見た。
「その人の感情や考えはともかく、君を意識しているってことだ。君がもし移籍すればその分の仕事も先輩に行くかもしれないし、少なくとも君を意識する必要はなくなる。君と一緒にこのまま働かせていたらまた何をするかわからないし、そうなれば会社としてもいつか不利益を被らなきゃいけないかもしれないでしょ?」
「なるほど・・・でも、あの時彼女に感じたのはもうちょっと黒い感情だった気がするんです」
倉田としても話していて気持ちの良いことではない。何せ想い人の陰口のようなものをぶつけているのだから。
だが、それに関してもアカヤギはいつも通り笑うだけだった。
「ふふ、その子は君より強かなんだよきっと。今欲しいもの、必要ないもの、をきちんと切り分けて考えているんだと思う」
そこまで行って倉田の変わらない表情に察したアカヤギは一度咳払いをしてから話し続けた。
「つまりね、その子の目的は君を手に入れることだ。それは優秀なライターとしてなのか、惹かれているから一緒に働きたい、なのかはわからないけどね?そして、今君が所属している会社はどうでもいい、と思ったんだろう。きっと君にあんなことをする先輩もいるしそれを防ぐこともできない会社だって思ったんじゃないかな?・・・君は事実だけ見ても優秀なライターになったんだよ。実際各社の選抜されたメンバーに選ばれて記事を書いているわけでしょう?同僚を蹴落とすような人間よりは優れているんだ。少なくともその先輩を差し置いて君が滑り込んだんだから、そう評価する人間がいた。その人間を失うことはその会社にとってデメリットでしょう?・・・でも、その子の言い分は違う。「優秀な人間を守れないのであれば貰います。どうぞ残った人間で頑張ってください」って。極端に言うとそう言う感情だったんじゃないかな」
その言葉に恥ずかしく思いながらも倉田は確かにその説明では納得できる、とあの時の斎藤の表情を思い出していた。
ありがたいことだ、と自分の中で決着をつけようとしていると、アカヤギはそうだ、と声を変えた。
「結局、君はどうするの?まだ悩み中?」
「・・・そう、ですね。移籍自体はしても良いのかなって思っているんです。先輩が例の事件をしたのかはさておき、その疑念があるなかで続けようと思えなくて」
でも、と倉田はまた自嘲するように苦く笑った。
「言ってしまえば斎藤さんがいたからこの話が出たわけで・・・多分彼女と仲良くなっていなかったら出てこない話だったたのかなって思うと、運だけでそこにすがってもいいのかなと思ってしまって」
「・・・なるほどね」
アカヤギは否定するでも肯定するでもなくただ頷いた。
「運も実力のうち、っていつかも話した気がするけど・・・それも含めて君が引き寄せたことだから頼ってみてもいいんじゃない?」
「でも、自分だけの力でというか、人に頼らないとダメって先輩とか周りに思われるのも癪ですし・・・」
「それこそ、今更でしょう。君の人気の記事、あれは誰かに取材して書くものでしょう?最初から一人じゃなくて色んな人に協力してもらって書くのが君の仕事じゃなかった?」
「・・・確かに」
「それにね、誰かと出会って影響されるとか、いいきっかけになるってごく当たり前で、とても大切なことだと思うよ?人間は一人で生きているわけじゃないんだから」
その強い言葉に背中を押されつつ、倉田はアカヤギの妙な説得力に引かれてついいつもの取材の顔になってしまう。
「その言い方、アカヤギさんも誰かに影響されたことが?」
今までの取材の中でも人との出会いで色々刺激を受けているのは分かっていたが、自分のように決定的なことは全部自分でなんとかしていた気がするのだ。良いきっかけや出会い、というイメージよりは自分の努力や才能で成功させてきたイメージがあった。
「うん、僕ももちろんたくさんあるよ?それに、今日の話もそこが大きいんだって言おうと思ってた」
そう言われると倉田は自分の悩みよりも話に興味が出てしまい、ついいつものシステム手帳を取り出してしまう。
そんな彼の行動を見てアカヤギは何も言わず静かに語り始めた。
そうして、いつもと変わらない取材が始まるのだった。
「・・・リーマンショックで大金を失ってしまって、正直トレーダーとして続ける自信がなくなっていたんだ」
「・・・あ、でも・・・友人の方から裏切られたりとかもあったわけですよね?アカヤギさんのせいではない気が」
今更過去の話にフォローしても仕方ないとは分かっていつつも倉田は言わざるを得なかった。だがアカヤギは静かに首を振る。
「もちろん、それもあるけど。・・・多分、それだけだったらまた稼げばいいし人を見る目を意識すれば良いって思っていたと思うんだよ。でも、リーマンショックとはいえお金を一気に失ったのは僕の責任だからね。トレーダーとしての自信にはこっちの方が痛かった」
今ではもう気にしていないのだろう、彼は教えるような口調で人差し指を立てる。
「不思議なものでね、自信と能力って反比例するってスポーツ界では言われてるんだよ。僕も、それにはほぼほぼ同意する」
「そうなんですか?自分がもし世界一だったら自信を持ってプレーできると思うんですけど」
「んー・・・もしかしたら世界一だったらそうなのかもね。実際、反比例じゃなくてS字だって言う人もいる。要は、はじめたての頃は根拠のない自信に満ち溢れていて、でも実力がついてくると周りで勝てない人間もはっきり見えてきてどんどん自信がなくなっていくんだ。・・・S字って言うのは、そこを乗り越えてトッププロになればまた自信が出てくるって言う感じだねそれに、トレードは相対的なものって言うこともあるんだ。他の市場参加者のレベルが上がればいくら自分が上達しても相対的に見たら負け組に転落してしまう可能性が上がる」
「・・・なるほど」
その意見には倉田も概ね合意ができた。
実際、始めたてのころは何か大きなことをする、と漠然すぎる気持ちの元自信を持って活動できていた。だが、少しでも記事を書くようになれば周りとのレベルの差を痛感することとなったし、今斎藤のいる会社での雑誌に携わるようになってからはいつ落とされるのかと怯えていたものだ。
「あと、トレーダーとして無理かもなぁって思っていたのにはもう一つ理由があって。・・・この頃から自動売買が盛んになっていたんだ」
「自動売買、ですか?」
「うん。その名の通りなんだけど、株価がいくらになったら売ります、とか事前に決めた条件に従って売買してくれるんだよ。株価に張り付いて自分で操作しなくても良いってことだね。そのプログラムを組んで売買する人がどんどん増えてきて、そこでも自信がなくなったんだ・・・対人としてすら差が詰まってきてるのに、コンピュータ相手にも戦わないといけないって言う時代がきたんだなって思うと、デイトレーダーとしては長くは続かないんだろうなって思わざるを得なかったんだよ」
「・・・まぁ、人とコンピュータが戦うのはほとんどの面で難しい、ですよね」
最近でもどんどん仕事がロボットになっていくという話を耳にする機会は多くなってきている。それに、今ですら当時と比べればかなり人間ではないものが増えていると言っても良いだろう。技術は日進月歩というわけだ。
「自信も失っているし、別にこの先成功できるという確信もない。なんだかモヤモヤとした閉塞感のあった毎日で考えてね。一回失敗したけど稼げるっていうことは確信していたブラックジャックにもう一度挑戦しようと思ったんだ」
アカヤギは過去を振り返るために少しだけお酒を口にすると、また過去について語り始めてくれた。

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