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SDGsに思うこと

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。
今回のテーマは「#SDGsとの向き合い方」です。

「#SDGs」か、、また難儀なテーマだなぁ。誰が決めたのか。。

・・・うーん。普段はふざけている僕だが、やはりSDGsはふざけれないんだなぁ。真面目に考えたくなる。
ということで、個人的に疑問に思っていることを書いていこうと思う。コメントは開いているので、知識がある方はどんどん書いていってほしい。

そもそもSDGsとは

SDGsとは「Sustainable Development Goals」の頭文字(と最後の複数形)からなる単語だが、日本語に訳すと「持続可能な開発目標」となる。17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っている(外務省HPより)。

17のゴールは貧困や教育などの人道的なものから、水資源や気候変動などの環境を配慮するものなど多岐にわたる。具体的には下記の通り。

内閣府HPより

僕の友人にもいるが、たまに「SDGsは大切なものなのか?興味ないんだが。」という人がいる。
まぁ興味がないというものは仕方がないのだが、とても大切な取り組みではあるので、今回は個人的な思想でそのあたりを話していこうと思う。

SDGsを雑に扱ってはならない

SDGsの基本的な考え方は「未来の人類が困窮しないための仕組みづくり」である。

環境問題などはわかりやすいが、今の経済活動は地球資源を消費して成り立っており、このまま無策で続ければいずれ立ち行かなくなる。これに対して「興味がない」というのはあまりに無責任である。その無責任というのはなにかというと、「あなたは恵まれた時代を享受しているということを認識していない」という言葉に尽きる。

教育や飢餓問題も同様で、あなたは「享受した側の人間である」ということを忘れてはならない。ジェンダー問題もあなたが男性であればわかりやすい。「女性にこれ以上ゲタを履かせるな」という論を男性から聞いたことがあるが、「ゲタを脱いでから言え」となる。分野によっては逆もしかり。自分が優遇を受けていたと分かったとき、そのツケを未来の人間に委ねてはならないと思っているが、いかがだろうか。

環境問題については、庶民が工夫してどうにかなるものではないと理解している

とはいえとはいえ、個人的に疑問に思っていることもある。それは「ひとりひとりの努力で解決しよう」という考え方だ。これは特に地球温暖化や水資源枯渇への取り組みでよく挙げられる。

僕の理解では「もう個人レベルの努力ではどうにもならないくらい深刻になってきたので、国家間を跨いでマジで進めていこう」というのがSDGsという取り組みである。「エアコンをこまめに切る」とか「手洗いのときに水を出しっぱなしにしない」程度の活動は、電気代や水道代を節約するという意味で個人がやればいい話であって、SDGsの一環としてやる話ではないのではないだろうか。

気候変動による震災や水資源・鉱物資源の枯渇はこの先マジで問題になると思っていて、SDGsの歌なんかでオキラクに構えているのではなく、二酸化炭素の回収技術や砂漠地帯でも収穫できる穀物の研究、レアメタルを用いない素子の開発など、そういったものに多額の資金投入するべきなのではと感じている。

そのへんの知識がある方は、どう思っているんですかね。

僕ができること

まぁ、そうしたときに僕ができることはなんなのか。それは「SDGsを意識した上で、キチンと働いて納税をし、自分の判断で政治家を選んで投票し、自分の判断で企業を選ぶ」といったことではないだろうか。

先程は「個人の努力などあまり意味がない」のようなことを書いたが、それでも気にせずやればいいのである。世の中には「やらないよりはマシ」という言葉がある。便利な言葉だ。そうなのかもしれない。

ただ、僕が伝えたかったのは「やらないよりマシ」という言葉で思考停止して、あまり意味のないことを一生懸命やってはいまいか、やった気になっていないだろうかということである。

環境問題に対して「ムダだなー、効率悪いなー」と思う活動はあるが、人権や思想に関わるものは、確かに一人一人の小さな意識の積み重ねが大事なのかもしれない。


まぁ、そんなことを考えました。これで最後です。
皆さんいかがでしょうー


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