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自己中心性と他者理解

加藤諦三先生の
『「めんどくさい人」の心理』
を読んでいます。

加藤諦三先生はよく、怒りを露わにしたり、人を攻撃する人の心理には、その人の生育歴から来る寂しさや不安があると解いていらっしゃいますが、この本は、そうした人たちが、現実に人間関係でトラブルを起こしてしまう事例と、どうしたらトラブルを起こさずに健全な人間関係を結ぶことができるようになるかというノウハウが書かれています。

私はこれまで、怒りを表す人のターゲットになったり、集団の中でも攻撃的な人に絡まれたりすることが多くありました。

攻撃的ではなくても、相談したことに対してマイナスなことばかり言われて自信を無くしてしまうということもありました。

実はそういう対象になること自体、私の中に、攻撃してくる相手と似たような不安や苛立ちがあり、そこを見抜かれてターゲットに選ばれてしまうのだそうです。

そして被害に遭うと、強くあらねばと思うあまり、相手への怒りを他の人にぶつけたり(自分では気づいていないけど、攻撃的な言い方になっている)、話せる人に、怒りの感情を込めて愚痴を言ったりして解消してきました。
そのことがさらに不健全な解消法だったということに気づきました。

健全な関係なら、嫌なことをされたら、ハッキリと嫌だと言えます。
関わりたくなければすぐに離れれば良いのです。
けれど不健全な関係でも、不安でしがみついてしまうからこそ、怒りが溜まり、結局関係のない人にその怒りをぶつけるしかなくなってしまうのです。

そこには、「私を見ていて!私をかまって!」という幼少期に満たされなかった要望があります。
どんなに人に尽くしているようでも、人に尽くしている『私』を評価してほしいという動機が潜んでいるのです。

言われてみれば、思い当たることが多々あります。
あるところにボランティアに行っていたとき、だんだんと不満が溜まってきました。
あくまでボランティアのはずなのに、かなり時間と労力を割いているわりには、やっている目的がわからなくなってしまったからです。
これはまさに、自己中心的な考え方でした。

仕事なら
報酬・対価がある。
ノルマなどのわかりやすい到達点がある。
成果に対して、社内評価があったり、昇進や昇給がある。
結局、その仕事がクライアント(顧客や依頼者)の本当の役に立っているのか、ということがわかりにくいために、社内で評価して社員のモチベーションを保つ仕組みになっているのでしょう。

そうした目に見える反応が無いと働くことに意味を見出せないということ自体、現代人の自己中心性を表しているのかもしれませんが、ボランティアなどの、成果が見えない『仕事』をしたときに、その心理は顕著に表れてきます。

ただ、ボランティア団体そのものが、その団体や主催者の自己中心性を表す活動だったりすることもあるので、その理念を信じて良いかどうかの判断は難しいところですが。

他者のことはともかく、私はそういう点で、かなり自分を中心に行動していることが多いと感じました。

これまで『自分軸』を大切にしようと意識してきたため、余計に我の強い行動に拍車がかかっていた気がします。

自分軸の無い人は、自分の『好み』や『気の向くこと』が自分軸だと勘違いしやすいのですが、それは快楽に流されて、適当に生きることにも繋がり、余計に自分を見えなくしてしまいます。

自分軸とは、自分のこれまで経験してきたことや好きなことを通して、他人のために力を貸す意識を持つことなんだと思います。
この『他人のために力を貸す』ということを、『相手の言いなりになる』という風に勘違いしてしまう。
そこに問題があるわけで、自分本位で生きて良いというわけではありません。

人は、人との関係性の中でしか生きられない。
けれど、自己中心的な人がたくさんいるこの世の中で、本当に共存していきたい人と、自分を利用する人の区別をつけるためには、自分には何があるのかをしっかり見極めておく必要がある。
それが、『自分軸を持つ』ということなのでしょう。

ずるい人に利用されることにも、自分が他者を利用することにも、警戒しないといけない。

「こっちを見て!」と言って、振り向いてくれる親がいなくても、自分自身がしっかりと自分を見てやっている。
ときに褒め、
ときに諭し、
ときに叱咤激励する。
そんな風に生きることが『自分軸で生きる』ということなのでしょう。

この本は、そういうことを気づかせてくれました。


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