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映画『月』に物申す!

先月、『福田村事件』という映画を観に行きました。関東大震災で、朝鮮人が日本人を襲うというデマが流布し、朝鮮人に警戒するよう内閣からの通達まで出され、千葉県の福田村で朝鮮人と間違われた香川の行商人が村人に虐殺されてしまうという、実際の事件を描いた映画です。
この映画を元に、差別ということについて他の人と語り合う機会をもつこともできました。

ちょうど『福田村事件』が上映されている時に、予告をやっていたのが、『月』という映画です。
神奈川県で起きた障害者施設襲撃事件をモチーフにした映画。
小説が原作ということもあって、あの事件について丹念に取材された映画なのだろうなという期待がありました。
また、福田村事件よりも、誰もが知っている事件のために、差別について考えるには良いキッカケになるだろうと思ったのです。

結果、一言でいうと、「ガッカリでした」
いや、ガッカリどころか、腹立たしくなりました。
ただただあの事件の恐ろしさや不可解さを再体験させて、観客を怖がらせようというB級ホラー映画的なお粗末さを感じて、「金返せ!」と言いたくなるくらいの不満が残りました。

以下ネタバレです。

そもそも登場する職員が初めから曰く付き。
卑屈な精神を抱えている人ばかり。
健全に福祉で働きたいと思った人がいない。
映画の前段階では思っていたのかもしれないけれど、そこに至るまでの心境の変化など一つも描かれていないので、最初から仕方なくその職に就いたものの、面白くないから声を上げられない入所者をいじめることで発散している。
事情はそれぞれ違うけど、人生に不満と不安のある職員しか登場しないのです。

しかも、入所者の姿はワンカットワンカット、問題に感じるシーンでしか映し出されず、観ている人に嫌悪感や憎悪を呼び起こさせます。
私の好きな『バリバラ』でお見かけする方も登場していたのに、映画の中ではおそらく異様さを醸し出すように演技指導されたのでしょう。
まるで動物のような動き。
バリバラで聡明に語っていらした彼女の姿はどこにもなく、本当に悲しく感じました。

ほぼ全てが、主人公と、その夫と、親しくなった職員たちの、『異常な生活』を描くことに終始し、初めから狂っていたのに、さらに狂って事件を起こすというところに終着します。

結局事件が起こって、主人公が「私にも何かできるはず」と現場に駆けつけようとするシーンで終わる。

その前に自分の生活もままならず、同僚の職員の問題行動や問題発言を見て見ぬふりをしていた主人公に、今更何ができるというのか?
あの凄惨な現場に駆けつけて、卒倒して終わるのがオチだと思う。

人間はそんなに強くないし、一人では何もできない。過去の傷がそう簡単に癒せるはずはない。そういうテーマを淡々と描いてきたはずなのに、主人公が突然一念発起して解決に乗り出す、って無理があり過ぎませんか?
その結末も描かず、観客の想像に委ねる。
あまりにも杜撰ではないですか?

SNSでも、ひろゆきさんをはじめ、著名人がこの映画の感想を語っていましたが、取り扱った題材が、史上類を見ない残酷な事件だったために、映画を見終わったあとの後味の悪さを、自分の中の差別意識に向き合わざるをえなくなったから、という意見が多いです。

しかし、違うと思う。

あんな描き方をすれば、誰でも陰鬱な気持ちになります。そういう作り方、撮り方が意図的に成されているからです。

この映画こそ、差別を煽るような作りになっている。
しかしそれを意識させないために、観た人の罪悪感に働きかけ、後味の悪さを観客の自己責任にするという、何重にも罪深い映画だと、私は思います。

さて、言いたいことは、一回では書ききれない。
続きは後日……

とにかくakbalは、この映画の作り方に怒っています。

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