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スピードスケートを観に行った話

 2018年2月、私は平昌冬季オリンピックに熱狂していた。
 丁度その頃は写真に関係する人間関係が全くと言っていい程上手く行っておらず、人間関係にばかり振り回され、写真に対する意欲を失いかけてしまっていた。現実逃避するかのように、テレビの中で繰り広げられる熱戦に夢中になった。

 フィギュアスケート、カーリング、スノーボード…色々な競技を観たが、半年後実際に会場にまで足を運んで観ようと思ったのはスピードスケートの全日本選手権だった。
 何故スピードスケートだったのかは、今となってはよく憶えていない。私は姉妹の姉なので、テレビや新聞が報じた高木姉妹のエピソードに感情移入していたのかも知れない。
 メディアが焚きつけた世の中の「空気」に乗っかって振り回されていた部分は大いにある。
 フィギュアは正直に言って、地の果てまでも羽生くんを追いかけて行く勢いのファンの人達が苦手で、深入りしたくないと思った。カーリングはテレビで観ている方が戦況がよくわかりそうだ。スノボは、自分の柄ではない。
 消去法でスピードスケートだったのかなという気もする。会場も長野のエムウェーブ。新幹線に乗ればすぐ着く。日帰り出来る。
 そんなわけでチケットを買い、長野まで観に行くことにした。

 先ずびっくりしたのは、手にしたチケットの値段だった。僅か1000円。
 えっ?こんなんでちゃんと収益出るの?選手達の取り分なんて、先ず無いよね?大会の運営費は?ちゃんと賄えるの?
 余計なお世話だが、色々な心配をしてしまった。

 当日の朝、新幹線に乗って長野へ。長野駅からは路線バスでエムウェーブへ。
 普通こういった大きな試合がある時は最寄りの駅から会場までシャトルバスが運行されるものだが、この時はシャトルバスを運行しないので路線バスでお越し下さいとのことだった。これにもまたびっくりした。
 オリンピックであれだけメダルラッシュがあって、スター選手も軒並み出場する大会なのに、バスめちゃくちゃ混むんじゃ…。また、そんな心配をした。幸い行きのバスはそこまで混んでいなかったが。

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 エムウェーブに到着した。観戦の前にトイレを済ませておこうと思いトイレに行き、またびっくりした。
 私が入った女子トイレはほぼ全て和式だった。とにかく、昔の学校のトイレみたい。その印象は強烈にある。長野冬季五輪を開催した1998年のまま、時間が止まったようなトイレだった。
 これ、外国の人もだけど、パラアスリートの人達とかどうするんだろうな。率直にそう思った。

 建物内のコンコースのようなところでは、申し訳程度の軽食が売られていた。確か焼きそばとか、なんかそういうの…(印象があまり無い)
 買った。冷たかった。美味しくなかった。コンビニに寄ってくればよかった、と思った。
 私が思い出したのはJリーグの「スタジアムグルメ」だった。カシマスタジアムのもつ煮、美味しかったなぁ…。
 埼玉スタジアム最寄りの浦和美園駅からスタジアムまでの道すがらには、色々な出店が出ていた。スタジアム前の広場には色々なキッチンカーや屋台が出ていて…確かケバブとか、タコライスとか、とにかくおしゃれなの…サポーターは皆試合が始まるまで美味しいものを食べながら、ビールを飲みながら、思い思いの時間を過ごしていた。そう記憶している。

 やる気がない。ここまでの一連の流れに私が抱いた強烈な印象はそれだ。
 そして、同時にこんな疑念を抱いた。
 この競技団体のお偉いさん達は、4年に一度オリンピックでメダルさえ獲れればいいと考えているのではないか。オリンピックで結果を出しさえすれば、国の方から交付金なり補助金なりが下りてくる。それをアテにしているのではないか。
 だからチケットも1000円。とにかく、商売してやろうという熱気や気概が全く感じられない。収益なんか上がらなくていい、利益なんか別に出なくていいよ。交付金や補助金で何とかなるから。そういうことなんだろうか。
 だから、会長が国会議員なのかな…国からおカネを引っ張ってきやすいように…そんな邪推もしてしまった。

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 席に着いた。スピードスケート観戦は初めてだったので、どこで観るのがベストなのかがわからない。取り敢えず、コーナーに陣取った。
 これは正解だったと思う。先ず、コーナーを曲がっていく選手達のスピードにびっくりするし、スケートの刃が氷を捉えて削る音までしっかり聴こえる。これには感動した。
 転倒する選手もいる。間近で観ていて怖かった。壁がクッションになっているとは言え、猛スピードで激突するから咄嗟に上手く受け身を取らないと大事故になる。
 選手達は命懸けだ。

 テレビで観ているとスピードスケートというのは全身レーシングスーツで覆われていて選手の顔もよくわからないし、ただ淡々と周回を重ねているだけ…という風に受け取られがちだが、生で観戦するとそんなことはないということが本当によくわかる。これ程テレビと生観戦の違いがまざまざとわかる競技はあんまり無いんじゃないかな、という気もする。
 選手の個性は、滑りを見ているとよくわかる。
 会場に入ってすぐ高木美帆選手のレースが始まったのだが、彼女の滑りは本当に伸びやかに、身体を大きく使っている。「全身バネみたいな」というのはこれのことか、と思うような。体つきには一切の無駄がない。脂肪の存在を感じない、ほぼ筋肉みたいな細身の身体。よくこんな身体でこんな過酷な競技を続けられるな、と驚いた。
 小平奈緒選手の滑りに至っては「美しい」という言葉が真っ先に浮かんだ。それが身体の使い方によるものなのか、或いは他の要素によるものなのか、素人の私にはわからない。ただ、男子・女子を通じて、彼女だけが別格の滑りだった。
 スピードスケートというのはタイムを競う競技だが、小平選手の滑りはタイムを計るという域を超えていた。彼女がスケートをするということ自体がある種の哲学であり、芸術であり、氷の上に立つというそれ自体で誰かを感動させることが出来る。そういう域に達していた。衝撃だった。

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 平昌五輪では女子のメダルラッシュが話題になったが、この日は男子のレースで次々と国内最高記録が更新されるという物凄い展開になっていた。現在の国内男子トップ選手である新浜立也選手や村上右磨選手、山田将也選手らが頭角を現したと記憶している。
 男子のレースはパワーとスピードで押して行く印象があるので、とにかく迫力がある。転倒も男子のレースの方が多かった。なるほど、「氷上のF1」と称されるわけがよくわかった。
 オリンピックではパシュートだ、姉妹の絆だ、チームワークだとそこばかり取り沙汰され、競技自体のことはあまり情報が入ってこなかった。高木美帆選手に対して「お化粧しないんですかぁ?」とか、他の女子選手に対しても「彼氏いますかぁ?」とか、本当に失礼極まりないよなと今となっては思う。アスリートへのリスペクトが感じられない。
 観に行かないとわからないことは、やはりある。
 オリンピックを画面越しに観ているだけでは、競技の本当の面白さはわからない。そのことを知った。

 残念だったのは会場の設備が古く、電光掲示も小さく見辛かったところだ。スピードスケートはタイムを競う競技なので、タイムは見やすく大きく掲示してもらった方が有難い。
 前述のトイレの件にしろ、オリンピックの「レガシー」である筈の競技場が開催された頃のまま、アップデートされずにそのまま使用されていることについてはモヤモヤが残った。長野のレガシーがこれなのだから、東京は一体どうなることやら…と当時は思っていた。
 帰りのバスは思った通りひどいことになった。シャトルバスが無い為、長野駅に戻る観客が少ない本数の路線バスに殺到し、混雑し過ぎて地元の利用客の方に迷惑をかける(満員で地元の人が乗れない)という事態を引き起こしていた。
 今振り返ってみても、この大会は運営に多大な問題があったと思う。プロスポーツでは考えられないし、メダルラッシュがあったオリンピック後の大会なのだから、普段より多くの観客が訪れることは容易に想像出来たと思う。

 アナウンスも淡々としたアナウンスじゃなく、JリーグのスタジアムDJみたいな感じの方が盛り上がるのになぁ…などと色々思うところはあったが、こういった点は翌年のYSアリーナ八戸での大会でかなり劇的に改善されていたそうで(私は行けなかった…)、競技団体など運営側にも熱意を持った、競技の魅力を伝えたいと思っている人達がいるのだと知り嬉しくなった。
 YSアリーナ八戸にはまだ行ったことがなく、写真や映像で見ただけだが、スピードスケートの本場・オランダのヘーレンフェーン(ヘレンベーン)にある「ティアルフ」に似ているという印象を受ける。
 エムウェーブにしろ、十勝オーバルにしろ、YSアリーナにしろ、こういう素晴らしいリンクがあるのだから、それを最大限に生かすような大会運営と施設、設備のアップデートを続けていってほしい。そういった努力をすることで競技そのものが発展するはずだ、と私は考えている。

 そんなわけで、私はスピードスケートファンになった。選手達のインスタをフォローし、シーズンが巡ってくると強化指定選手のリストをチェックし、テレビ中継があると録画してでも観る。毎週末、ネットで大会の結果をチェックする。そういうファンになった。
 最早「オリンピックがあるから」観ているのではない。「スピードスケートがあるから」観ている。
 スピードスケートというのは、絵になぞらえるなら完璧なデッサンを目指してコツコツと、修正を繰り返しながら地道に鉛筆を動かし続けるのに似ていると思う。狂いのない、完璧なデッサン。地味かもしれない。辛いかもしれない。だが、美しい絵を描き上げた時の喜びや達成感は何物にも勝る。
 描き上げたとしても、それは決して「完成」ではない。無限に修正の余地はあるし、追求する余地もある。そこも絵に似ていると思う。だからスピードスケートは現役を長く続ける選手が多いのではないかと思ったりもする。

 東京オリンピックを開催するのか、中止するのかが世界的な議論になっている。
 血の滲むような努力を重ねてきた選手達にとっては、4年に一度の晴れ舞台。何としてでもそこに立たせてあげたい、という声があるのはよくわかる。スピードスケートもオリンピック種目で、オリンピックでのメダルというのは選手にとって大きな目標だ。
 競技の為に、彼ら彼女らは信じられないような努力や厳しい摂生をしている。スピードスケートの選手に関して言えば、お酒やスイーツを楽しめないからか、コーヒーを好む選手が多いなと選手本人のインスタを見ていて感じる。コロナ禍になる前はチームメイト同士スタバでコーヒータイムを楽しむストーリーをよく見かけた。これが貴重な息抜きの時間なんだろうな、と感じた。
 日頃の努力や我慢が全て水泡と帰してしまうのは、あまりにやるせない。だが、こうなってしまった以上問題のそもそもに目を向ける必要があるのではないか、という気もしている。何でもかんでもオリンピック、兎にも角にもオリンピック、何は無くともオリンピック、という仕組みや風潮についてだ。

 文中でも書いたが、オリンピックを画面越しに観ているだけでは、競技の本当の面白さはわからない。
 4年に一度のオリンピック中継、オリンピック特番というのは、ただテレビ局によって「ショーを見せられている」に過ぎない。スピードスケートファンになって、私はそのことに気付いた。あれは「スポーツを観ている」のではない。試合に勝った選手達をスターに仕立て上げ、好きな食べ物は何ですか?恋人いますか?好きな芸能人は誰?そうやって散々持ち上げて、熱が冷めた頃にポイッとする。そういう「ショー」なのだ。
 もうそろそろ「オリンピック」をやめて、「スポーツ」をやらなきゃいけないんじゃないか。観る側も「お祭りに乗っかる」のはもうやめて「スポーツ観戦を楽しむ」方が、本当の意味で楽しいんではないだろうか。
 そんな気がする。
 競技団体も、オリンピックをアテにしない。国から下りてくるお金をアテにしない。野球やサッカー、バスケなどのようにプロ化して自力で稼ぐ努力をちゃんとする。そうしないと、競技の土台は非常に脆いものになってしまう。競技を続けたい選手が続けられなくなるという事態も起こり得ると思う。

 オリンピックでメダルを獲った時だけ大騒ぎされるスピードスケートだが、本場はオランダだ。凍った運河で市民がスケートを楽しんでいたような国だ(近年は温暖化の影響なのか凍結することが減っているようだが)。熱狂的なスピードスケートファンが思い思いの大きな帽子をかぶり、ビールをがぶがぶ飲んで会場で応援する。
 オランダの、超満員のあの空気の中で全ての距離を制したスピードスケーターを、ワールドカップの総合優勝を飾ったスピードスケーターを、大騒ぎして称えてほしい。大谷翔平選手や松山英樹選手を祝福し、称賛するように、あの舞台で結果を出した選手を大いに称えてほしい。私は、いちファンとしてそう願っている。

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