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結婚しない女

 『結婚しない男』という阿部寛主演のドラマが一昔前にあった。

 阿部寛演じる主人公は確か一級建築士で稼ぎも良いのだが、とんだ偏屈者。口癖は「結婚出来ないんじゃなくて、しないんです」。毎晩自宅で趣味のクラシック音楽を爆音で聴くのが楽しみ。
 そんな彼が急な病気(←大したことはない)で受診した病院の女性医師(夏川結衣)と知り合い、ああだこうだ衝突しケンカしながらも交流を深めていく。そこに主人公の隣人女性(国仲涼子)と飼い犬・ケンちゃん(確かパグかフレンチブルドッグ)も絡んできて、微妙で奇妙な三角関係が形成されるという展開だった。

 サブタイトルがいつも「◯◯で悪いか」だった。例えば「犬が嫌いで悪いか」といった具合に(当初は犬が嫌いだったのに結局一度預かったケンちゃんに情が移って行くのが可笑しかった)。

 「◯◯で悪いか」

 男性の側の「結婚しなくて悪いか」「犬が嫌いで悪いか」などという言い分のドラマだったが、今の時代は逆なんじゃないかと思う。
 「嫁に行かなくて悪いか」「子どもを産まなくて悪いか」「子どもが嫌いで悪いか」「料理が苦手で悪いか」「部屋が汚くて悪いか」「オッサンみたいで悪いか」。あげつらったらキリがない。
 今の時代にやるとしたら『結婚しない女』というドラマになっていただろうなと思う。

 私の周囲には「結婚しない女」が多い。無論私もその一人だ。

 文章を読んでおわかりの通り私は日頃から偏屈で屁理屈が多く、薄暗く卑屈で、世界を思いっきり斜めの角度から見ている。多くの男性が女性に対して望む「素直で、明るくて、いつも笑顔で優しく、細かなことにもよく気がつくまめな女性」ではないので「結婚できない女」であるともいえる。
 上等だ。そんな夢みたいで「二次元か」と言いたくなるような理想の妻像を思い描いている男はろくな男じゃない。

 私だって若い頃は人並みに「こんな性格だから彼氏ができない」「自分を変えないと結婚できない」などと悩んだものだった。
 母親からは「相手を変えようとしてもダメ。自分が変わらなきゃ。」と何度も言い聞かされ、死ぬ程苦しんだ。今考えると酒ばかり飲んでタバコの吸い殻を投げつけるようなクズ彼氏の為に何故私が変わらなければならんのだ。
 昭和人間の言うことを真に受けてはいけない。「♪あなた好みの、あなた好みの、女になりたい〜」なんて流行曲があったくらいなのだから。

 笑顔が素敵で性格が明るく優しく、ふんわりしたフェミニンな服が似合い、趣味もおしゃれとかコスメとかお菓子作りとか。将来の夢は「大好きな人と結婚して、素敵な結婚式を挙げること」「かわいい赤ちゃんを産んで、素敵なママになること」。
 そういう絵に描いたような「女らしい」子達は20代のうちに結婚した。やっぱり女らしくないとダメなんだな…と落ち込んだものだったが。
 燃え上がった恋愛の勢いで電撃的に果たされた彼女達の結婚は、破綻してしまったのである。

 理由も事情も人それぞれなのだが、話を聞いたり背景に目を向けたりして思い知ったのは「恋愛と結婚は別」というあの説がある程度的を射ているということだった。
 「世界で一番大好きな人に出会ったから、ずーっと一緒にいたい❤︎」
 そんなあまりに純粋で少女マンガみたいな動機で結婚をすると、結婚生活という現実は破綻してしまうということを知った。
 こういう事例を目の当たりにしたのが私が結婚願望を抱かなくなるに至る第一段階だった。

 30代に入ると周囲に既婚者、子持ちが増えてくる。
 私は30代前半の頃、地元のフリーマーケットなどに参加して作品を展示・販売したりしていた。そこに参加している人達は30〜40代の既婚・子持ちの女性が殆ど。
 初めて顔を合わせると挨拶がわりにこう尋ねられる。

 「ご結婚は?」
 「お子さんは?」

 してないです…。いないです…。と答えつつも、何でだろうと疑問に思った。作品を展示販売しに来ているのに、何で結婚しているか、子どもがいるかどうかを真っ先に訊かれなければいけないのか。

 そのわけはすぐにわかった。答えが「小3の女の子と小1の男の子ですぅ〜」とかいうものだと「ほんとに〜!?うちも上が小3なんですよ〜!ちなみにどこ小?」「◯◯小です〜」「うっそ〜同じ!◯◯先生ってさぁ…」「そうそう!」などという会話が展開され、その人達は「子育てママ派閥」を形成して行くのである。
 やだな。こんな所にいても作品に、制作や展示に集中できないや。数年で地元のハンドメイドコミュニティからは身を引いた。

 実際「作品を作るのが本当に好き」と言うよりは「家計の足しや小遣い稼ぎに」とか「子どもがもう少し成長したらこれで稼ぎたい」とかいう人達の集まりだったように思う。
 田舎、ダメだなあと思ってしまう。いい所であることに違いはない。田んぼに森に、広々とした空。だが、都市部から少し離れた場所の社会は少数派にとってやはり居心地が悪い。

 この界隈にいた頃は気味の悪い光景や現象にも何度か出くわした。

 10年以上前になるが、自宅を改装した雑貨店のイベントに足を運んだ。当時流行りだった白壁に白く塗装した木製の什器、みたいなインテリアの店。
 緑の芝生の庭には『リンネル』に掲載されているような服を示し合わせたように着ている小さな子連れの女性の集団がいた。
 レースやフリルがあしらわれたふんわり白いワンピース、ヒールのないバレエシューズ、生成りのターバン、ゆるふわカールのかかったロングヘア。子ども達もやはり、白やアイボリーの服。オーガニックコットンか何かなのか。
 女性達はシャボン玉を飛ばしてキャッキャキャッキャしていた。
 ゾワッ…。私は悪寒を感じた。え、何で…?全員ああいうファッションで統一しないといけない決まりでもあるの…?何かの宗教団体みたい…怖い…。
 仲良しママコミュニティです!と主張しているようだが、何だか異様だった。お互いを牽制し、監視し合っているように私には見えた。中学生女子の延長線上。
 こういうのを私は「やわらかホラー」と勝手に呼んでいる。

 とあるワークショップに参加した時、主催者の女性の中学時代の部活仲間の女性が参加していた。すると作品を作りながら、参加者のその女性が主催者の女性にこう話しかけたのだ。

 「ね〜◯◯ちゃん、子作りどうする〜?そろそろだと思うんだよね〜」

 ぎょっとした。えっ?それ、旦那さんとあんたで話し合うべきことなんじゃないの?古い友達なのかもしれないけど、中学時代の部活仲間に訊くこと?しかも、私含め他の参加者さんもいるのに。
 主催者の女性もごく当たり前のように「うーんどうしよっかなー」なんて答えている。唖然とした。
 私達の世代の、充実した学生時代を送った人によくいる「地元友最高❤︎部活友最高❤︎永遠だよ❤︎」という事例の一つなのだろうか。地元、部活、同中。幼かった頃のコミュニティにいつまでも閉じている「うちら」という価値観。
 子どもいつ頃作る?あんたには先越されたくないんだよね。そんな牽制込みのようにも見えた。怖い…。

 すると主催者の女性が今度は私に「鴎さん◯◯あたりに住んでるんですよね❤︎私の元カレがその辺の人だったんですよー!」と話しかけてきた。
 は?いやいやいや、元彼の話今ここで、それ程親しいわけでもない私にする?私、その元彼って人知る由もないし…。何と答えたらいいのかわからない。
 困惑していると主催者と、中学の部活友達がその件について会話し始めた。

 「つーか◯◯ちゃんさー、なんであの男と結婚しなかったのー」
「はぁ?あんなクソ男と結婚するわけないじゃん!キャッハハハー!」

 ないわ…。もう、この人と関わるのやめよう…。
 悪い意味で衝撃的であると同時にうんざりした。パッと見綺麗でおしゃれなものを作っていても、人間がこれじゃな。

 何であんなおかしな界隈に足を踏み入れてしまったんだろうな、とは思う。私自身の心に迷いがあり、人生にも迷いまくっている時期だったから、おかしな場所に迷い込んでしまったんだと思う。
 病後で体調に波があり、何事にも自信が持てなかった。加えて東日本大震災からまだ月日も経っておらず、帰宅困難が怖くて東京へ行くのも避けている時期だった。体調の不安と地震の恐怖があり、地元での活動を選んだのが仇になった。
 今関わっている界隈には手芸やものづくりが得意な人が大勢いる。一生懸命作っても作っても儲けは出ない。でも無問題!大好きだから!
 こういうのを本当の意味での「ハンドメイド」と言うんだろうな、と思う。
 地元のハンドメイド界隈にいたあの人達は商売をしたいとか、自分をオシャレで素敵なママに見せたいとか、そういう欲とか見栄の人達だったのだと思う。

 別にフリーマーケットやワークショップに参加せずとも、地元で行動しているだけで「ママ」が如何なるものかに行き当たる。
 小学校の前でママ友や先生の悪口を大声で喋り散らかしてゲタゲタ笑っている母親達。
 夕方のスーパーの駐車場、強引な運転でこちらにぶつける勢いで急ハンドルを切ってくるアルファードやボクシー。運転席を見ると、鬼や般若の形相をした30〜40代の女性。後部座席にはチャイルドシートに乗った子ども。
 「どいてよ!私忙しいのよ!!」
 そうとでも言いたげだ。いや、忙しいのはわかります。でも、ぶつかったらもっと面倒なことになるじゃないですか。後ろに子ども乗せてんのに…安全運転!
 泣きわめく子どもを振り切るように早足で歩きながら「うっせぇんだよ!ついてくんじゃねぇ!」などと怒鳴り散らしている母親をショッピングモールで見かけたことは一度や二度ではない。うちの地元が余程の魔境や魔窟なのか…。

 これが第二段階で、決定的なものだったと言っていいと思う。結婚したくない。母親になりたくない。そういう思いが明確に生まれた。
 結婚して、子どもなんか産んだらああいう人達のコミュニティと関わらなければいけなくなる。大嫌いで自ら見切りをつけた中学の続きをやらなければいけなくなる。そんなの、真っ平御免だ。

 国は少子化対策としてこれくらいお金を配ります、異次元です、なんてことを言っているが「そういう問題じゃないのだよ」とはっきり言える。
 盲点なのがこの「女性同士の人間関係の難しさ、疎ましさ、わずらわしさ」なのではないかと思う。何故なら、私以外にもこういった「ママ同士の人間関係に取り込まれるのが絶対嫌」という理由で結婚をしない人、或いは結婚をしても子どもを持たないと決めている人が周囲に複数いるからだ。子どもがいても「地元のママには絶対深入りしない」という人もいる。

 諸外国がどうなのかはよくわからない。が、母親になりおばさんになっても中学生の女の子のような幼い人間関係が続いてしまう、日本でそんな奇怪な現象が起こる原因は3つあると私は考えている。

 1.学生時代の「同中」「部活」「サークル」といった人間関係が大人になっても延々続く
 2.大抵の場合子どもを地域の決められた学区の学校に通わせなければならず、「地元」という観念と結びつきがあまりに強力過ぎる
 3.親同士のコミュニティに男性が殆ど介入してこない


 男性が子育てコミュニティに介入してこないのは言うまでもなく仕事が忙しすぎてそれどころではないというのが一番で、もう一つは「ガキな男が多い」というところだろう。

 休日のショッピングモールや公園を歩いていると「あー…自分が子供に返って子どもと無邪気に遊ぶことを子育てだと思ってんだろうなあ…」という"パパ"をよく見かける。
 子どもが「ねえ、パパ」と話しかけているのにソシャゲなんだか何なんだか、スマホに夢中で見向きもしない父親もよく見る。
 こういうのが幾ら育休を取ったところで、遊んでばっかりで終わるんだろうな…。

 私はこういうのを「バカ男子を野放しにしたまま大人にしてしまった結果」だと考えている。
 男子というのは一般的に女子よりも幼い。うんこちんちんが大好きで、その話題でいつまでもはしゃぎ回っている。衝動性が強く危険を顧みないので、大怪我をしたり事故に遭ったりすることも女子に比べ遥かに多い。
 私の子供時代の大人達はそういう男子を大して咎めもせず「まあ、男の子だからしょうがないね。」「男の子だもん。元気があっていいじゃない」と文字通り野放しだった。

 多くの女性は真面目に掃除も行事の練習もしない男子に「ちゃんとやってよ!」とキレた経験があると思う。それでもこちらを揶揄ったりバカにしてきたりするものだから、泣き出してしまう女子も少なくなかった。
 ここで先生が登場するのだが、私の時代は男性教諭だと特に「男子のすることだから、大目に見てあげよう。」と片付けられてしまうことも少なくなかった。

 私は小学校時代、男子からグーで殴られたり思いっきり蹴られたり、掃除用具でブッ叩かれたりという経験を何度もしている。今では大問題になるだろう。だが、当時はこれも「男の子は元気だからしょうがないね。」「元気があってよろしい、男の子だもん!」とやはり野放しだったのだ。
 こういうのがそのまま大人になるとDV男になるというのは説明せずともわかって頂けると思う。

 女の子に暴力を振るっても何故咎められなかったのか。私の子供時代はまだ「女の子は男の人に殴られても蹴られてもね、じっと我慢するの。男の人は、偉いんだからね。」と教える大人の女性が一定数残っていたからだ。ヤバい昭和の残り香である。
 平成の初めはまだ、何でもかんでも「男の子だから」で許されたヤバい時代。うちの母親は暴力こそ容認しなかったが、よく「今の女の子は強過ぎるのよね…。もっと、男の子を立てなくちゃ」と言っていたし、「乱暴される女の人にも、落ち度があるのよ。」「短いスカートを履いて電車に乗るから、痴漢に遭うのよ。」と頻りに刷り込んできた。
 大正生まれの祖母から「男の人の言うことをよく聞くこと」と躾けられて育ったらしい。

 結婚したくない理由その3。昭和世代によって野放しにされたバカ男子の残党が同世代↑に大量に潜伏している。
 実際、大人になっても漫☆画太郎先生のマンガで大喜びしていたり、今でもカメハメ波を出したい、出せる気がするとか真剣に言っている男達に数多く出会ってきた。
 「そぉゆぅ男の人って、かわぃぃよね❤︎」みたいなことを言う人もいるけど、私は無理。絶対無理。バカを可愛いと言う女も無理。
 男を見る目がないことは大いに自覚しているので、こういうバカ男子の残党を掴んでしまうのではないかという不安しかない。まともな人と結婚できる自信がない。

 「いや〜…女性、怖いっすよね…」

 そんなことを言う男性は少なくないが、それ小中学校の時の「ウォーッ、女子こえーっ!」から何も進歩してないじゃないですか。
 何で女が怖くなるかわかります?アンタ方がバカ男子から全然進歩してなくて、何も役に立たないから奥さん怖くなるんですよ。
 仕事、子育て、家事、雑務。毎日目が回るほど忙しくて疲れ果てて発狂しそうなところに「腹減ったんだけど」とか「何か手伝えることある?」なんて言われるから尚更怖くなるんですよ!

 ひどいともう「旦那なんかいない方がマシ」「消えてほしい」と言う人までいる。一番ひどかったのは「あー…旦那殺してぇ…」というものだった。殺意まで覚えてしまうのだ。
 結婚したくない理由その4。好きで、納得して結婚した筈の人間に殺意を抱きたくない。
 というか、人を殺したいという感情を知りたくない。恐怖だ。

 男性の中にも、心優しい人はいる。可哀想になってしまうくらい繊細で、心が優しい人がいる。そういう人は、やはり結婚をしない。
 私は女性なので、男性側の心情や考えを推し量ることしか出来ない。
 繊細で、優しすぎる男性にとって人の悪口で大笑いをし、大きな車を凶器のように運転し、小さな子どもを口汚く罵倒し、夫を消したい殺したいなどと吐きつける女性は、恐怖でしかないのではないか。
 同性の私でも恐ろしいと感じるのだ。心の優しい男性にしてみれば、鬼や化け物や怪物にしか見えないのではないか。そんなのと結婚したい、家庭を築きたいとは思えないだろう。
 「女性、怖いっすよね…。」
 あんたらがバカ男子のままだからだよ、というのはこちら側の言い分だ。女性怖いっすよね…というのもまた本音だと思う。そうですよね…恐ろしいですよね、確かに…。

 将来に不安がない訳ではない。身寄りのないまま年老いて、病気になったり体が不自由になったり経済的に困窮したりするかもしれない。
 それでも、適当な人を見つけて結婚してその結婚生活を維持する為にあれもこれも我慢しよう、という発想にはならない。ましてや配偶者を消したい、殺したいだなんて。

 昔は、若い頃は人並みに結婚に対する憧れがあった。29歳か30歳頃になったら結婚するんだろうな、とぼんやり思っていた。子どもが大好きという訳ではなかったが、普通に可愛いし普通に2人くらい産むんだろうとやはりぼんやりと思っていた。
 今はもう、結婚したくない。子どもも欲しくない。今から産むなら不妊治療をすることになるだろう。そこまでして欲しくない。姪と甥は、目に入れても痛くない程可愛い。それで充分だ。
 要するに私は同世代の人間関係が主な原因で結婚したくないし子も欲しくないのだということが書いてみてわかった。
 そして、それは何も私だけではない。私の周辺の結婚したくない女性の多くが要するに「ママやりたくない」というのを大きな理由に挙げている。

 政治家の皆さん、わかりますか。ママをやるのがね、あまりにも大変過ぎるんですよ。
 子の世話、家のこと、自分の仕事に加えてママ同士のめんどくさ過ぎる人間関係、いつまで経っても子供で役に立たない夫。これに加えて親の介護まで背負っている人もいる。結局何でもかんでも女性が引き受けざるを得ない。
 結果、女性が鬼になる。鬼のような女性に恐怖を感じる心優しい男性は、恋愛や結婚に尻込みする。
 確かにお金もかかります。かかり過ぎます。でも、お金の問題は数あり過ぎる問題の一つでしかないんですよ。
 私達世代の忙殺されて鬼ババアになった女性達と、バカ男子のまま老けた男性達を若い人達が見たら、彼ら彼女らは多分もっと結婚する気や子どもを持つ気を失くします。
 「お金の問題が解決するなら結婚しようかな〜」じゃないんですよ。

 今、恐ろしいことに気付いた。政治家の殆どは、男性。それも私と同年代↑。
 「男の子だから」であまりにも色々なことを許されてきた「バカ男子の残党」で形成されている世界なのではないか。だからあんな乱痴気会合を開いたりもするのではないか。

 なんか、もう………。

photography,illustration,text,etc. Autism Spectrum Disorder(ASD)