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続けること

徳を積む。
良い行いを重ねておくこと。

ドラマ「ブラッシュアップライフ」でその概念がより身近になった気がするが、元々そうした感覚は誰しもに備わっている気がする。
と思って調べると、世界中でというよりは儒教など東洋思想において顕著らしい。
へえ。

この「重ねておく」というのが難しいもので、この日記ももっとこうした方が、とかなんやかんや考えるうちにしばらくお休みになってしまった。
ダサい。
とにかく毎日100文字だろうと更新しておけよ、と振り返って思うばかり。
情けなや我が惰性。

聞くにこの「重ねておく」ができるだけでも、重ねるのがどちらかといえば良いことであれば、まず徳になるという考え方があるらしい。
これは職場の大好きな先輩にきいた話で、死んでからよりよい段階に行けるのだそうだ。
この話を聞いたとき、こうした話は仏教思想であってもどこまで真剣に想っているのか人によってかなりの幅があるので、へへと笑って話を終わらせてしまった。深追いできなかったのが少し悔やまれる。かと言って、どのように深追いすれば良かったのかはいまだに具体描けない。
真剣な人に「どのくらい真剣ですか?」とは聞けないし、らしいわくらいのテンションの人に「来世は大事ですよね、因みに宗派は?」と聞くわけにもいかない。

続けると言えば、今は料理をぽつぽつ作っている。
とはいえニューメニューに挑戦すると前インプットしたメニューの作り方を忘れるので、週一で同じメニューを出したくなる。しかし飽きるし、終電で帰ってくる同居人にそれを食べさすのもなんだか可哀想な気もする。それは頑張りすぎか。
かと言ってバリエーションを求めると毎回大変になってお休みしたくなる。
まだペースが掴めていないのが問題か。
とにかくこれも作り進めていくしかない。

ふと思うと、私の料理は素材の味がするタイプのものか煮込みになりがちだと気づく。
ほうれん草のおひたし
ナスの揚げ浸し
シチュー
粕汁 
マッシュポテト
鳥のトマト煮込み
野菜炒め

ハンバーグとか固有名詞のつく料理は手がかかる。
けど作れた方がいいんですよね。
なんせ自分も食べたいし。
やったった感もある。

なんにせよ明日は焼きそばと決まっている。
と言いながら餃子の皮が限界なので、ざっくり餃子も作らねばならない。これはまぁ祝日でいいか。
そういえばオクラとナスも限界か。
限界の野菜はひとまずおひたしおひたし。
なんだか食材に追われる気分だ。

とにかく、毎日何でも続けてみよう。
あぁ納豆を混ぜるのも料理ということにしてほしい。

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