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娘と私の柔術 1969日 ②

娘が柔術を辞めてから1週間ほど。
柔術に行かない日々にまだ慣れない。
いつもいない時間に家にいることや、あれやこれや口うるさく言っていた自分もそこには存在せず、何をしたらよいのかと少し考えてしまう。

キッズまで

もともとキッズカテゴリである今年(中学3年)までかなと漠然と考えていた。
本人もそのつもりだったと思う。
キッズのうちに最後に1回は試合出ようと約束もしていた。
(その約束は果たされなかったけれど)

今年いっぱいはしっかりと道場に通って、練習も真剣に取り組んでほしい。
私はずっとそう思っていた。
本人も少なくとも昨年末くらいまでは同じように考えていたのではないかな。
事実、3月に駒沢で開催されたasjjfのマリアナスプロにエントリーもしたし。
結局相手がいなくて試合はできなかったんだけど。

でも。
しばらく前から柔術を楽しいと思えていない、そんな感じだった。

辞めると決めた理由

辞めたいと考えた理由は複数あったと思う。
「仲の良い友達が辞めた」
「もっと自由な時間が欲しい」
「(私に)うるさいことを言われたくない」
「試合でたくない」
「週1で十分」
とか、小さなことがたくさん。

4月以降は、なんだか本当に嫌な雰囲気だったし
本人も私もいつもぴりぴりしていた。

口を開けばケンカしているような感じ。
柔術がネガティブなコミュニケーションになってしまっていた。
それは、最も避けたい、そしてしたくないことだった。

辞めると決めるまでの日々が本当にきつかった。

これ以上の関係悪化は、娘が自身の人生から柔術ということを排除してしまいかねない…。
10年後、20年後に柔術に触れる可能性すらなくなる…。
そんなことさえ感じていた。

だから。
キッズまではと思っていたけれど、少し早くやめることにした。
それが最善だと、そう思った。

帯はもうあがらない

4月終わりに本人から退会の意思を竹浦先生に伝えた。

その時にかけてくださった言葉や対応には本当に感謝してます。
この時だけじゃない…何度助けてもらったことか。
(この辺りは改めて)

「もう帯は上がることはないんだねぇ」

退会届を書いたよと私に報告をしてきた娘から出た言葉。
そう、もう帯は上がらない。
ホッとした気持ちと、ある種の寂寥感がその言葉に詰まってた。

この子の5年は良いものだったのだ。
ここでやめて正解だった。
そう、思えた。





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