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電車で隣に座ってくる男はキモいのか?

最近、電車で隣に座ってくる男はキモいというテーマで、SNSが炎上したそうです。

男性の意見と女性の意見とで、真っ向から対立しているようですね。



多くの男性の意見。

「自由席だからどの席に座わるかはそもそも自由」
「いろいろと意見をいうのなら、指定席を取ったらいい」
「男性だからという括りで論じるのは、そもそも属性差別」
「女性だけ配慮してもらえると思う方が不思議」
「投稿した女性の撮影した画像自体がある意味盗撮では?」



対する女性の意見。

「空席あるのにわざわざ隣に座ってくるのはおかしい」
「混んでいたら仕方がないけど、あえて隣に座るのは不自然」
「実際に痴漢されそうなオーラや空気を感じることがある」
「実際に盗撮被害に遭った女性もいるから、やはり怖い」
「これまでに嫌な思いをした女性の気持ちも察してほしい」



これらの意見をみていると、どちらの言い分にも頷けるところがあります。

客観的にとらえれば、あくまで状況次第だといえ、程度問題だと考えるのが妥当ではないでしょうか。



その上で、私が不思議だと思ったのは、このテーマは、あくまで「男性VS女性」に構図の中で論じられているということ。

男性の中にも、女性の気持ちがよく理解できる声だってあるのではないでしょうか。

逆に女性の中にも、男性の意見に頷けるという人だっているのではないでしょうか。

実際には、男性も、女性も、本当にいろいろな価値観や考え方の人がいるわけですから、ばっさり2つの意見に分かれる方が違和感がありますね。



個人的には、女性の気持ちにシンパシーを感じる男性、男性の意見に共感できる女性の声というのは、ある意味本当に貴重なのではないかと思います。

そうしたマジョリティの中のマイノリティの声に丁寧に耳を傾けることによって、あたかも世の中が2つに分断されかねない議論に、前向きな光明を見出すこともできるかもしれません。

じつはこのテーマの本質は、そうしたレアな意見が言いづらい風潮、表立って意見してはいけないという無言の圧力にあるのではないかと感じます。



今の時代に必要なこと。

それは、男性が女性の立場や気持ちを理解すること。

そして、女性が男性の思いや感覚を察すること。

ここにあるのではないかと思います。

ある意味、勇気がいることかもしれませんし、その場では浮いてしまうリスクもありますが、一歩一歩そうした努力をしていくことが、異なる属性の人たちがその違いを超えて、おだやかに融和していくことにつながるのではないでしょうか。



「女性の気持ちもよく分かるよ」と発言する男性。

「男性の立場もよく理解できるよ」と語る女性。

こんな存在が一人でも増えていったら、「キモい」とか「分からずや」といった下品な言葉の応酬から脱して、みんなが明るく理解し合える構図へと歩み始めるように思います。

マイノリティの声が、社会をまろやかに変えていく。

そうなることを、心から願っています。


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今月の振り返り

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。