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君を知る旅

2023年7月。大学の前期も終わり、人生最後の夏休みが始まる。今までできなかったことをして、夏休みを充実したものにしたい。
考えてみると、今までの夏休みは実習ばかり行っていた年が1年とそれ以外はコロナで外出自粛だったので、それらしい外出をしてこなかった。

「旅行行かない?」
高校卒業後、約4年連絡を取っていなかった友人に突然、私からLINEを送った。友人はもう社会人として働いているし難しいかと思ったが、快諾してくれた。歓喜。幼少期から私は何かとコンプレックスをこじらせていて、「こんな私と一緒にいてくれる人間なんていないだろうな」と常に思ってしまうので、友人が出掛けようと言ってくれたことが心底嬉しかったのだ。誰かの心の中の椅子に、私を座らせてくれるのだということがありがたかった。
友人の二つ返事で2泊3日の旅行に行くことが決まり、新幹線の予約や行きたい場所をピックアップした。中でも行きたいと思っていた場所が、岐阜県関市板取にある「名もなき池」(通称モネの池)だ。初夏には睡蓮の花が咲き、池には錦鯉が優雅に泳いでいる。有名なフォトスポットである。
旅行があまりに楽しみだったので、私は2週間前から荷造りをした。

旅行当日の夜、友人とは名古屋駅から一緒に岐阜に行く約束をした。
会った瞬間、マインドが何も変わらない友人に安心した。
翌日、朝から2時間バスに揺られてモネの池に赴いた。到着すると小さな神社の近くに人だかりがあり、その中心に池があった。そこにいる人は全員写真を撮っていて、なんだか異様とも思える光景だった。なかには「ただの池じゃん」なんて品性のない人間もいたが、カメラを使う能力が問われる池だなという感じだった。決して貶しているわけではない。
私たちは1日目と2日目ただひたすら神社や海辺を歩き、合計4万歩強歩いた。


この2泊3日の旅行が始まる前、私は「友人と話すネタ」をひたすら考えた。何を話そう、何か秘密を打ち明けたほうが盛り上がるかな、なんて浅はかなことを考えてなんだか緊張していた。
でも会ってすぐその考えが杞憂なことに気が付いた。新しい趣味にハマったり恋愛を経験した友人は、あの頃と変わらないテンションで近況を話した。この旅行に行くまで私は、私と個人の「感覚」「感情」は永遠に繋がらない、交わらないものだと思っていたし、共有するために言葉にすると言葉が感情を上書きしてしまうようで、言葉が独り歩きしてしまいそうでそれをしたいと思わなかった。
2泊目のホテルに泊まった夜、今までの人生について話した。友達も人生について思い悩んだ時期があったし、私にもあった。恋愛についてもいろいろな話をした。高校から好きで今でも連絡を取って会う人がいるのだが、私はその人に今でも恋しているのかわからなくなっていた。そういうと友人は、「恋愛って執着に変わるじゃん」と言った。私が今欲しかった恋愛観だった。恋はいつまでも続くとは限らないのだ。愛情に変わることもあるし、執着に変わることもある。もちろん一生恋のまま変わりないこともあるだろうけれど。私の恋はすでに執着に変わっていて、相手からの愛情に飢え始めているのだ。新しい彼の一面を見たくてたまらないのだ。彼の生活の一端に私がいて、今日の終わりに私を思い出してほしいと思ってしまうのだ。これをまだ恋と呼んでいいのだろうか。

友人と会ってわかったことは、感情や感覚は意外と他人と交わるし、言葉が感情を上書きすることは無いということだ。どれほど趣味や人に対して愛が大きくても、それを上回るほどの話はできない。秋の夜長に君を思うこの気持ちを、誰にも共有することはできない。それは私だけの孤独でもあり、愉悦でもあると思うのだ。宝箱に大切なものはしまっておいて、時折大切な人におすそ分けをする。全ては共有しないけれど、というスタンスでいる。そうして日々の出来事を綴っておくと、次会った時にはこの話をしたいな、と自然と話せるようになると思うのだ。

この旅行で面白かった事は、感覚や考え方が同じ友人でも今まで学んできたり興味を持ってきた対象の違いからお互い学びになる旅になったことだ。
「次は海外に行きたいね」なんて話すことも、旅の終わりの醍醐味だ。

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