見出し画像

人生がはじまる時に

8月下旬、週1で会うようになった友人が急に言った。

「いつか、夜中歩いて海辺の朝日を見に行く散歩旅をしようよ」

私は快く返事ができなかった。夜中歩くなら、男性が1人いる必要がある。今の日本で、夜中に女性だけで歩くなんて自殺行為だ。曖昧に返事をすると、友人は「練習したくね?」と付け加えた。賢い女である。自分達の徒歩の実力を測ろうというのだ。これにはすぐに合意した。私たちは何かと海辺の太陽を見るのが好きなので、鎌倉から江の島まで歩くことにした。距離にしておよそ7.2㎞、1時間40分の散歩旅だ。鎌倉の神社にお参りしてから、海沿いを歩いて江島神社を目指そうということになった。

当日、ひたすら歩いた。途中カフェに寄りアイスコーヒー休憩をした。友人は隣の席の犬に何度も手を振ってその度に止めた。道中、友人は「紅」やブルーハーツの曲を歌っていた。ブルーハーツの英才教育を受けて育ったと言っていた。

小さい頃の教育は肝要である。人生のはじまりに、何をして何を聞いて何を吸収してきたかでその後の人生の豊かさは大いに変化すると思うのだ。かくいう私は、子供時代を親の厳しい情報統制を受けて育った。テレビは全く見たことが無く、ゲームは持っておらず、友人らの流行に何らついていけずにいた。悲しいことだ。娯楽は子供には贅沢という教育方針のもとそうなったのかもしれない。私は自由奔放な性格で外遊びが大好きな人間だったので友人を作るという概念を持つことなく幼少期を過ごした。これはある意味幸運だったのかもしれない。でも大人になって趣味を作ったり友人を作ったりするとき、何かと困るようになった。共通の何かというものがないと人脈を築くことが出来ない年頃になってしまった。楽しみや悲しみなど、いろいろな感情を共有するのって、わたしたちの人生を作っていく上で必然で、でもエネルギーがいる。どうしたって私という人間を理解できない人間はいるのだろうけれど。でも、そんな人間に時間をかけている必要はないのだ。私は私のパーティーを開催し、招待したい人をすればいいだけだ、と思うのだ。

大人になった私はこんなことを考えて、それでも一人でも多くの人が私と同じ境地から救われてほしいと願って日記を公開しているのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?