犬を飼った話

中学3年生の時、うちに犬がやってきた。少し大きめの。柴犬より一回り大きいゴールデンレトリバー。賢くて物覚えはいいけれど、たまにアホなところがたまらなく愛おしい。家族で犬を飼うことは両親の念願の夢だった。

犬って、生まれてすぐに売りに出されて、数週間で大きくなるうちに値段がどんどん下がっていく。ペットショップ業界の是非はまた今度書くとして、私たちは今の愛犬がいるペットショップに足しげく通った。最初はかわいい子がいる、しかもメスだしおとなしくておっとりしてる、と、まだやわやわな体を抱いて言い合った。何度も通ううちに情が移ってしまった。両親が突然購入を決めた。私は犬を飼い始める時、亡くなる時のことを考えたくなくて買うのを反対した。でも両親は突然契約した後、ケージやペットシーツ、ドッグフード等の飼育に必要なものを買いそろえて帰ってきた。数日後には家に迎えるという。思い返せば、二人とも大きな買い物(車や旅行)のために食費や生活費を切り詰めるタイプだった。

それはさておき犬を飼ったのだけれど、かわいいの一言。終わり。人間の表情を読み取って必死に何かを考えて、ごはんを探したりおもちゃのありかを見つけたり、人間が泣いている時には頬に伝う涙をペロと舐めたりするのだ。愛しい。

やっぱりtwitter(X)をしていると天へ旅立った動物たちのことを目にしてしまう。大抵いい飼い主の元で犬生を全うしていて、最後まで幸せで良かったと思うとともに、私は犬を亡くした時どうなってしまうのだろうと考えてしまう。中学生の時に突然うちにやってきて、私が躁状態で夜中にハイテンションで帰ってきても眠い目をしょぼしょぼさせながら玄関まで出迎えてくれた愛犬だ。愛犬と書いても愛が余るくらいには大好きなのだ。もちろん家族全員がそう思っている。
5月に祖母を天に見送ったとき、何となく口に出してしまった。私の愛犬もいつか旅立ってしまう。家族も全く同じことを考えたらしい。口々に不安だとか言って目を潤ませ、母は完全に泣き始めた。いつ犬生を終えるかわからない犬だが、その最後の瞬間まで幸せでいてほしい。
愛しくてたまらず、一秒でも多く一緒にいたいと思うのだ。

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