感情

感情的なひとは苦手だ
特に負の感情を辺りに撒き散らすひとはとても苦手で近寄りたくない
感情はひとにとって大事なものだろう
嬉しい
楽しい
悲しい
寂しい
怒り
苛立ち
いいことがあれば喜び
いやなことがあれば悲しむ。怒る
それはひととしてあたりまえ
それを無くしたらロボットと同じ
そんなふうに思ってた

でもわたしは
喜怒哀楽がはっきりしたひとが苦手だ
自分に関係ない世界ならば憧れてみれるかもしれない
だけど自分の関わる世界にそういうひとがいると
何故か逃げたくなる
恐怖みたいなものを感じる
それは自分ができないことを苦もなくできてしまうことに嫉妬してるからかもしれない

感情表現が苦手だ
自己表現が苦手といったほうがいい
こうして書くことは好きだけど
言葉や態度にして身近なひとに表現することができない
理由はかんたんで
こわいからだ

何がどう怖いかはいろいろあって
全部を説明するのは難しいけど
ひとついえるのは
その表現に意味が無いと思うからだ

わたしが喜ぼうが悲しもうが
そんなの誰も興味がない
もちろんそんなの関係なく
自分のために外に出せばいいんだけど
それに対する反応が怖い

無視されるのも否定されるのもこわい
一緒に喜んでくれたり悲しんでくれたりされたことがないので
喜びは2倍に悲しみは半分にはならない
ただそこにあるだけだ
それを何度も感じてきて
もうそれは感じたくないと拒絶してしまうようになったのがいまだ

それでも発散させないと危険な感情はある
それでわたしは書くことをおぼえた
誰の目にもつかないような場所で
それでも誰かがみてくれるかもしれない場所で
自分の思うことを思うままに言葉にすると
すこしほっとする
そしていつの間にか忘れて消えていく
本当に消えたのかわからないけど
すくなくとも自分のなかの重さがなくなるのだからそれでいい

怒りの感情みたいなのを
さんざん浴びせされて育ったから
そういうのを出すことは躊躇する
自分の感じてきた嫌な思いを
他人にさせるかもしれないことは恐怖だ

それで喜びも悲しみも
怒りもなにも表現することがこわくなった

なのでわたしにとって楽なのは
何も感じないことなのだ
発散する必要もなくなるから

それでも心は刺激を欲するから
あたりさわりのない
空想世界のできごとに心を揺らすことをおぼえた

さいわいというか感情移入は得意なので
漫画でも小説でもアニメでも
まるで現実みたいに心を揺さぶられる
それこそ
泣いたり笑ったり怒ったりして
でもそれで誰かに関わることも無く
わたしだけの閉じた世界で完結する
なんてすばらしい

こういうのを世間では根暗というのか
ヲタクというのか
また両方なんだろうけど

感受性の強すぎる自分を
たまにもてあましつつも
まあそういうものだから仕方ないと
最近は少し思えている