久しぶりに少女漫画をみた

わたしは少女漫画が苦手だ。
理由は主人公が羨ましくなるためだ。
だいたいが好きな人ができて両想いになる話であり、自分には手に入らないとわかっているから、自分と比べて悲しくなるのだ。
なのでここ最近はずっと読んでなかった。
しかしなんの縁か、アニメではあるが、少女漫画原作のアニメをみてしまった。
これが結構面白かった。

もちろんストーリーはいつもの感じだ。
主人公がいて、モテモテの同級の男の子がいて、主人公はその子に惚れて、なんだかんだとその男の子も主人公をすきになる。
そういうよくある少女漫画の王道。

でも久しぶりにみたせいか
主人公をみていて思った。

ああ、女の子だなあと。

自分にはないその性質をこれでもかというほどみせつける主人公。
いや、正確には自分にないのではなく、表に出せないくらいこじらせてしまった性質、なのだろうけれど。

愛されて育ったもの特有のもつ素直さ、愛らしさ、そして我儘さ、自分の気持ちにのめりこめる純粋さ、残酷さ、そういうもの。

小悪魔的とでもいうのだろうか。
男の子を翻弄する女の子の魅力とわたしは思っているもの。

自分が世界の中心で
自分の願いを叶えるためならなんでもできる
自分を大切にできる女の子

わたしの独断だけど
きっとそういうわがままさが男の子を男の人に成長させるのだと思うのだ。

それはわたしにはないものだ。
わがままさが私は苦手だ。

自分よりも他人を優先する癖のある性質。
わがままよりも寧ろ相手の望むことをしようとしてしまう。
自分を通すより相手を優先する。
いわゆる尽くす女?
うっとうしいやつだし、男のひとを付け上がらせる、だめにするタイプだ。

女の人はわがままなくらいがちょうどいいのだと、だいぶ手遅れになってから気がついた。
そうじゃないとふつうの男性は成長できないのだと思う。
中には特別な男性がいるのだろうけど、そんなひとにめぐりあえる可能性はだいぶ低い

私は自覚した。
わたしは男のひとを成長させられない女であると。
そして少女漫画の主人公というのは、大なり小なり、自分を優先できる女の子なのだった。
だから羨ましくて苦手なのだ。

そんなわけで私のパートナーを、わたしは成長させることができない。
ふとそんなふうに思った。

相手をしあわせにできないとき
とても無力感をおぼえる

思えば両親もそんな感じで
特に母親はいつも不機嫌そうでつまらなそうで
わたしは少しでも彼女に笑顔でいて欲しくて頑張り続けてきたけど、何も変わらなかった。
褒められても幸せそうではなかった。
嬉しそうでもなかった。
たとえそうみえてもほんの一瞬で、何かのきっかけですぐに不機嫌そうな表情にもどっていった。

子供ごころに彼女は満たされているようにみえなかった。
それがとても悲しくてつらかった。
力不足だった。
なんの役にも立てないのだと思った。

歴史は繰り返すじゃないけど
彼もまた同じなのだろうと思った。

わたしといても男としての喜びは感じられないのだろうと思う。
わたしが正しく女でないからだ。
わかっていても女らしくあることができない。
わたしにとって女の象徴は母親だからだ。
さんざん母親といて辛い思いを抱いてきたせいで、わたしは母親を反面教師みたいにして生きてきた。

自分の感情で常に周囲を振り回す感情的な母親が苦手だった。
だから同じものに自分はなってはいけないと思ってしまって、それはもうどうやっても抜け出せない呪いみたいになってしまった。

だから感情を外に出すのができなくなった。
自分の気持ちを大事とは思えなくなった。
相手を不快にするような自分の感情は抑え込むのが当たり前になった。
他人を不快にさせてはいけないという前提が常に自分のなかにあって、それを破ることができないでいる。

自分という存在はあってもなくても変わらないのだと思う。
誰かに影響を与えることはない。
だから彼もわたしといても何も得られないだろう。
喜びも悲しみも。
透明人間みたいなものだ。
それで相手をしあわせにできるはずなんてない。

でもそんな生き方をしてきたから
どうすれば相手がしあわせになるのかわからない。
そんなのわたしがどうしようと相手が勝手にしあわせになってくれるかもしれないけど
それならやっぱり自分はいてもいなくてもかわらない。

欲を言えば、自分の存在が誰かを幸せにできるといいのだけれど。
いままでそんなことはなかった。
あるときまでは、少なくとも自分の存在が両親を幸せにしてると思っていたけれど
それも今は思えなくなってしまった。
やっぱり彼女はいまも不機嫌のまま
日々私のことが心配だと訴えてくる。
私が頼りないから。
私が元気がないから。
いつも元気か心配してるという。
ひとによっては心配することがしあわせなのだというかもしれないけれど
それが事実だとしてもわたしは受け入れられない。

もっと気楽にいて欲しい。
もっと安心して欲しい。
私の欲しい幸せとあまりにかけ離れてて今の彼女がしあわせだとはどうしても思えない。

いつも不満そう。
いつもつまらなそう。
結局わたしはなんの役にも立たないし、むしろ心配ばかりかけているだけの存在だとしか思えない。
最近はそれがうっとおしくてたまらない。
そう思う自分が、やっぱり親不孝だなと思う。
もっと親孝行な娘なら、彼女ももっとしあわせになれたのだろうかと思う。
そこまでわかっているのに実家に帰りたいと思えず、もう何年も帰っていない。
帰っても、最初の一瞬は喜んでくれるだろうけど、あとはもう心配の話を延々とされるだけなのがどうしても耐えられないからだ。
これはだめあれはだめもっとこうしろああしろいうお小言を聞くのが考えただけで具合悪くなってしまう。
嫌な気持ちになるとわかっていることを行動に起こすのはそうとうな胆力がいる。

だいぶ話が脱線してしまった。
そんなわけでわたしは女になり損ねてしまった。
それはもういまさらどうしようもないことだけど、巻き込まれたパートナーには申し訳なく思う。
もっとまともな女性を選べばいまよりしあわせになれたのではないかと思う。
でもそんなことを言うのも失礼な気がするし、本気で嫌ならそう言われるはずだと思うので、今は様子見と言った感じだ。

わたしが彼のためにできることはなんなんだろう。
アニメをみながらそんなことをぼんやり思った。
この主人公の女の子みたいに、わがままいったり振り回したりすることは難しい。
実は無理やり試したこともあったけど、自分でもすごく違和感があって続けることは困難だと感じた。
キャラが違いすぎる。
なんでアニメにでてくる女性キャラは、あんなにも無邪気にわがままで周りを振り回すことができるのか。
自分にその価値があると信じて疑わない女としての絶対的な自信がどこからくるのか。
わたしにはわからない。
女としての自信など微塵もない。
こんなにこじらせてしまっては、どこから解いたらいいかもわからない。

なんかいろいろ悟ったので
これからの女としての生き方を自分なりに考えてみたいと思う

いまさら女に戻れないけど、そうならせめてひととしてどう生きるか

ジブリ最新作でもみてくるべきなのか、、、