楽(らく)は楽しくはない

わたしは自堕落なので面倒なことがきらいだ
できるだけ何もしたくない
楽をしたい

だけどずっと在宅勤務という楽をし続けた結果
楽だけど楽しくないという結論を得た

私なりに考えてみた。
楽とはエネルギーの節約
できるだけ何もしなければエネルギーも消費しない
身体を動かさなければエネルギー消費がおさえられる
頭を使わなくても同じ
毎日考えずに惰性で過ごす
つまり自分をできるだけ使わない生き方
そういうのが楽だと思う

しかしこれは楽しくはない
自分を使わないのだから
自分を感じることができない
ただぼんやり過ぎていく
使うべきものが使われないので
色んなものがさびていく
自分が自分でいる意味をうしなう
ひたすら静止に近くリズムも生まれない
ある意味死に似ているかもしれない
死んでたらそりゃ楽しくはないだろう

逆に楽しいときはどうだろう

自分を使っているとき
自分を動かしている
自分から何かをうみだしている
脳をフル活動して深く考えている
要するに能動的な状態だと思う

そこまで考えてヲタクなわたしは思った

アニメみたり漫画読んだりしてるとき
とても幸せだし楽しいよなと
これはどちらかと言えば受け身では?

けれどもよくよく考えてみると
自分がアニメをみて楽しい状態のときは
自分の中に何かがうまれているのに気づいた
つまり自分なりの解釈、受け取り方をして、その世界を自分のなかに作っているのだ
おなじアニメをみても、面白いと思う人、つまらないと思う人がいる
つまらないひとはただの受け身なんだと思う
そのアニメから、自分のなかに世界をうみだせないひと
だから何も楽しくない

一方で、アニメを楽しめるときは、
その作品を自分なりの受け取り方をして、そこから世界が広がるときだ
それはただの受動的とは違う
そのアニメ自身はきっかけであり触媒ではあるものの、そのアニメを楽しんでいるわけではなく、自分のなかにうまれた自分だけの世界、世界観を、楽しんでいるのだと思う

ざっくりいうと
ひとは受動的、単に受け取るだけなのは楽で疲れない、エネルギー消費しない
反対に能動的、自分から何かを出すという行為において楽しさを感じるようにできている気がする

つまりほんらい
何かをもらうよりも与える方が楽しく
入ってくることよりも出すほうが気持ちいいのではないかと思う

そうはいっても、入ると出すはセットだし
何かを出すなら、その前に入れる必要がある
極端に解釈するなら
アウトプットの快楽が欲しくて
そのためにインプットしてるのかもしれない

つまりどちらかに偏るとよくない

入るばかりだと容量オーバーで苦しくなる
出すばかりだと容量不足で出すものがなくなる

バランスよくインプットとアウトプットを繰り返すのが、ひとのもっとも自然な姿なのかもしれない

もらいすぎも、あたえすぎも、不自然

ためるだけなのも不自然だし
消費するだけなのも不自然

でもなんとなく貯めて安心したくなる
なくなるかもという不安に負けてしまう

ほんとうは貯めたいんじゃない
使いたいんだ
使うために貯めてるだけで

その辺の感覚がもう少し自分でもコントロールできるようになるといいなと思う