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なぜ人は“今あるもの”を数えるのか

私の読書記録によると、「自己啓発本にはおおよそ同じ内容ばかり書かれている」と気づいたのは、社会人4年目になった26歳の頃だった。


20代を通して、私は自己啓発本にハマっていた。きっかけは、大学3、4年生のときの就職活動だ。私は、「就活が不得意」な学生であった。曲がりなりにも文学部で、文芸創作ゼミに所属していたため、文章はまあまあ書けるほうだったのだと思う。エントリーシートなどの書類選考で落とされることは少なかった。

致命的にアウトだったのが面接だ。今でこそ、「面接は相手のほしい回答を述べる」のがセオリーだとわかっている。でも、当時の私は、今よりもずっと世間知らずの馬鹿正直だったから、考えていることを素直に述べれば良い、と思っていた。

あるアパレル企業の最終面接でのことは、今でも忘れられない。「就職活動の状況を教えてください」という問いに対して、私は「やっぱり文章を書く仕事がしたいので、もう一度就活をやり直します」と答えたのだ。大人になった今ならわかる。そこは、嘘偽りでもいいから、「御社が第一志望です」と言わなければならない局面だった。当然、その企業からはお祈りされた。

あらゆる企業からお祈りされまくった私のメンタルは、ゴリゴリに削られていった。だって、単位は一つも落としたことがないし、なんなら、大学から奨励金をいただくほどの「優秀で真面目な学生」なのに。たいして授業にも出ていないような奴がサラッと内定を勝ち取っていくのを見ると、ギギギと歯ぎしりをしてしまうくらい、悔しくてたまらなかった。電車の窓から見える東京スカイツリーの壮大さにやられて、お祈りメールの届いたスマホを握りしめながら涙をこぼしたこともある。いよいよ私のメンタルは崩壊寸前だった。

そんな私が、書店で自己啓発本コーナーに吸い寄せられるのは、自然の摂理だったろうと思う。このままじゃダメだ。早急に何かを変えなくては、就職浪人をしてしまう。でも、何をどう変えていいかわからない。陳列された本のタイトルを見て、ピンときたものを次々と購入していく。読んだ本を記録しているノートは、次第に自己啓発本の感想で埋め尽くされるようになった。


就活を終えてからも、私は自己啓発本を読み漁っていた。教育系の広告代理店からなんとか内定をもらい、大学を卒業したあとも、念願のライターに転職したあとも。私は、2013年から2020年のおよそ7年もの間、自己啓発本を読み続けていた。

でも、2017年に読んだ、ある本の感想にこんなことを書いている。

成功法則は一つしかないから、自己啓発本には大体同じことしか書いていない。結局は、その成功法則を“誰の言葉で”聞くかなのだと思う。

それに気づいても、自己啓発本を読むことをやめられなかった。

内定を取りたいとか、ライターになりたいとか、小さな目標を叶えていっても、私の心は満たされない。一つ満たされると、またどこかに別の穴が空く。上司に褒められなきゃとか、もっと上手い文章を書かなきゃとか。私は、いつも自分に「何かが足りていない」ような感じがしていた。自己啓発本を読めば、その穴を埋めるヒントのようなものが得られると期待していたのだろう。

2020年の秋以降、自己啓発本の読書記録が極端に少なくなった。おそらく、踏ん切りが着いたのだと思う。自己啓発本を読んでも、私は変われない。その事実を、30歳目前にしてようやく受け入れることができたのだ。


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さて、女性向けの自己啓発本でよく取り上げられるメソッドの一つに、「今あるものを数える」というものがある。

「今あるものを数える」ことの効能は著者によって表現が違うから、一概にコレだと断言できない。しかし、その効能の一つに、「現状に安心する」が挙げられるだろう。

私たちは、いつでも「ないもの」ばかりに目を向けがちだ。安直な例だけど、たとえばSNS。SNSは、ずいぶんと連絡を取っていない、かつての友人の幸せなご報告を、聞いてもいないのによかれと思って運んでくる。

友人のハッピーニュースは、うれしい。すごくうれしいのだけど、人間誰しも完璧なわけではない。人の幸せを喜べない瞬間は、誰にだって必ずあるのだ。人と比べたって仕方がないのに、「持っている人」を見ると、「持っていない自分」が、よりくっきりと、はっきりとした輪郭を持って暗闇から浮かび上がってくる。

そんなときに、我々は「今あるもの」を数えるのだ。自分が選び抜いてきたあれやそれやに、改めて確固たる自信を持つために。私たちは「今あるもの」を数えることで、「自分も幸せである」ことを確認しているのだ。たとえ、あの人の持っているものが私になくても、私にはこれがあるから大丈夫。そうして、何食わぬ顔で日常に戻っていく。


私は、「今あるものを一つずつ書き出してみましょう」というワークに、これまで何度もトライしてきた。女性向けの自己啓発本は、「ワーク形式」を採用していることが多い。1ページをまるまる「ワーク」として、本の内容にリンクした「問い」の回答を、直接書き込めるようにしているのだ。

本に付随しているワークだけではない。私は真面目な読者であったので、著者のセミナーにも足繁く通った。そのセミナーでも「今あるものを数えよう」ワークは頻繁に登場し、その都度、私は今あるものを書き出した。取り憑かれたように自己啓発本を読んでいた当時の私は、たぶんめちゃめちゃ「今あるもの」を数えていた。「今あるもの」を数えるプロだった。

でも、ありとあらゆる本やセミナーで「今あるもの」を数えるたびに、「うるせー!」と反発する自分がいたのも事実だった。穏やかな笑みを浮かべて「今あるもの」を書き出している私がそんなことを思っていたなんて、セミナー講師たちは微塵も考えていなかっただろう。

もちろん、今この文章を入力しているスマホやPCがあることも、帰ってくる家があることも、蛇口をひねれば水が出てくることも、「当たり前じゃない」とわかっている。それらは、私(と、生活をともにしている夫)の努力と、社会生活の基盤を支えている人々と、ほんの少しの運で成り立っているものだ。それらは、時と場合によって、一瞬にしてなくなる可能性がある。ナチュラルに使っているけれど、ものすごく尊いものだ。その有り難さを忘れようものならば、私の中の加藤浩次が「当たり前じゃないからな! この状況!」と叱ってくれる。

それでも、だ。今あるものを数えても、目の前の問題が解決するわけじゃない。明日の生活が劇的に変化することなんてない。そのワークに取り組んだ瞬間は満たされるけれど、一歩現実に目を戻せば、課題が山積している。今あるものを数えたって、せいぜい気休め程度にしかならないのだ。マッチ売りの少女が、マッチを灯したその瞬間だけ満たされるのと同じ。そう思っていた。

――2023年11月23日までは。


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11月は、やけにハードだった。

出版社に転職して3ヶ月が経ち、基本的な業務が一通りできるようになったおかげで、マニュアルにはない仕事をどんどん頼まれるようになった。加えて、新しく入ってきた方に業務も教えなくてはならない。それほど大変な仕事をしているつもりはないけれど、家に帰るとドッと疲れている。

帰宅してちょこっと家事をこなして、ようやく自分の時間だ――と思ったら、睡魔襲来。眠ったと思ったら、あっという間に朝が来る。ジリジリと鳴る時計に起こされると、「あれ、今日って何の日だったっけ?」と本気で考え込むくらい、記憶が飛ぶ。数秒後に思い出して、慌てて仕事に向かうための身支度を始める。

生活が、「会社と家との往復」の一色になった。


「会社と家との往復」、それすなわち、「私は何も生み出していない」ということだった。インターネットの向こう側では、毎日誰かの手によって何かが生み出されている。私が書きたかった文章を、今日誰かが書いているのかと思うと、ものすごくやるせない気持ちになった。タイムラインに流れてくる【書きました!】という「ご報告」にも、勝手に嫌気が差した。

「書いていないと生きている意味がない」、と思うのは、私の思考の悪い癖だ。8歳の頃に初めて小説を書いてから、毒にも薬にもならない文章を書き続けてきた。書くことだけは、一度だって辞めたことがない。上手いか下手かはさておき、人生の多くを書くことに費やしてきたのだから、書いていない時間に不安を覚えるのは、致し方ないことなのだろう。私は、書いていたほうが安心する、変な生き物なのだ。

「何のために生きてるのかわからないから、いっそ消えてしまいたいな」と思うことがある。こういうことは、たくさんの人を傷つけ、大問題になりそうだから、あまり口にしない。でも、そう思ったときに、必ず思い出すことがある。

中学生のとき、私は本当の本当に死にたかった。それでもそうしなかったのは、「きっと何かいいことがある」と、心のどこかに夢や希望を抱いていたからなのだと思う。その頃、私は『ONE PIECE』が大好きで、定期テストが終わるたびに「ご褒美」として漫画を買い集めていた。私の心はまだまだピュアで、くすみ一つなかったから、「私にもいつか、麦わらの一味のような仲間ができるはず!」と信じていたのだ。「物語を書くなら、できるだけ夢や希望のあるものが良い」と考えるようになったのは、私が物語に生かされてきたからなのだろう。今でも、私はハッピーエンドの物語が好きだ。

あれからもうすぐ20年が経つ。ねえ、ごめん、中学生の頃の私。約20年、頑張って生きてきたけど、あなたが信じてきた夢や希望なんてものは、私の掌中には一つも残っていない。


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その日は、皮肉にも「勤労感謝の日」だった。夫が、家の近くに住所非公開の「隠れ家カフェ」を見つけたので、ブランチでもしないかと言う。私は、ハンガーのかかっていないコートのように生命力のない身体を、なんとか真っ直ぐにして、夫に手を引いてもらいながら家を出た。

そのカフェは、アパートのような佇まいのビルの1階にあった。大通りに面しているものの、駅からはやや離れている。立て看板は出ているけれど、住宅街の景観に馴染みすぎていて、うっかり素通りしそうだった。ガラス張りのドアは窓のようで、取っ手がわかりにくい。他に入り口があるのではないかと、少し探してしまった。

隠れ家というだけあって、祝日でも店内は空いていた。黒い大理石のカウンターがキッチンになっていて、サンドイッチやワッフルを調理する工程が席から覗けるようになっている。ソファーや椅子、テーブルのデザインが一つも統一されていないのに、それがどこか洗練されて見えて不思議だった。配管のむき出しになった白い天井が、縦長の店内を広く見せている。店の奥の一角は、インテリアショップになっているらしい。ブラウンの革張りのソファーには、カバーの違うクッションが所狭しと並べられていた。テーブルとは形容しがたい膝丈の大きな箱の上には、本や地球儀、アンティークのコーヒーミルが雑然と配置されている。

インテリアショップゾーンは飲食禁止とのことなので、我々はその手前にある二人掛け用の座席に腰を下ろした。私は丸いバニラアイスの乗ったワッフルとアイスカフェラテ、夫は自家製プリンとブラックコーヒーを注文した。ワッフルにはシナモンシュガーがふりかけられていて、甘い香りがする。ゆっくり味わいたいけれど、アイスが溶けないうちに食べきりたい。そんな感情のせめぎ合いを感じつつ、私は一口大に切ったワッフルを口に運んだ。

ブランチを楽しみながら、私と夫は互いの近況報告をした。私は、職場の方(同性)からわりと重たいプレゼント(私の名字の入ったシャチハタの判子)をもらって困っている話をした。しかし、夫は私の困惑にあまりピンと来ていなかったので、私としては消化不良だったけれど、続きを話すのをやめた。

夫は、多忙を極めて10月に体調を崩し、今も100%回復しているわけではないが、それでも仕事にやりがいや楽しさを見いだしているようだった。職場の人と信頼関係を築いていて、評価もされている。話を聞く限りでは、夫の努力がきちんと報われているように感じたので、妻としてはありがたい限りだった。けれど、夫の話を「よかったね」と聞く一方で、特に何も進捗がない自分のことを考えると、不甲斐なさが増してきた。

私と夫は大学の同級生なので、社会人としてスタートを切ったタイミングも一緒だ。それなのに、給料や社会的地位は差が開いていくばかり。私は、一体どこで間違えたのだろう。正社員の仕事を辞めたときだろうか。それとも、「ライターになりたいから」と、どう見ても経営が危うい会社に転職したときか。いや、そもそも、書く仕事がしたい、作家になりたいという夢を抱いたこと自体が、間違っていたのかな。

昨晩サーッとスクロールしていたSNSの画面が、ふと脳裏に浮かぶ。ものすごくハッピーなことだが、私のタイムラインには比較的明るい話題が多く流れてくる。できるだけ明るい部分を見せてくれる人が多いのであろうことは、重々承知している。本当は、誰しもが、私と同じように、あるいはそれ以上のツラさや大変さを抱えているのだ。それを、SNSの空間では見せないようにしてくれているだけ。その心遣いは、本当に立派だと思う。それでも、そのことがすっぽーんと抜け落ちるくらい、昨晩の私には、画面の向こうのキラキラとした【ご報告】の群れが眩しかった。

「いいなあ。私は、どこで間違えちゃったんだろう」

私の口からこぼれ出た羨望の言葉に、夫は一瞬ムッとし、そのあと呆れたような表情をした。それから程なくして、私たちはカフェを出た。


このまま家に帰るのは勿体ない気がしたから、東京ソラマチに入っている書店に寄ることにした。だんだん大きくなっていく東京スカイツリーを見上げながら、目的地に向かって歩いて行く。

就活をしていた頃、なぜ私が車窓から見えるスカイツリーに涙したのかというと、感動したからだった。スカイツリー建設中、私は高校生だった。スカイツリーが少しずつ、少しずつ高くなっていくのを通学途中に毎日眺めていたので、ああも立派にそびえ立っているのを目にすると、なんだか胸がいっぱいになってしまう。下町生まれ・下町育ちの私にとって、面接に落ちまくって、お先真っ暗だった私にとって、抜けるような青空に突き刺さるスカイツリーは希望の象徴であった。そして、夫と結婚するときに、「スカイツリーの見えるところに住もう」と提案したのだった。


出版社で働くようになってから、「書店」という場所をより楽しめるようになった。以前よりも本に対する解像度が上がったからかもしれない。これまでだったら絶対に足を運ばなかったコーナーにも立ち寄るようになった。勤務先の本がどれくらい陳列されているのか、他社はどんな類似本を出しているのか。非正規雇用の私がこんな調査をしても、何の得にもならないのだけれど、「わかる」ようになると楽しい。眺めているだけで体温が1℃上昇する。普段は勤務先の出版物ばかり目にしているせいか、他社の出版物が並んでいることに妙な興奮を覚えるようになった。

あるコーナーを見ていたときに、「あ」と思った。数週間前にこの書店で「品切れ」になっていた本が入荷されている。わかる! 私が書店員なら補充注文するもん! 書店員と同じ目利きができたことが誇らしい。ちなみに、私はその本を隣町の書店で購入した。

「いつか、私の本もこの中に並んだらいいのにな」と、思う。でも、「どの棚に並べられたいか」というところまで妄想を膨らませられない。そのことが、私の「いつか」という願いが、どれほどぼんやりとしたものかを物語っている。自分の書いている文章が、一体どのジャンルに振り分けられるのか、私にはわからない。わからないまま書いている。その「いつか」が来ないまま死んでいくのかもしれないと思うと、たまらなく怖い。ああ、でも、その「いつか」が来ないなら、もう消えてしまってもいいか。

ぐるりと書店を一周したところで、何も満足してはいないけれど、このままここにいても仕方がないと気がついた。それに、私に付き合って書店をぶらぶらさせている夫にも申し訳ない。雑誌コーナーにいた夫に「気が済んだ」と声をかけ(本当は何も気が済んでいないのだけれど)、私たちは書店を出ていった。


東武線側の出口に向かい、人の波を縫うように進む。夫に手を引かれながら、私の思考はずっと「生か死か」ばかりを考えていた。白か黒か。0か100か。私の思考はいつも極端で、間がない。悪い癖だなと気づいているのに、なかなか直せなかった。「生か死か」という極論まで行き着く前に直せていたら、何か少し変わっていただろうに。

ああ、これは本当にやばい。どうしよう。

頭のどこかで、もう一人の自分が焦り始めるのを感じた。「消えたいゲージ」がこんなにも溜まったことが、今までの人生であっただろうか。夢や希望、生活のちょっとした楽しみで、そのゲージを押さえつけながら生きてきたというのに。押さえつける力のようなものが、今、すごく弱まっている。脳内の危険アラートが点滅しているのが、見えてもいないのによくわかった。


ねえ、待って。私の人生って、そんなに悪かったっけ? そんなに思い詰めるほど悪くないでしょ。友達だっているし、夫だっているし、家族だっている。それに、住む家だってある。しかも、「スカイツリーの見えるところに住む」っていう理想だって叶えてきたじゃん。ちゃんと仕事もしてるし。雇ってもらえる会社があるって、すごく幸せなことだよ。今まで何回ニートやったと思ってんの。それに、税金も納めてるし、社会人としてまじで立派な行いじゃん。私はちゃんと、ちゃんとやってきたよ。これまでちゃんとやってきたんだから――……。


人混みの向こうに、出口が見えた瞬間だった。意識が引き戻されて、脳内が冷静になる。危険アラートは、もう止まっていた。

今、私、何を考えてた?
咄嗟に「今あるもの」を数えてなかった??

ぱっこーんと、頭を殴られたような衝撃が走った。ああそうか、“今あるもの”を数えるのは、この世界と自分自身をつなぎ留めるためにする、「最低限のできること」だったんだ。つまり、自己防衛だったのか。私は大きく息をつき、強ばっていた肩の力が抜けるのを感じた。

人や物やツールにあふれたこの世界で、「私は何も持っていない」と思いながら、生きていけるわけがない。今、自分が確かに持っているものを数えなければ、人は容易に最悪の選択をしてしまうのではないか。だから私たちは、最低限“今あるもの”を数えて、己の生命をつなぎ留めていかなくてはならなかったのだ。

これは、2023年最大の発見かもしれない。出口を抜けて、外へ出る。11月下旬にしてはぬるい風が頬をかすめた。「生か死か」を悩むほど追い詰められていた私の口角が、わずかに上がっている。だって、面白い。面白すぎる。あんなに「今あるものを数えたって何にもなんねぇんだわ」と馬鹿にしていた私が、咄嗟に今あるものを数えて、生命をつなぎ留めようとしていたのだから。あー、やばい。おかしくて笑っちゃう。

しかも、「今あるものを数えましょう」の本当の意味に、自分でたどり着いたことが、また面白い。本を読んだり、人から教えてもらったりして気づくこともたくさんある。けれど、自分の体験を通して「わかる」ことほど、面白いことはない。毎日こんな大発見があるわけじゃないけれど、たまにこういう発見があるから、生きることはやめられないのだ。

いやー、生きるって楽しいじゃん。

私の中の越前リョーマがそう言っている。すると、ちょっと涙が出た。夫に悟られないように、笑顔で鼻をすすって歩く。帰り道の足取りは、少しだけ軽やかだった。


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そのちょうど一ヶ月後、映画『ウィッシュ』を観た。ウォルト・ディズニー・カンパニー創立100周年の記念映画だ。主人公・アーシャの暮らす王国は、王様に自身の願いを託す風習があるという。折を見て王様が魔法で願いを叶えてくれるのだが、どの願いを採用するのかは王様次第。100歳になるアーシャの祖父は、王様に託した願いをいまだ叶えてもらえずにいた。

私は、「願いは身体の一部」という台詞が、妙に印象に残った。王様に願いを託した者は、心にぽっかり穴が空いたように気力を失って見える。願いを託すと、その願いが何であったのか忘れてしまうらしい。「私だったら、王様に願いを託すかな?」と、ポップコーンを口に運びながら考えた。

王様に願いを託して、順番待ちをしても、叶えてもらえる保証なんてない。それなら、私は自分でどうにか叶えるほうがいいなー。というか、「あとは王様にお任せ☆」なんて無責任なことはできない。願いにすら自分で責任を持とうとする私は、本当に真面目な人間だなと思う。それでも、ものすごく叶えたくて、だけど自分の力じゃ叶えられない願いだったら、託す価値もあるのだろうか。

たびたび、私は「夢なんてなければ、こんなに苦しい思いをしなくて済んだのに」と思うことがある。賞に落選したときや、誰にも読まれなかったとき、思うように書けなかったときに、そう思う。私に夢なんてなければ、書かずに生きていられたら。そうしたら、目の前にある平凡な日常を享受することができたのに、って。

でも、同時に、こうも思うのだ。夢を追いかけていない私って、充実してるのかな。何も書かない生活って、楽しいのかな。願いを王に託したアーシャの友達・サイモンは、気力を失い、目も虚ろで、生きているのに抜け殻のように思えた。それは、願いを失った私の姿でもあるような気がした。

ああそうか。「文章を書いて生きていきたい」という私の願いは、私の一部。つまり、「今あるもの」の一つだったのか。

馬鹿だなあ、私。せっかく見つけた願いを、簡単に手放そうとしていた。この願いを見つけたことだけでも奇跡だというのに。その願いがなかったら、今の私は存在していない。ここで文章を書くこともなかっただろうし、応援してくれている読者の方とも出会えなかった。さかのぼれば、大学だって進学していなかっただろう。私は、「創作の勉強がしたい」と思って大学に進んだのだ。つまり、あのキャンパスで夫と出会うこともなかったわけだ。

「願い」は、その人自身のアイデンティティなのかもしれない。私の願いは、間違いなく「私」を「私」にさせてきたものだった。この「願い」は、決して間違いではなかったのだ。


「文章を書いて生きていきたい」という願いを、私はしかと抱きしめる。友達や家族、夫。家や仕事と同じように、その「願い」そのものを数えていく。かけがえのない、「今あるもの」の一つとして。



★お知らせ:再春館製薬所様のWebサイト『読み薬』に、私のnoteのあの言葉が掲載されました~~!!
まさかこんなハッピーな出来事が起こるとは、昨年11月にはまったく思っていなかったです。書き続けてきてよかったね。
詳細は下記のnoteをチェックしてください^^♡


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