見出し画像

「聞く」技術を得る2つの方法

人間はつくづく話したがりな生き物だと思う。

全人類の「話したい感情」と「聞きたい感情」を抽出して数値化できたら9:1くらい、いや、10:0かもしれない。

僕はときどき「聞き上手だね」と言われる。
はじめは「そうかな?」と思っていたが、定期的に言われるので「まあそうなのかな」と思うようになった。

会話のプロでもなければ専門家でもない僕が、聞くということについて語ってみる。


聞く技術の前に、そもそも人はなぜあんなに話したがりなのか。

この理由は明白で、他人の話より自分の話の方が重要だからだ。人間は自分と関係の深い事柄に興味を持つ。

顔も知らない人の結婚報告には何の関心も湧かないが、好きな芸能人の結婚には驚き悲しみ、親しい友人の結婚は心からの祝福を贈る。そして、自分の結婚がそれらよりも重要なのは言うまでもない。

これは何気ない日常会話にも当てはまる。
友人が会社に遅刻した話は笑い話で済ませられるが、自分の遅刻は笑い事ではない。そうなると、自分以外の誰かの話を聞くというのは必然的に、最重要でない事柄について聞くことになる。

親しい人の話には自分が登場することも多いが、自分の話はすべて自分が中心だ。いつだって「ねえ聞いてよ」というのは子供で、「どうしたんだい」と耳を傾けるのは大人だ。

SNSにもその特徴がよく現れていて、Twitter(X)もInstagramもnoteも、基本的には発信すること、自分の話をすることがメインのコンテンツだ。「話したい」は人間の根源的な感情で、「聞きたい感情」というのは後天的に獲得するもののようだ。


「聞く」という技術を得る2つの方法。
その1つが「共感能力」だ。

自分がもし相手の立場だったらどんな気分になるか、どんな感情かを考えられる能力。

他人の遅刻を自分の遅刻のように考えられる、これができる人はかなり少ないだろう。

共感能力を意識することで、少しは相手の話に興味が湧くはずだ。

お互いがこの知識を持つことで、会話が活き活きとした豊かなものになる。

だが、この共感能力は一朝一夕で身につくものではない。

僕もそれなりに共感能力があるつもりだが、あらゆる人の全ての会話を自分の身に起こったことのように聞くのは難しい。

なので、次に紹介するもうひとつの方法をおすすめしたい。

それは「会話を音ゲーとして楽しむ」だ。

人類の9割、いや10割が話したがりだ。自分の話を聞いてもらうのが嫌な人などいない。

相手の話にいまいち興味を持てない時は、音ゲーを想像するといい。

話の流れを遮らない程度に相槌を打ち、詰まりそうになったら少し深く掘ってあげればいい。

流れてくる「相槌ボタン」と「深掘りボタン」をタイミングよく押せばいいのだ。

的外れなタイミングで「相槌ボタン」を押すと興味がないことがバレるので気をつけよう。

深堀りはタイミングはそこまで重要ではないが、ほんの少しの共感能力が必要だ。

ほんの少しの共感能力さえあれば、まったく知らない話でも会話を広げられる。

いや、むしろこちらが知らないことの方が、相手は話す内容が多くて楽しいのだ。


共感能力はなかなか難しいので、ぜひ会話を音ゲー感覚で楽しんでみてほしい。

話す側は心地よくなるし、聞く側も次第に楽しくなるはずだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?