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【エッセイ】イオンより愛を込めて

私には我が子も同然の愛おしい甥っこがいる。
時が経つのは早いもので一番上の甥っこはもう高校生である。
そう、まだ目も開いていなかった小さな命を恐る恐る抱っこしたあの日からもう16年以上が経ったのである。
同じ16年の年月なのに甥っこは一段一段大人の階段を上る【成長】であり一方私は徐々に傾斜が大きくなる下降線の【老化】なのである。
けれどもそれはとても喜ばしいことなのである。
ドラえもんが未来に帰ってしまう前夜、ジャイアンと死闘を繰り広げ、疲れ切って布団で眠るのび太を見守るドラえもんの斜め線の眼差しのように私は甥っ子の成長をしみじみ噛みしめる。

叔父バカだが幼児期の甥っ子が知育玩具のブロックの収納やパズルの暗記、ほとんど同じに見えるウルトラマンの人形にゾフィーだ、コスモスだ、帰ってきたウルトラマンだと即座に言い当てる知能に、この子は天才だと信じて疑わなかった。
将来は「天才てれびくん」のてれび戦士かな~なんてのぼせ上がったりもしていた。


叔父の私をまだ幼稚園児だった甥っ子が大声で呼ぶ。
「早くしないと他の子に取られちゃうよー」
そう急かすのは当時甥っ子を夢中にさせていたポケモンのアーケードゲームで一秒でも早く遊びたかったからである。
休みの日はイオンのゲームコーナーへ一緒に行くのがお決まりとなっていた。
どこ行く?は、どこのイオンに行く?と同義語だった。
甥っ子の中で今日はあそこのイオンのポケモンがレアなのが出るよという彼にしかわからないなんらかの法則があったようだ。

当時の甥っ子にとってイオンは夢の国。パラダイスだった。
店内を走ったら他のお客さんに迷惑だし危ないからよしなさいと言うと一瞬だけ言う事をきいて速歩きになるも我慢しきれず結局リミッターは解除され全力で駆けていった。やれやれと諦め半分でいたちごっこを繰り返すそんな日々が続いた。
小さな体で駆けてゆく後ろ姿は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

きっと連打しても出てくる景品は変わらないのだろうがゲームの液晶画面を見上げながら必死で汗をかきながらボタンを両手で連打する甥っ子を荷物を抱えながら見ているのがなんともいえず幸せだった。
無我夢中で遊ぶ甥っ子は夏でも冬でも髪を濡らして汗をかいていた。
ポケットタオルで汗を拭いてやって「のど渇いてないか?」とペットボトルのカルピスを手渡す。
ごくごくと一生懸命に飲む姿は餌をせがむひな鳥のように健気で愛らしかった。
後ろに誰も並んでいなければおねだり上手の甥っ子は言葉巧みに私から100円を手に入れ、気づけば私は両替機の前に立っていた。
そんなことを飽きもしないで繰り返されていた日々。

アイスが食べたいと甥っ子が言えばそこはイオン。カップだろうがバーだろうがモナカだろうが選び放題である。
だぶった景品やランク分けして収納したいと言えばそこはイオン。それ用のケースやファイルをおもちゃ屋や文房具屋で揃えられる。
お目当てのレアなポケモンをゲットした時の喜びようたるや直立不動で固まってジブリ作品の動きのように全身を震わせていた(「魔女の宅急便」の黒猫ジジのように)。
100、110、120と服のサイズもすぐに合わなくなり季節が変わる度にイオンでシャツも長袖もズボンも買った。
靴も、お菓子も、本も(付録目当て)、なんでもイオンで買った。
イオンにはなんでもあった。
必要なものはイオンで揃った。


そしてあっという間に、いつの間にかに甥っ子は高校生になっていた。
それだけ自分も年をとったということなのだ。
あんなに私のことを呼んでいた甥っ子も当たり前だがそれなりにある程度は素っ気なくなった。
もちろんそれでいいのだ。
私もそうだったように、甥っ子も自分の世界を築いている。そうであってほしいし喜ばしいことで安心もしている。
友達と過ごす方が楽しくもなるし、おしゃれもしたくなる。すっかり声も低くなった。
それでもまだ会えば私のことを呼んでくれる。それでいいのだ。でも、ちょっとだけ寂しい。寂しいというか感傷的な気分といえばいいのだろうか。まぁ、そんなところである。

そして珍しく久しぶりに先日たまたま甥っ子とイオンに寄ることがあった。その時のこと、昔はよくイオンに遊びに来てたことを甥っ子に話したら「イオンなんてなんもないし」と返してきた。
「なんにもないけどなんでもあるんやよ」
私はクククと笑いながら咄嗟にそんな言葉を甥っ子に返していた。

甥っ子にはもうイオンのゲームコーナーも本屋もおもちゃ屋も魅力のない場所になってしまったのだ。
でも知っている。わかっている。
なぜなら私もそうだったから。
だから咄嗟に動じることなく笑いながらあんな言葉が出たのだと思う。
私も高校生の頃は甥っ子とおんなじことを思っていた。
刺激に欠ける。物足りない。代わり映えがしない。どれもこれもなんか普通(イオンさん、これは決して悪口ではありませんので)。
でも、一周も二周もすればわかるんじゃないだろうか。お手頃であったかい靴下がそこにはあって、無難でもハイブランドじゃなくても着心地のよい生地のシャツもある。なんにもないと思っていたのに必要なものはなんでもあることを今の私は知っている。改めてわかった。この居心地の良さに落ち着くことを。慌ただしくない空間にほっとすることを。

幼かった甥っ子のワンダーランドだったイオンはいつかまた甥っ子の安心できる場所になることを私は願ってもいるしきっとそうなることをなんとなくだがわかっている。

甥っ子も私も、きっと多くの人たちもイオンにはじまりイオンにかえってくる。
イオンってそんな場所だと思う。

〜イオンより愛を込めて〜






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