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【詩小説】水仙の泉

多分に漏れず恥に埋もれた人生だった。
負けず劣らず日陰を歩いた人生だった。
そうはいいながらも多数の名作を世に遺した太宰治とは比較にならない恥の岩石、それが私の人生だった。
埃にまみれた部屋に割引シールの貼られた食パンやら惣菜のプラ容器が散乱して、ずっと前からシンクのパイプは詰まり、下水の澱んだ臭いがこみあげていた。

故郷は北の方。
日を浴びてこなかったせいか発想は大抵沈鬱なものばかり。
あぁ、とうとう気候のせいにしている。
私は既に腐りきっている。
排水溝の底辺で膝を抱えて塞き止めている悪臭の原因は私そのものなのだ。

が、こんな私でも、少し前までは人並みに笑っていたのだ。
珈琲が売りの洋食屋に上京してすぐアルバイトとして十年もの間働いていた。
おかげで珈琲には詳しくなった。
私の美味しいと思う珈琲をおまかせでという客に出すのが楽しかった。そして誇らしかった。

大概おまかせでと頼む客にはこだわりがない。
何が美味くて不味いのかあまり興味がない。
私は今まで文句を言われたことがなかったからそう断言出来てしまう。
十年以上勤めてきたにもかかわらず、私は接客なんて職種に向いていないことをはじめからわかっていた。

致命的なのは客を見下していたことだ。

人間に興味はなかった。
珈琲すら無愛想に注文してくる横柄な客に秘かに、そして静かに憎しみを抱いていた。
ほら、これでも飲んでろよ。
そんな悪態を頭の中で鮮明に描いて、差し障りのない店のアンティークな雰囲気に合う声量と声色でお待たせいたしましたとソーサーごと置いてやればいいのだ。

そんな客の中には感じの良い老婆もいた。
艶々のどちらかといえばゲレンデの白銀に近い白髪をまとめて後ろで団子にした80代くらいの老婆。
夫は何十年も前に他界し、お金には不自由していない悠々自適な平穏な余生を謳歌しているといった様子であった。

孫ほどの年齢の私にも敬語を使ってくれた。言葉が丁寧で気品があって、私はこの老婆の客には同じ目線で接しようと心がけていた。
同じ目線というのは人間として扱うことを意味していた。決して心を許すとかではない。ただ、他の横柄な輩とは次元が異なるというわけなのだ。

ある日老婆は私に生まれはどこか聞いてきた。
北の方だと曖昧に答えた。
私は自己開示をなるべく避けていた。
近づいてくることを拒んでいたからだ。
それでも老婆は、そうなのねとニコニコ頷いていた。
ホットコーヒーにミルクを足してスプーンでくるくるかき混ぜながら。

役者になりたくて上京したんです。

私はなぜあんなことを自分から打ち明けたのか今でもわからない。が、老婆にポロリと話していたのだ。
そうなのね、すごいわね、なんて老婆はまるで私を褒めるように呟いた。
回りには他の客もいなかったし、まぁいいかと少し心がうわついたが平静を取り戻してカレーの皿を洗っていた。

昼は洋食屋でアルバイト。
夜は小劇団の稽古で毎日が終わっていた。
チケットをさばけず自腹で支払い洋食屋で紙ナプキンと同じ扱いで配っていた。
そんなことを何度も繰り返す内にカウンターのいつもの横柄な輩たちにさえ受け取ってももらえなくなった。
はじめから渡しても一度も観には来てくれなかった奴らだ。こちらも捨てるよりはと人の手に渡したかっただけなのだ。だが、こんなあからさまな迷惑顔をされたのではびりびりに破り捨てた方がせいせいするというものだ。

だが、白銀の老婆だけは目録を授かったようにありがとうねと掲げて頭を下げてくれた。
そして下北沢の小さな会場の後ろの隅の席にちょこんと座って観劇しに足を運んでくれたのだ。

翌日、老婆は店で良かったよ、本当に立派だったよとありきたりな労いの言葉をかけてくれた。
感想という感想などこちらも期待していない。
この老婆はきっとシェイクスピアもつかこうへいもわかっちゃいないのだ。
気品はあるが芸術には疎かった。
私は一度老婆を試したことがあった。
原作に忠実な舞台だったのだが、ヒロインが毒殺される場面は僕があそこでそうさせましょうと提案したんだと嘘をついたことがあった。
案の定、老婆はそうなのね、すごいわ、そっちの方が断然面白いわなんて私の話に合わせたのだ。
やっぱり何もわかってないんだ。この老婆は同情してただ観にきてくれてるだけなんだと。
私は底意地が悪いと後になって自己嫌悪に陥った。

十年近く同じ暮らしを繰り返し、いつまでもアルバイトから抜け出せない。私は苛立っていた。くだらないことで劇団でもめごとを起こしてしまった。勢いにまかせてパイプ椅子を蹴り辞めてやる!と、啖呵をきった。
翌日、洋食屋に劇団の関係者がやって来た。
考え直せよと声をかけてくれると少しでも期待した自分が情けなくなった。恥である。岩石みたいな大恥である。
関係者は私の荷物を届けてくれただけだった。
辞めるなら後を濁すなと言わんばかりに。

白銀の老婆はいつも通りにコーヒーカップを軽く揺らしていた。

「せ、先生?」
劇団の古株が白銀の老婆に声をかけていた。
あら、お久しぶりですねと老婆は古株に挨拶していた。
先生?
私は事態をのみこめずに、慌てる古株を横目で睨んでいた。

白銀の老婆はかつてアングラの仕掛人と呼ばれたやり手の演出家であった。
自ら舞台に立つこともあったそうだ。
知る人ぞ知る、といった70年代の演劇界では有名な存在だった。

私はそんなことも知らず子供じみた戯言を老婆にかけていたのだ。
私は今すぐにでもこの場から立ち去りたかった。
全身の毛穴という毛穴が一斉に開き寒気と震えと火柱が頭のてっぺんから噴き出すような感覚に襲われた。

「また明日ね」
老婆はそう言い残し五百円玉を一枚置いて店を出ていった。

劇団の古株は頭をさげて老婆を見送っていた。

それが私と老婆の最後の会話になった。
その日で私はアルバイトも劇団も辞めた。
あれから一年、私はアパートの部屋と激安スーパーの往復の日々を過ごしていた。

もうすっかり日が暮れるのがはやくなった。
私はトイレの電気をつけようとスイッチを押した。
が、つかない。
台所もリビングもスイッチを押してもつかなかった。
郵便受けから雪崩落ちている封筒やチラシの紙の山が目に入った。

あぁ、電気が止まったんだな。

それにしても不思議だ。
真っ暗なトイレの中で鍵までかけて、便座に腰をおろし天井を見上げた。
目が次第に慣れてくる。
それが青い夜空のようで、想像すれば星座が浮かんできそうだった。
落ち着く。
この安堵感は上京してはじめてのものだった。

トイレのレバーを回した。
水の流れる音が頭をうねって龍が雲を突き抜けて天へ昇っていく。

部屋は外よりも闇深く六畳一間が果てしなく続く森のように思えた。

私は外へ出た。
毛玉が模様と化した薄いスウェットに晩秋の夜風が針のようにすり抜けてきた。

部屋の甘ったるくて重苦しい空気が背中から逃げていく。
これが恥の匂いか。
生きた証の匂いとは、軽い。軽すぎる。
あっという間に空気が入れ替わった。

私の体に染み付いた恥は消えぬか。
そして街の灯りは眩しすぎる。
都心から遠く離れた東京の隅でもこんなに眩しい生活が広がっている。

北の方では何も意味をなさない街灯がほんの一部の用水路を照らしていた。
一年中激しい流れの用水路は何をのみこんでいたのか。

明日水道が止められても私はこの岩石にしがみついて生きていくのだ。
恥にしがみついて生きていくのだ。



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