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子どもたちに見る「人間力」

あるとき取材で訪れた学校で、すごい高校生たちに出逢った。


すれ違えば、私の正面に回って頭を下げて挨拶。先生や私が椅子に座っていたら、忍者のように片膝ついて話す。私がカメラ機材を運ぼうとしたら、すかさず手を貸そうとする。それもすべてが自然体。


こんなことできる高校生がいるんだ!と衝撃を受けた。そして戸惑いながらも思った。この子たちがさらに大人になって社会に出たとき、その気配り、その礼節、ひいては“人間力”は周りから一歩も二歩もリードしているだろうと。



仕事柄、学校を訪れることも多いが、足を踏み入れた瞬間にどんな学校か分かる。その学校がどのように生徒たちを育てているか、そして生徒たちがどんな風に育ってきたのか、見えるのだ。


衝撃を受けた高校生たちはとにかくきっちりしていたが、そういうことばかりが重要ではないと思っている。ラフで全然構わない。タメ口をきいてきたとしても、私はあまり気にならない。ただ一つ、私の中で“人間力”の判断基準としているのは、「ちゃんと目を見て初対面の大人と話せる」かどうか。


高校生にもなればそんなことは当たり前にできると思うかもしれないが、決してそんなことはなくて。人の目を見て話せない子は意外に多い。もちろん年齢的に照れとか、人見知りとか、そういうことはあるかもしれない。でも成長の過程で、人の目を見て話すことを教わってきたか(あるいは自ら学んできたか)はその子の印象を、ひいては人生を大きく左右するかもしれないと思うようになった。



息子(小1)が所属する少年野球チームの上級生やOBと話していて、確信をもったことがある。


彼らは監督やコーチ、父兄など大人と話すことに慣れていて、本当に屈託なく「ねぇ〇〇のお母さん」とまっすぐに目を見て話しかけてくる。6年生ともなれば、屈託のなさは変わらないながら、大人にはきちんとした態度で接している。もちろんまっすぐ目を見て。


OBの中学2年生に至っては、私が誰のお母さんか分からないにも関わらず、その態度は感動するほどだった。あぁこんな風に息子にも育ってもらいたいと心から願った。


彼らを見て思う。小さい頃からある程度大人と接する機会を持つことは、思っている以上に大切なのかもしれないと。もちろんその「大人」は愛情を持って接してくれる人たちという前提で。親以外に息子を愛を持って叱ってくれる、大切なことを教えてくれる大人たちがいてくれるありがたさ。


もしかしたらそんな環境の中で、私に衝撃を与えた高校生たちも育ってきたのかも? もしまた彼らに逢えたら聞いてみよう。


ちなみに…私の話をするならば、小学生のときに大好きだったタレントの西田ひかるさんが人の目をまっすぐに見て話しているのを素敵だなと感じ、真似してそうするようになった。それがいつしか習い性となり、「ホントに人の目をまっすぐ見るよね」「目ヂカラありますよね」と、タレ目にも関わらず、よく言われるディレクターになった。


そんな風に学ぶ人も、まぁたまにはいる。


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