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母の生け花

実家の玄関はいつでも美しい花々が出迎えてくれる。母が生けることを欠かさないからだ。独身時代から生け花を習い、家のことや子育てで忙しい時でも、唯一この習い事だけは続けていたのを覚えている。



そんな母を取り巻く状況は、ここ数年で変わりつつある。脳梗塞の後遺症で体の機能が少しずつ衰えてきている父を、母が寄り添い、支えている。


離れて暮らす私と家族は、かつては一ヶ月に一度は帰省していたが、コロナでそれが叶わなくなった。半年以上ぶりに両親のもとを訪ねたからこそ、父の状態や介護の状況の変化を痛感することとなった。


母は私たちが帰省する前、電話でこう話した。「お父さんの状態は、あなたたちが知っている頃からだいぶ悪くなってるから、驚かないでね」と。そうなのだ。母はいつだって父の威厳を守ることに尽力してきた人だった。


3年(と少し)前、父が叙勲を受けた。本当に情熱を持って真面目に仕事をする人で、職場では数々の伝説を残したそうだ。「より多く給料をもらっている立場にいるのだから、責任は私がとる。だから思いきってやりなさい」と部下を鼓舞する上司だったと聞いたことがある。父のようなリーダーは理想だなと、私も仕事をするようになって思う。


ただ仕事に情熱的な人だっただけに、家のことは母に任せきりだった。本家の嫁として、かなり気の強い姑(私にとっては優しいおばあちゃんだったが)や義姉・義妹、親戚関係回りの対応をし、母として、私と兄の子育てをほぼ一手に引き受けていた。


私に息子が生まれて、その成長の様子を話していたとき、母がふいにつぶやいたこと。「私、あなたたちが小さい頃の記憶がほとんどないのよねぇ」
その一言が母の大変さを物語っていた。


父の叙勲は、母の叙勲でもある。母の寄り添いと支え、そして働きかけがあったからこそ、父は仕事に全力で打ち込むことができたのだから。私がそう伝えると、「お父さんもそう言ってたわ」と母。その嬉しそうに微笑んだ顔が忘れられない。(それをきちんと分かっている父もまた素敵だと思った。)


父が介護の必要な状態になった今なお、母は父の身なりをきちんと整え、父がその威厳を保てるためにどうするのがよいか、いつも考えてお世話をしている。


家の顔である玄関の在り方は、そんな母の心の現れだと思った。介護の仕事をしている方の話を聞くと、要介護の人がいる家は玄関にモノが置いてあったり、散らかっていたりする場合が多いのだという。でも母は玄関をいつでもキレイにし、お花も欠かさない。そんなに大変な状況であれば手を抜いていいのにと私は思うのだが、母は自分にそれを許さない。


父の威厳を守ること、玄関をキレイにし、生けたお花で人を迎えることは、母の信念であり、もしかしたら意地なのかもしれないと思った。

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年末に帰省した際、私と夫で玄関の窓や扉、周りの壁を掃除したら、母がものすごく喜んでくれた。どんなにキレイにしていても、上の方のガラスなどは脚立がないと拭けなくて、ずっと気になっていたようだ。母が喜ぶことをしてあげられたことが私にはただただ嬉しかった。それはきっと父の介護を母に任せっきりという罪悪感が私の中にあるから。


母の動きを見る限り、私には父の体を支えるくらいしかお世話をすることができない。威厳に溢れていた父が老いていく姿をどこかで直視できない自分がいるのだと思う。情けないが、それが今の自分のキャパだ。だからこそ母の気丈さ、その気概に敬服する。


父に対してできることが少ない今、母のために私ができることをやろう。そう改めて強く思った、今年のお正月である。


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