見出し画像

【映画】 ウンタマギルー

久々にウンタマギルーを観た。以前に観たのは高校生の頃、友人が映画のパンフレットとサントラのCDを学校に持ってきたのが最初で、その時の豚の顔写真の鮮やかさと妖しさ、そして暑苦しい楽園のような音がとても印象に残っている。

ストーリーは日本返還直前の沖縄を舞台に、ニライカナイから預かっている豚の化身と関係を持った事で死ぬ運命となった主人公がキジムナーの助けで霊力を授かり、沖縄の返還派と独立派の対立のなか活躍するという英雄譚。歴史的な背景を軸に、琉球版鼠小僧の運玉義留の伝説やキジムナー等のいくつもの沖縄のフォークロアが重ねられる。

キジムナーやニライカナイの神などは普通のおじさんの姿で現れるし、夢の中を覗いたり過去を辿る力を持つ人、豚の化身、真実を見抜ける人、動物を血液を交換して愛を深める人、過食症の人、占い師なども含めて全てが対等で同じ人間として描かれる。霊感のある人も普通の人から言わせると「神がかった人間には手を焼くね...」と言われる始末。
土を食べるシーンや、占い師兼娼婦、浮遊する人など、「百年の孤独」要素満載。神の存在も神秘の力も人間の怠惰も官能も、全てが日常であるマジックリアリズムの世界。

そして物語は永劫回帰する。オープニングで槍に刺された英雄はギルーとなり、ギルーはサンラーとなり物語は繰り返される。英雄のギルーも英雄となれず森でミイラとなったギルーも、様々な時代を少しづつ形を変えて延々と繰り返してきたこのサイクルは、最後に琉球が琉球でなくなる事で爆散して回帰を止めてしまう。日本の統治化によって琉球の文化は伝承のサイクルを終えて消えてしまうのだ。

また、映画の全編にわたり、字幕付きの琉球語で語られているが、その琉球語ですらかなりの英語が混じった言葉となっている。そしてギルーと敵対する鈴木動物商会(名前的にもおそらく大和人の象徴)の人達だけは標準語を使い、サンラー期の親方も最後に標準語に変わり「これからは沖縄は日本だ」といって爆散する。

今思うと、小林薫、戸川純、照屋林助、平良夫婦、ジョン・セイルズなど、演者の顔ぶれも豪華で見どころ満載。

多様な文化だった日本。大和人が失わせてしまった文化と言語。途絶えた物語。歴史に翻弄された人々。皆が非日常的な事を非日常だと共通認識してしまう前の感性。南国の海と太陽。三線の音と唄。そして輪廻する物語。などを思いつつ、昔の思い出補正も加って素晴らしいトリップムービーだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?