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夜間中学との出会い

私は、娘が小・中学校に進学する過程で特別支援学級や児童発達支援、
発達障害をはじめとする単語と接することになったのですが、
それより前から、沖縄の夜間中学、「珊瑚舎スコーレ」の存在を気にして
いました。

最初は、一年に5度も訪れるほどに沖縄を好きで通ったのです。
大学の当時はチャットルームによく大学のパソコン室から入って、誰かと
よく話してました。(タイプ打ちが速くなる訓練になりましたよ!)

チャットルームは沖縄在住の人や沖縄が故郷の人、沖縄好きだけど
内地(本土)に住んでいる方が出入りしていました。
そのチャットルームのオフ会が那覇のクラブハウスでやるというので
行っちゃったんです😁若かった。

沖縄は、洋服屋さんのお店がキャンペーンしていて、1等の景品で
当たった旅行の行き先なんです。
きっかけこそそれでしたが、何か大学受験に失敗してモヤモヤしていて、
かといって何とか自分で都合しないといけない。それを何故か沖縄がたくさん
癒してくれました。

何かの折りに、沖縄に自主夜間中学があるというテレビを見ました。
沖縄は唯一地上戦を経験した場所。
当然日本本土でも、一家全滅した方や各地が
空襲により焦土と化し、戦後生き抜くだけで必死で
読み書きそろばんさえさせてもらえなかったり、
学校に行けても見た目(かっこうだの風呂が入れなくて
におうだのという話)に引け目を感じて行く足が遠のいて
いったという話はかなりあるのです。
それが、沖縄だと本土の倍、いえ、5倍以上は
聞けば出てくる話なのです。
京都は土地を掘れば文化財ですが、沖縄は工事を
しようとすれば毎日のように今も不発弾ですから。
悲しいかなレベルは同じ。

となると、耳学問で商売はできても、運よく結婚出来て
子供を授かっても、今度は子供の通う学校のことでの
モロモロ、学校だよりを読むとか、集金とか、用具の
用意とか、記録をするとか、ちょっとしたことを経験
できなかった「つけ」が回ってきて、子供が子供自身で
学校のお便りの返信を書いて提出することがあったと。
(今だと、外国ルーツの生徒たちが親の通訳で自分達が
回答を提出するのとレベルが似てますね。)

お寺のお経本や、聖書の聖句など、最初はぶつぶつと
耳から入るだけで良く分からない「お念仏」も、文字を
学び、中身の解釈を聞くと、何が書かれているかが
わかり、「本」としての仕事が果たされます。
この「解釈を聞く」というのは、漢字を勉強する事も
日本人には含まれると感じます。なぜなら、ひらがなカタカナは
読みだけで、ある種のアルファベットです。しかし、漢字は
音と同時に意味も含まれるため、漢字を学ぶと、書いてある
内容が理解できるようになるのです。

沖縄のおじぃやおばぁもたくましい方はとても多かったようですが、
「めんそーれ!化学」(盛口満 著・岩波書店)でも出てくる話で
「あい、サーターアンダギー作る時のふくらし粉(重曹)って、
だから必要なわけねぇ。」とか、「石鹸って水をちゃんとつけないと
泡だたないよねぇ。言うだけで理由がわからんかったけど、そういう
話なんだねぇ」など、それまで生き字引のような体験の豊富さから
「この動作が必要な理由」「この材料はこのためにこの分量必要」
という「論理」を化学を始め理科や数学で学ぶと、「年寄りだから
難儀する」とか言いながらも、生活に化学や計算が隣にあるという
事が肌でわかるので、納得して授業で学んでいるとの事。

珊瑚舎スコーレは折に触れ本やテレビで見ていたのですが、
その後娘が小学校に上がった2016年以降、今度は
岡山の自主夜間中学校についての特集がテレビで
放送されていました。
本土ではそんな話は皆無とは言わずとも、沖縄より少ないと
思っていましたが、たまたま私の母方の祖母が元教員で、
ものすごく学歴主義の塊だったのが私にも影響している部分が
あります。恥ずかしい話、周りの大人は成績をあいさつ代わりに
聞いてくるため、母が「まぁまぁって言っておきなさい」と
仕込まれ、以後切り抜けるための技として「まぁまぁ」と
私は返答していたのです。しかし、成績は?どころか、
お金がいくらあるとか、電車でどこまでいくらの切符を買うとか、
ある種の生活の「初動操作」でつまずいている人間が、お年寄り
だけでなく、実は私たち前後の人間でも、そして現役の小学生
中学生高校生でもいるということ。だから、もう一度やり直したくて
どうしたらいいか困っているという人がある先生のもとを訪ねて
吐露した時、先生はショックを受け、自主夜間中学や夜間中学の
システムを協力して作り上げ、募金を募ったりして活動中だと
言う内容でした。

この先生は、城ノ内庸仁(しろのうち のぶひと)先生とおっしゃり、
本来は岡山の公立中学の英語の先生だったそうなんです。
現在出向で香川県三豊市にできた市立中学の夜間部の英語の先生に
なっています。全国各地の夜間中学設置委員会にも、演説や
シンポジウムに呼ばれては、戦っています。

私が出来ることは子供たちの使い終わった教科書を寄付することくらいです。
これまで二度送りました。市立夜間中学ならば教科書は配布されますが、
自主夜間中学では当然教科書なんぞありません。使い終わった教科書で
一年間保存したものを送るので、下手すると2年下のものになってしまう
話ですが、岡山の夜間中学で第二の人生を送っています。

夜間中学に関わっているわけではないものの、興味を持つと
いろいろつながるご縁はあるもので、この城ノ内先生から
直接去年の年末、夜間中学のシンポジウム良ければ、と
ご案内をいただき娘と参加しました。

また、ニュースでも「親御さんが貧困で働いてばかりで
家におらず、小中学校に通ったことがない30歳が、自主夜間中学で
勉強して、今定時制の高校に行っている。将来は教師になって
私みたいになってしまうような子を一人でも減らしたい」と
言う衝撃的な話を耳にすることもありました。

AI問題だなんだとかで世界は話題になっているときに、
そんなびっくりな話があるものかと考えさせられました。

かつては、定時制にしろ通信制にしろ、昼間(ないしは
交代制の勤務、例えば看護婦や鉄鋼所の三交代制など)
働いている人達が高校で学びたいと言った時に通うもの
でした。しかし、今は全日制に通う子が割合的に圧倒的に
多数を占めます。その中で今も存在し続けるのは、システムを
必要とする人達が何の理由であれ選んでいるからです。
全日制が昼間の人の多い場所ですから、当然ながら、
通信制や定時制は人の多いところを好まない、また朝から昼に
体がいうことをきかなくて困っている、昼間に一つ大きな
ことをやっているため物理的に建っている学校へ通わねば
ならないことが負担になっている場合などは、この制度を持つ
高校は選択対象になるのです。

高校も大学もかつてよりは減りましたが、それでも夜間部や通信制が
存在します。そして、それを選んで学べます。
しかし義務教育である小中学校は、高校でいうところの全日制、
俗にいう一条校(確か教育法のなんかの第一条で決められてるからなんだそうだ)
しかありません。
高校は行こうと行くまいと自由ですから、事情に合わせて選べる。
でも、このご時世不登校30万人もいるんですよ。
最初の小一だけは手続で通わねばならないという事を
言われても我慢できたとして、せめて小二からでも
通信制や、お昼間から通うとか、夜ならいいとか、
どうせたくさん統廃合された学校はたくさんあるんです。
小規模校もたくさんあります。教育熱心な親御さんの
お子さんは言われなくても通う学校調べてては打ってますよ。
どうしたらいいのか悩んでいるけど引っ越す手間は大変なこと
だからそのままの現状という人の方が大多数ですよ、不登校の
方を紐解けば。法律を改正して、小中学校にも、通信制や定時制が
できたらこの国は随分と変わるでしょうね。現役の小中学校の先生達に
放送大学を使って特別支援学校の教員免許も義務で取得させたら
変わってくるかもしれません。

明治から教育だけはなぜか予算がつくのが最後なのが慣わしの様です。
人は財なりとどなたかおっしゃったのに、その人の形成を担う学校の
環境はいつも遅れる。

戦後すぐに夜間中学が全国に存在していたのに、今は「あってはならない」
存在の扱い。でも、それでいいんでしょうか?学校に行きたい、学びたいのに
今のシステムでは合わなくて困っているから不登校になっているのに、または
我慢しながら通っている人もいるのに。
学校の先生達も、日本全体として、何でも全てを抱えすぎて倒れて死んじゃってる
先生方もいて悲鳴を上げて問題提起すべきなのに、我慢しすぎて休職に追い込まれている率が高い職業です。夜間中学の存在を叫ぶ城之内先生や珊瑚舎スコーレ、
娘に関わった特別支援学級の先生方や学校の先生方の実情を見ていたら、
時代も令和になって、コロナとの付き合い方も次のステージに移った今、
親として考えるだけでなく、大学で「システムの大変革」をできないだろうか、
せめてどうやって提起していったら全国の小中学校に行き渡るだろうか、
法律をきっと変える話になるのかもしれないけれど、今の時代にあった
システムを考える様になっていました。
あと5年ほどは、放送大学で、教育学系と心理学についての基礎を
勉強しようと思っています。下地づくりです。

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