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【骨髄ドナー】12年越しの一歩

39と生きている頃から、39が沢山の輸血をいただいていたのでお礼献血を定期的に行なっていました。
39とバイバイしてからエヴァンゲリオンの展示をしているという情報を聞きつけて、秋葉原の献血ルームに定期お礼献血に行きました。
ホテルみたいなキレイな施設で、お菓子食べ放題。
サロンのようなソファベッドに横になりながらの献血は、何か勘違いしてしまいそうな空間でした。
そこで骨髄ドナーに登録しました。最初の数年は、いつお呼び出しが来るのだろう?とちょっとワクワクしながら待っていましたが、全くお呼び出しはこなくて、もう、最近は骨髄ドナーに登録していることすら忘れておりました。

骨髄バンクより連絡がきました

SMSで「あなたのHLAが一致しました」というメッセージがきました。
最近は、SMSでの迷惑メッセージ多くないですか?ですので、無視しましたよね(笑)
後日、噂のオレンジ封筒が届き、あのメッセージが本物だという事を知りました。
なんと、登録してから12年越しの骨髄ドナー候補のお知らせでした。
その後の流れは、数回に渡ってレポしようと思います☆​

どうして39だったのだろう?

39とバイバイしてから、ずっと39がこのような経験をした意味を探していました。
ずっとずっと迷走していて、大学に編入したり、国家資格を取得してみたり、病院で活動するための研修を受けてみたり、本当に沢山チャレンジしましたが、何を取得しても何を学んでもぽっかり空いた穴は全く閉じることがない。
どうして我が息子が症例のない病気にかかったんだろう…大きな病院に一度もかかったことがなかった私が、大学病院で出産のために長期入院し、39の付き添いのために病院に住み込み、そして自分の腕の中で39を見送ることの意味が全くわかりませんでした。

骨髄採取した先に

骨髄採取した先にも、私が思っていた答えはありませんでした。
骨髄採取の経験も私の疑問には答えてくれなかったけれど、どこかの誰かが確実に存在して、その方の人生の選択肢を増やしたことは間違いないです。
骨髄提供した施設のスタッフ様よりお手紙をいただきました。あ、現実なんだ。って実感しました。
そして、
「私の骨髄ちゃん!どうか、患者さんにうまく定着していいこで患者さんと共に生きてよ~」と祈っている日が続きました。
今は、それでいいのかもしれません。
そうしてちょっとずつ私の分身が誰かの人生の選択肢を増やすのも悪くない。なんなら、この記事だって誰かの人生の選択肢を増やすのかもしれません。

「私の記事ちゃん!どうか、骨髄ドナーになるか迷っている人の背中を押したり、こりゃできない!って感じてもらったりできるようなコトバ達になりなよ~!」

という願いで締めくくろうと思います♪
少しづつ、骨髄ドナーについての記事を増やしてゆきますのでおたのしみに☆


#一歩踏みだした先に
#骨髄ドナー
#骨髄採取
#生きる意味

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