コリドー街の魔物。

弱った。「弱」という字をピンっと伸ばすと「羽」になることに気がつく。ああ、そうだ、こんな時だから、羽を、伸ばすのだ。

まさかこんなにあっさりと、あいつと別れることになるとは思いもしなかった。付き合って4年半、27歳、あいつは31歳。いよいよかと思っていた、私が甘かった。あっさり、乳も目も大きな女について行ってしまった。先方は29歳。勝利の味はさぞ大きいだろう。ただ、あいつきっとまた浮気するんだ。そうに決まってる。
畜生。
とにかく酔ってしまいたい。
コリドー街の入り口付近にある雰囲気のあるバーを見つけて、ドアの前を2回往復、財布をチェックして念のためコンビニで2万円おろしてから、ぐっと息を吸ってドアを開ける。ひとりでバーに入るなんてはじめてで、オトナになったのだ、と成人してから7年生の私はふと思う。まわりからみたらそれなりのオトナに見える歳である。妙齢は、いつ迄だろう。

さらりとカウンターに通される。
何を頼めばいいかわからず、とにかく「強めのお酒を」とだけ告げる。バーテンダーは、細身の、目がなんとなく暗い男であった。笑うと暗い目がすっと一筋にひかる。暗い光。
「酔いたいんですか」
「そうです、それもなるべく、早く」
「わかりました」
男は了承すると、小さなショットグラスに黄色い液体を注ぐ。これは何か、と目で問いかけるが、男は黙って酒を前に差し出し
「気付ですよ、ヒトオモイニ」という。
くっと飲み干す。
甘ったるいレモンの味と、強いアルコールのせいで軽くむせる。ナンダコレ。
「どうしました」
暗い目が問いかける。
「4年半付き合ってた人がいたのです」
「はぁ」
「でも、お別れしたので」
「自由ですね」
「はぁ」
「思い切り羽を伸ばしてはどうです」
羽を、羽を伸ばす。
そうだ。
「じゃあ、この後コリドー街を歩いて、最初に声を掛けてきた人について行って、みます」
「ほう」
バーテンダーはグラスにまたとろりとした白濁したカクテルを注ぐ。それを早速、飲み干す。
「そんなに急に飲むものでは…」
「じゃあ、行きますので」
会計を済ませ外に飛び出し、勇み足で、コリドー街を歩く。前に進むのだ。前に、前に、前に。
コリドー街の端まで着いて、誰からも声を掛けられなかったことに気がつく。また、くるりと向きを変えて歩き直す。誰でもいいんだから、はやく、私を、泊めてよ。
誰も何も声を掛けてこない。私は透明人間になったように、サクサクとコリドー街を歩く。だめだ、泣く。
「あの」
ついに声を掛けられた。
とおもったら先程のバーテンダーだった。息があがっている。
「え」
「お姉さん財布、忘れてます。それにそんな早足で歩いてたら誰も追いつけませんよ…」
「…最初に」
「え?」
「最初に声を掛けたのはお兄さんでした」

#ショートショート

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