明るい道のど真ん中ゼミ生のノート

天ゼミ生が綴るアウトプットnoteです。 明るい道のど真ん中を生きる、別名天道ゼミ

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最近の記事

天ゼミフィールドワーク富山最勝寺写経③佑季

振り返って感じた事を書いてみるつづき。 般若心経の解説の後、写経に入る。 祈願のため..供養のため..ためを離れて.. 3つの中から、今日は何のために写経するのかを決めてから始めるとのことだった。 が、写経初体験な私。 書いている間に二転三転…。 湧き上がる雑念、雑念、、、 「ん?この漢字書き順どうだっけ⁈」 「ほ〜、よく見たらこの漢字美しいわ〜、この字好きかも」 「なんか見えにくい、次までにコンタクト度数あげるかな」などなど(笑) 写経は書く禅とのこと、間違いなく警策を

    • 天ゼミフィールドワーク富山最勝寺写経②佑季

      振り返って感じた事を書いてみる続き。 私は、幼い頃から日本家屋の作りや古い建具が好きである。お寺の本堂には何時間でも居られる気がする。広い空間に必要な物だけが必要な場所にある。 今回写経をさせていただいた空間も、スッキリと整っていて、写経をする前から既に自分の心まで整っていくのを感じた。 写経に入る前に谷内和尚から般若心経の解説を伺った。「空」の本当の意味するところが初めて分かった。(これは正しく記憶できていないかもしれないから、実際に聞いてみてほしい) 今まで何と無く、分

      • 天ゼミフィールドワーク富山最勝寺写経①佑季

        参加を振り返って感じた事を書いてみる。 初めての場所、初めての写経であるから、10分前には着いていよう!と決めて動いていたはずにも関わらず、やはりギリギリに駐車スペースに着く私。 これも深層意識の仕業なのだろうか。 私には遅刻癖がある。自動操縦で遅刻することになっているみたいに、余裕をもって到着できることは少ない。顕在意識では直したいのに、遅刻することにいったい何のメリットを感じているのだ。 そこで思い出す先日の次男の言葉。 「目立ちたい。僕、目立つの好き」 次男は舞台に立

        • 関係資本という繋がり

          ソーシャルキャピタルとは、 社会や地域における人々の信頼関係・結びつきを意味する概念。 何かを与えられた側が何らかの返礼を行うなど、相互に利益がある状態のこと。 私の人生の関係資本で重きを置いていること、 お礼はもちろん、アウトプット・反応すること。 与えていただける内容が 仕事・教育・部活動の指導の場合、 ・教えて頂いた内容が身についたこと ・選んで頂いたことに応えること この二点を強く意識して返していました。 →【伝わっていることを伝える】 私の本命星が四緑木星とい

        天ゼミフィールドワーク富山最勝寺写経③佑季

          信じ込み

          信じ込みとは、信じる気持ちの揺るがない様。 勘違いととても似ていますが、痛い勘違いではなく良い勘違いで自分の人生を設定する。 良い人生・楽しい人生だと信じ込めば、苦労や荒波も乗りこなせる。悪い人生・暗い人生だと信じ込めば、幸せがそこにあることも見逃してしまう。 『私の人生は毎日幸せだ』と信じ込み、日々の幸せに目を向けると、幸せなことで溢れていると気づくことが出来る。 今までは、不幸癖や悪い勘違いがあり、幸せに気づけずにいた。思考が結果を呼んで、悪い連鎖から抜けられずに

          気学と私

          気学を学ぶ前の私は、起こるか起こらないかわからない先の事を毎日心配していて夫からも妄想大臣と言われる程でした。 そして、寝る前には次の日の事を思い巡らせ寝付けず寝起きも悪い。 正に一白(月命)凶作用の悪循環。 そして、今日の講義で言うなら前頭前野、扁桃体、海馬が振り回されてる感じ(笑) そんな私が変わったのは、気学との出会いです。 最初は何となく興味ある程度でベーシック受講したのですが、吉方取りして終わりでない所が興味深く、色んな出来事を九星の象意に当てはめて捉える、凶をどう

          愛されていると感じたかった

          天ゼミ、課題図書「抱きしめよう、ぜんぶ」 私は、【良い子・しっかり者】と言われる事が多く、感情を抑えて、感情を伝えられない子どものまま成長しました。 子どもに関心が薄い父・多忙な母でしたので、母の一息つくタイミングで甘えたくても、『甘える=母の時間を奪う』と思っていました。 学生期間に想っていた相手は、私が求めるように、私の方を向いてはくれない。 「私は愛されない」と思う時期も度々ありました。 本を読み「ただ、愛されていると感じたかったんだな」と腑に落ちました。 今、我が

          愛されていると感じたかった