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NHKクローズアップ現代+「あなたはひとりじゃない〜性被害に遭った男性たちへ〜」(2021年6月24日放送)のインタビューで私が伝えたかったこと

はじめに

 2021年6月24日のNHKクローズアップ現代+「あなたはひとりじゃない〜性被害に遭った男性たちへ〜の中で、私自身が10代で遭った性暴力被害とその後についてのインタビューが放送されました。この文章はインタビューを受ける前に私が伝えたいことをまとめたメモに加筆修正したものです。とても長くなって、当日はNHKの記者の方が何時間もかけて丁寧にインタビューしてくださいました。もちろんそれをすべて放送できるわけではないので、番組内のインタビューを補完するものとしてこの文章を公開します。番組では短い時間の中で、複数の男性の性暴力被害者の方の貴重な話が紹介され、独自の調査をもとにその見えづらい悩みに正面から向き合っていただいたと感じます。この文章も番組と合わせてご覧いただければ幸いです。
 なお、この文章には性暴力被害についての詳しい記述があります。被害に遭われた方をはじめ、こうした文章を読むことに苦痛を感じる方はどうか無理をしないでください。「あなたはひとりじゃない」というメッセージだけでも伝わってくれたら嬉しいです。

1 性暴力被害に遭う

 高校1年生(15歳)、当時名古屋に住んでいた私は電車で一人旅に行くことにしました。あまり細かい計画は立てず、とりあえず北の方に向かう電車に乗りました。はじめは五日間くらいのつもりだったのですが、一人で自由に旅をすることは思った以上に楽しく、どんどん期間と距離を延ばして結局は二週間をかけて日本海側から太平洋側に東日本をぐるっと回るという長い旅行になりました。その中で様々な人に出会い、高校生だということもあっていろいろとお世話をしてもらうこともありました。私自身あまりお金を持っていなかったので民宿の方に頼んで手伝いを条件に安く泊まらせてもらったり、食事をご馳走になったりしながら旅を続けていました。
 そんな旅にも慣れてきて岩手県に入ったところでたまたま見つけたのが私が性暴力被害に遭った、その民宿でした。かなり無計画に旅をしていたので今となってはその民宿の正確な場所はわかりません。その時も民宿の40〜50歳代くらいの男性の宿主に安く泊まらせてもらえるように頼んで、食事の準備や掃除などをして二泊はしたと思います。その間宿主は、地元の祭りを案内してくれたりとても“親切“にしてくれました。宿主が用意した私の寝る場所は正式な客室ではなく、宿主の個人的なスペースの小さな部屋で襖を隔てた隣の部屋には宿主が寝ていました。私はそのことに何の疑問も危機感も感じることはなく、むしろ私を家族のように受け入れてくれる宿主に感謝すらしていました。
 しかし、明日にはこの宿を出ることを決めていた夜に「それ」は起こりました。深夜何か違和感を感じて私が目を覚ますと、私の布団に誰かが入り込んできました。はじめは何が起こっているのかわからず夢かと思いました。真っ暗で背中を向けていましたがそれが宿主だと気配でわかり、それでもはじめは宿主が私を驚かそうとふざけてやっているのかとも思いました。しかし、私の背中にくっつくように横になった宿主は無言で私のからだを、特に性器を執拗に触ってきました。また私の手を取って自分の性器を触らせてきました。その時の気持ち悪さは言葉にできませんが、二十年以上経った今でも思い出すと寒気が走ります。何かおかしいことが起こっているとは思うものの、当時の私には何をされているのかもわからず混乱していて、声を上げることも抵抗することもできず、ただただ身を硬くしてそれが終わるまでじっと耐えることしかできませんでした。今考えれば高校生の私には中年の宿主をはねのけるだけの力があったはずですが、その時はそんなことを思いつくことすらできず恐怖に支配されていました。
 実際にはそれほど長い時間ではなかったのかもしれませんが、私にはいつ終わるかもわからないほんとうに長い長い時間でした。私が何も反応しないことで、宿主はそれ以上のことはせず何も言わないまま布団から出て行きました。襖が閉まって一人になった後も、私はまだ動くことも何も考えることもできず、またやって来るかもしれないと怯えながら朝方まで物音に耳を澄ますことしかできませんでした。
 朝になってどうやって宿主と顔を合わせ言葉を交わせばいいのか戸惑っていた私に対して、宿主は“ふつうに”声をかけてきました。まるで「何もなかった」かのようでした。だから私もそう振る舞いました。その夜に起きたことを頭から追い出し、昨日までと同じように話をして宿の手伝いをしました。それが自分の心やからだを守る唯一の方法だと信じました。そのまま宿を出発する時になって、宿主は約束していた宿泊代を受け取りませんでした。私は「親切な宿主に二日間も“タダ“で泊めてもらった幸運な高校生」になり、そのことに「お礼」を言って宿を後にしました。私は、私に性暴力をしたその加害者に「お礼」を言って頭を下げたのです。もちろんそれは性行為の「同意」を意味しません。今はそのことが悔しくて仕方ありませんが、当時の私はそれが「性暴力」であることや、宿主が「加害者」であることも認識できませんでした。
 その後も私は「何もなかった」ように旅を続けて、家に帰りました。旅であった出来事を家族や友人に話しましたが、性暴力被害に遭ったことは誰にも話せませんでした。むしろ積極的に「楽しく充実した旅だった」「また行きたい」と語り、そうすることで自分自身にもそう信じ込ませようとしていたように思います。加害者はそうでしょうが、被害者であるはずの私も「何もなかった」ことにしようと必死に努力していたわけです。

2 性暴力被害のその後

 誰にも話せないまま性暴力被害から時間が経ち、頻繁にそれを思い出すことも減ってきました。ただ不意に不快感や恐怖、無力感に襲われることがありました。それは具体的な記憶というよりは感触や匂いと共に蘇るので、急に体調や情緒が不安定になることがありました。しかしそれも無意識に性暴力被害とは切り離すようにしていたために、それが「被害」の影響だと認めることが私にはできませんでした。
 今考えれば、それ以外にも私は性暴力被害の影響を大きく受けていました。一つは、それが友人であろうと男性との身体的な接触に不快感を覚えるようになったことです。性暴力を意識していたわけではありませんが、男性が近い距離にいると何となく「気持ち悪い」と感じていました。友人間では冗談のように「気持ち悪いから離れろよ」と言って接触を避けていたように思います。
 それに加えて、これは完全に私の偏見ですが、男性同性愛者に強い嫌悪感を感じるようになりました。友人との会話でも「ホモは気持ち悪い、嫌い」などと繰り返していた記憶があり、私のその差別的発言によって深く傷つけてしまった人がいたのではと今は深く後悔し反省しています。
 もう一つの影響は、男性同士の所謂「下ネタ」を避けるようになったことです。特にAV(アダルトビデオ)などの話になった時に、「痴漢」「レイプ」といった本人の意思に反して性行為を強要することを「ネタ」にして笑うような雰囲気にはついていけず(ついていく必要は全くないわけですが)、なんとなく居心地の悪さを感じていました。そうしたものを目にしてしまった時には、強い嫌悪感や吐き気を感じました。それでも男性同士の関係、所謂「ホモソーシャル」から離れることはできず、「男らしさ」「男ならこうするべき」といった価値観に染まってもいました。そのため、自身の性暴力被害についても「男として恥ずかしいこと」「男なのに抵抗できなかった自分のせい」と思い込んでいて、自分を「被害者」だと認めることを無意識に拒否していました。逆に自分が悪いことをしたような「罪悪感」が心の奥にあり、それもあって性暴力被害について誰かに相談したり、改めて調べてみたりすることをずっと避けていました。
 性暴力被害に遭うことよって、自分への無力感や罪悪感、他者への不信感が強まったように感じています。しかしこうした振り返りができるようになったのは被害から二十年が経った最近で、それまでは被害を「被害」とすら認識できない時間が長く続き、そのことがずっと自分や他者をほんとうに尊重する態度を育てることを阻害していたと思います。その間に家族や友人、そして教師になって出会った子どもたちをほんとうには大切にできず傷つけてしまったのではないかと今は後悔しています。取り返しのつかないこんな後悔を誰もしてほしくないと心から願っています。

3 性暴力被害を告白する

 私が性暴力被害を初めて告白できたのは、2017年12月のことです。当時の私は35歳で、被害から実に二十年が経っていました。しかしこれは珍しいことではなく、性暴力被害を告白するのに長い時間が必要だった人は多いと言います。それは私がそうだったようにそもそも自分に起きたことを「性暴力被害」として認識することが難しいことや、被害に遭った自分を責めてしまうことも理由の一つでしょう。男性の性暴力被害者の7割が「どこにも(誰にも)相談しなかった」という国の調査が2021年3月に公表されましたが、私もその一人だったわけです。
 私が自分に起きたことを「性暴力被害」と認識して話ができるようになった(言語化できた)きっかけは、2017年10月に複数の女性が映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる性暴力被害を告発したことで世界中に広がった「 #MeToo 」でした。はじめに欧米で起こったこの運動は、日本にも伝わりSNS上でも多くの人(特に女性)がこのハッシュタグをつけて自分に起きた性暴力被害を告白するようになりました。何人もの告白を読み、その声を聴くうちに、まさに「私も」と気づいたのです。ずっと具体的に思い出すことを避けてきた二十年前のあの夜の記憶が鮮明に蘇り、私も性暴力被害者だったのだ、と。それはいまだにこんなにも生々しい「傷」が自分にあったことを自覚することで強い痛みを伴いましたが、同時に「そうだったのか」と腑に落ちる感覚もありました。
 それから私は悩みました。長い時を超えて気づいてしまったこの事実を、一人では抱えきれそうにないこのモヤモヤした思いを、誰にどうやって話せばいいのか。そもそも話していいものなのか。私が目にした #MeToo の多くが女性のものだったこともあり、男性の私が性暴力被害を告白することにも躊躇いがありました。しかし、調べていくうちに男性の性暴力被害者もいることがわかり、私だけではないという思いが強くなりました。そこで、以前からTwitter上でフォローしていた小島慶子さんが小学校時代の被害を告白した #MeToo を引用ツイートする形で自分の性暴力被害を文章にしてみました。どう表現すればいいのか悩んで何度も書き直し、その短い文章をまずは妻に見てもらおうと思いました。ほんとうに初めて人に告白するので、とても緊張して「もし軽蔑されたり笑われたりしたらどうしよう、万が一そんなことがあったら立ち直れない」などと迷いましたが、意を決して告白すると妻は一言「つらかったね」と言ってくれました。それは「昔のこと」を話すような口調ではなく、まるで昨日ついたばかりの傷をいたわるような自然な言葉で、私はそれに救われました。
 それでも私は2017年当時から実名でTwitterをしていて、中学校の教師もしていたのでこの告白をすることには投稿する直前まで悩みました。しかし、多くの人の告白によって私自身が初めて被害を認識できた上に大切な人に告白できたことで、私も連帯したいと強く思ったのです。以下がその時私の #MeToo です(2017年12月7日)。


#MeToo に勇気をもらった。高校生の頃に一人で旅行するのが好きだった。ある民宿で親切にしてくれた男性に身体を触られた。何が起こったのか理解できず、何も言い返せなかった。ずっと家族にも言えなかった。20年近く経った今でも忘れられない。私はあらゆる性暴力に反対する、「私」を救うために。
この告白をするまで、すごく時間がかかった。書いては消してを何度も繰り返した。投稿するときには指が震えた。恥ずかしくはない。私は一切悪くないのだから。ただ私の傷が癒えていなかったことを私自身に教えてくれた。#MeToo が私の背中を支えてくれたように、私も誰かの背に手を添えたい。
性暴力被害にあって、「男のくせに」と自分を責めたことが私にもあった。今となっては恥ずかしいが、同性愛者に偏見をもち嫌悪したこともあった(ごめんなさい)。だがそれは間違っていたと今ならわかる。私は「あいつ」とそれを許してきた社会に思いきり怒ればよかったのだ。


 今もこの思いは変わっていません。多くの #MeToo が「私は悪くない」ということを私に教えてくれました。そして私がそうしてもらったように性暴力被害に苦しむ人の背に手を添える(「背中を押す」は強過ぎるように思うので)ように支援したいと思っています。メディアのインタビューに答えたり、この文章を書いているのもその一つだと思っています。
 こうして文字や言葉にする、「言語化」することで私は自分が少し変われたように思います。自分自身で被害を認識できなかった時は、前に書いたように自分が悪いことをしたような「罪悪感」が心の奥にありました。また「男のくせに」と自分を責めていました。性暴力被害に遭ったことは自分に原因があり、自分に悪いところがあるのだとずっと思ってきました。しかしそれが性暴力であり自分はその被害者だったと認識できたことで、それは「私の内にある見えない悪いところ」ではなく、「私の外についた見える傷」になったように感じています。もちろん傷はまだ生々しくズキズキと痛むこともあります。今も不意に不快感に襲われることがあります。しかし私はその傷を見て「ここにこんな傷がある」と理解して、「手当て」をできるようになってきました。それは傷が見える、「言語化できる」からこそできたことです。
 だから、性暴力被害に遭ってしまい、しかもそれを誰にも言えなくて苦しんでいる人に伝えたいことがあります。
 無理に被害を思い出したり誰かに話す必要はもちろんありません。でももしできそうなら言葉にしてみてください。その言語化の過程があなたの尊厳を回復するきっかけになるかもしれません。そして同時に、「私は悪くない、私はひとりじゃない」と自分に言い聞かせてください。私も悩みながらこの文章を書いています。今も自分を責めてしまう時があります。その度に自分で自分に何度も言い聞かせます、「私は悪くない、私はひとりじゃない」。
 もしあなたの大切な人が性暴力被害に遭ってしまったら(考えたくないことですがそれは誰にでもあり得ることです)、「あなたは悪くない、あなたはひとりじゃない」と伝えてください。「なぜあんなところに行ったんだ」「どうして抵抗できなかったんだ」などと被害者を責めたり、「自意識過剰なんじゃないか」「大したことじゃないのに」などと被害者を疑ったり被害を軽視するようなことを絶対に言わないでください。それは二次加害(セカンドレイプ)です。特に子どもと接する機会の多い大人(もちろん教師も)は、その一言がその子の人生を大きく傷つけるかもしれないとわかってください。

4 子どもたちを性暴力から守る

 私は、今は育児のために学校を離れていますが、もう十年以上中学校の社会科の教師をしています。その中でここ数年は特に目の前の子どもたちを性暴力から守りたいという思いが強くなってきました。それはもちろん自分の被害体験がもとになっていますが、 #MeToo をした後に学んだことが大きいです。自分の性暴力被害を告白するだけでなく他の多くの人の告白を聴く中で、これは個人だけの問題ではないことに気づきました。被害者の問題ではないのは当然ですが、加害者を罰するだけで解決する問題でもなく、被害者がその後も苦しみ続け誰にも相談すらできず性暴力被害が軽視されセカンドレイプが繰り返されいつまでも性暴力がなくならないのは、私たちの社会の中に性差別をはじめとする構造的な問題があるからです。
 それまで男性である私は、自分自身が性暴力被害者でありながら、身近にあったはずの“チカン”や“セクハラ”などの女性の性暴力被害に向き合うことはありませんでした。日常生活の中でそうした危険を意識しないでも生きていける「特権」に無自覚でした。もっと率直に言えば、私は被害者だっただけでなく、その問題に無関心でいることで加害者側(少なくとも傍観者)にも立ってしまっていたのです。これは私が被害者であるという以上に受け入れるのが難しいことで、それを乗り越えるためにはそれまで性差別に反対して積み上げられてきたフェミニストの言葉から多くを学び、自分自身のこれまでの言動を見直す必要がありました。自分の被害を認識して言語化したように、自分の加害についても認識して言語化することで少しずつそれまで見えていなかった様々な問題に気づけるようになってきました。
 そんな中、教師としての私にある「事件」が起こりました。私は社会科の授業の中で教科書だけでなくできるだけ多様なニュースを取り上げて子どもたちと話すようにしていました。私がいつも通り授業をしていて、たしか女性専用車両の話題になった時にたまたま出た「チカン」という言葉に数人の男子生徒が反応して笑ったのです。私は強いショックを受けました。こんな子どもたちの中にまで、性暴力を「ネタ」にして笑う偏見や差別があるのかと。きっとそれまでにもこうした場面を見ていたはずですが、はじめてそれに気づけたのです。そこで、子どもたちをこのままにしてはいけないと強い危機感を持った私は子どもたちの前で自分の性暴力被害を告白しました。もちろん被害の詳細は避けて、あなたたちと同じ子どもの頃に受けた性暴力被害を二十年経った今も忘れられないこと、性暴力はたとえそれが数分のことでも一生その人を苦しめるかもしれない重大な問題で決して笑っていいことではないこと、あなたの身近にいる大切な人が今も苦しんでいるかもしれないということ、しかし笑ってしまった子が悪いのではなく性暴力を軽視して笑っていいものとしてきた大人の社会の問題なのだということを伝えました。もちろん全員にうまく伝えられたわけではないと思いますが、子どもたちは真剣な顔で聴いてくれました。
 それから授業中のニュースの話題では差別や偏見について取り上げることを意識するようにして、できるだけ子どもたちが自分のこととして考えられるように話してきたつもりです。もちろん性に関することだけではありませんが、 #MeToo やLGBTなど性の多様性、社会や学校の性差別やジェンダーバイアスなど様々なことを子どもたちと話しました。そのせいか自分の性暴力被害や性的指向・性自認について個別に相談してくれる子もいました。これは私なりの「包括的性教育」の取り組みのスタートだったのだと思います。日本の学校で性教育というと主に保健体育科で性器などのからだの仕組みや家庭科で妊娠出産について学習するものというイメージが強いと思います。もちろんそれらはとても大事な知識ですが、それで十分だとは私には思えません。「寝た子を起こす」というように性について触れることをタブー視する風潮がやはり今の学校にはあります。しかし、「チカン」を笑った子がいたように、そもそも子どもたちは寝てなどいません。不正確なものも含めて性に関する情報は大量に子どもたちに届いていて、前に書いたように放っておけば子どもたちは社会の偏見や差別を内面化してしまいます。また相談できる環境がないために見えにくいものの性暴力被害など性について悩む子どもたちが確実にいます。それを放置したまま社会に送り出すのは子どもたちに対して教師としてはもちろん一人の大人としての責任の放棄です。そのため、幼児期から生涯に渡って自分と他者のからだと心、人権を尊重して関係性を作る知識と能力を身につける「包括的性教育」を、数教科だけでなく学校の教育全体を通して広く深く行っていくべきだと私は考えています。すでに国際的にはそうした「包括的性教育」が広く行われており、日本でもようやく文科省が「生命(いのち)の安全教育」として子どもたちを性暴力の加害者、被害者、傍観者にしないための教材を作成して推進しようという動きがあります。
 私自身、教師として親として「包括的性教育」についてどう進めていけばいいのか学んでいる途中です。まだ幼い自分の子どもたちには日常の会話や絵本などを通してプライベートパーツや性の多様性について試行錯誤しながら日々話しています。私たち教師や大人も十分な性教育を受けてこなかったので、子どもの前にまずは教師や大人が性について学ぶことがその第一歩になります。またそうやって教師や大人が学んでいる姿を見せることが、一度きりの授業や会話よりも子どもたちの学ぼうという意欲につながるのではないでしょうか。その上で教師や大人が上から教えてやるという態度ではなく、一人の人間として子どもと向き合い、子どもたちが学び選ぶ権利を尊重することが何より大切だと思います。
 こうした「教育」を日常的に行なっていくことが、子どもたちを性暴力被害から守り、また加害者にさせないためには必要不可欠です。そして自分や他者をほんとうに尊重できる子どもたちが大人になり社会の中心となることで、性暴力や性差別がない社会が実現していくと私は信じています。


おわりに

 6月24日のNHKクローズアップ現代+「あなたはひとりじゃない〜性被害に遭った男性たちへ〜」の放送を妻と一緒に観ました。インタビュー前からの緊張がやっと少し落ち着いたように感じています。ただもちろんこれで「終わり」ではありません。
 番組後に見たSNSには、この問題について真剣に考えてくれる方や自分の性暴力被害を告白する方が多くいて、私のインタビューに対してもメッセージをくれる方も何人かいました。ただ、悲しいことに「予想通り」偏見や差別の言葉も多くありました。私だけでなく他の被害者や出演者を中傷したり、性暴力や同性愛を「ネタ」にして嘲笑したり、「羨ましい」などと被害を軽視したり「信じられない」と疑ったり、「男だろ、人に頼るな」などと有害な男らしさを押し付けたりするなど、典型的な「セカンドレイプ」になる投稿がありました。私はあえてこうした反応も見るとインタビュー前から決めていました。それは女性が性暴力被害を告白したとき、特にその女性の容姿や年齢や被害状況がわかったときの、常軌を逸した量の悪質な「セカンドレイプ」をこれまで見てきたからです。その差を実際に感じて「私は男性でよかった」などと胸を撫で下ろすようなことだけはしたくありません。そんなことをすれば、私は「傍観者」に、さらに「加害者」になってしまうでしょう。
 今回番組で取り上げられたように、男性の性暴力被害には男性であるが故の困難があります。「男らしさ」の呪縛から被害を相談できなかったり、相談しても信じてもらえなかったり「ネタ」にされたり、相談できる場所や専門家がまだ少なかったりします。しかしそれらは「女性とは別の問題」ではなく、これまで多くの女性が悩み苦しんできた問題と裏表のようにつながっているものです。だからこそ「男性の性被害」が取り上げられたことに満足するのではなく、現実に圧倒的に多い女性の性被害から目を逸らさずに多くの人と連帯して、性暴力のない、そして性差別のない社会をつくるために何をすべきか考え行動していきたいと思っています。何より子どもたちを性暴力から守り、被害者にも加害者にも傍観者にもしないために。

2021年6月24日 鬼頭暁史

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