アリス・マンロー 『ディア・ライフ』

★★★☆☆

 現在のところ、アリス・マンローの最新・最後の短篇集となっている本作。2013年刊行(その後に出版されたのは過去の作品のようです)。
『林檎の木の下で』の帯に「これがわたしの最後の本」と書かれてましたが、その後にも『小説のように』と本作が出たので、これで最後かはまだわかりません。最後であってほしくないですね。

 執筆した年齢もあって、遠い過去のことを振り返っているものが多い気がしました。まるで人生のある場面を、ゆっくりと丹念に振り返っているような味わいがあります。培われてきた技術と視座によって彫琢された文章は完璧なまでに洗練されています。
 過去のものと読み比べてみても、それほど大きく文体が変わっていないように感じます。テーマやモチーフもそうです。自身の定める範囲を丁寧に時間をかけて掘り進めていくことで、誰もたどり着かなかった深みへと到達しています。
 アリス・マンローの作品はどれを手にとっても、間違いのない満足感を与えてくれると思います。

 もし本書が最後の作品だとしたら、胸に迫ってくるものがありますね。タイトルからして『Dear Life』ですから。アリス・マンローの作品全体を言い表しているようにすら思えます。
 決して順風満帆な人生を送ってきたわけではないマンローですが——母親のパーキンソン病の罹患や我が子との死別など——、作品の根底には人生への肯定があります。それは人生というものの肯定というよりは、むしろ、すべての人の人生の肯定というべきものです。
 マンローが描く人は市井の人たちです。うまくいかなかったり、問題を抱えていたりします。大きな事件があったり、たいしたことが起きなかったり、小さなことがあったりします。様々な職業や生いたちや環境にありながら、日々を過ごしています。そのフラットな距離感がマンローならではです。特別な才能を持った人も、ごく凡庸な人も、劣等感やコンプレックスを抱えてる人も、軽薄な人も慎重な人も、誰もがそれぞれの人生を生きています。そのあたりまえの事実を、決して相対化することなく、短編という短い分量の中で豊かに描き出せるのがアリス・マンローという作家の力です。

 アリス・マンローが技術的に優れた作家なのかは僕にはわかりませんが、上手いな、と感じることはあまりない気がします。いわゆる、大学の創作科的な上手さは感じません。
 文章自体は研ぎ澄まされていますが、短編のセオリーからは少し外れた構造をしてる気がするんです。というのも、マンローが扱うモチーフが短編にしては柄が大きいんですね。前にも書きましたが、短い時間軸や場面を切り取るというよりも、人生単位で描いてしまいますから。それを単なる事実の羅列にならずに短編小説として成立させる手腕が独自というか、どうしてそんなことができるのか不思議です。まさにマジックです。

 マンローは僕の好みに合致してるわけではないのですが、それでも次々と手に取ってしまうのは、その魔法の成せる業ではないかと思います。

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