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[1.グラフィティ]について/自分に関する101キーワードをやる

三木章弘に関する101のキーワードを語っていく第1回です。こいついきなりなに青春ヒストリー語り出してるんだ?という方は前回のnoteを参照してください。

書き始める前に今一度今回の目的を明文化しておこうと思います。

①「〇〇がやりたい!」を明確にするために行う
②その為に、自分を構成するものを洗い出して分析する
③+まだ知らない人にも僕のことを知ってもらうきっかけになれば

ということで今回は1〜10を書いていきます。
と、思って書き始めたのですが、グラフィティは青春から今へと地続きの内容かつ自分の根幹なのでグラフィティだけで2000字超えてしまいました。ので今回はグラフィティの話だけ。

まとめられる内容はまとめつつ、だいたいこのぐらいのボリュームで書いていくかな...終わんのかこの企画...w

1. グラフィティ

1. グラフィティ

父親が転勤族だったため、小学校3年生で神奈川から山口へと小学生時代で2度目の転校をし、中学1年生の夏休みまでを山口で過ごした僕にとって、遊ぶ場所といえば「ゆめタウン(イオンのちっちゃいやつみたいなの)」か「道場門前商店街」ぐらいしかなかった。女の子と初めて二人でプリクラを撮ったのもその商店街の小さなゲーセンだった。

中学1年生の夏休みに今度は岡山へと転校。山口と比べると岡山は都会で、当時面白い雑貨とかに少し興味のあった僕は初めて「Loft」に入ってテンションが上がり、学校帰りにいろんな雑貨を見るのが楽しみだったのを覚えている。

けれどそんなLoftの最上階には、田舎から出てきた中学1年生が入ってはいけない空気をプンプンさせた「オトナのおもちゃ屋」(確か当時そういうキャッチフレーズだった)感満載の雑貨屋があった。それが「VILLAGE VANGUARD」である。

中学〜高校と、悪友も作りながら中途半端に腰パンしたりもしていつしか僕も「ヴィレヴァン」に通う常連になっていた。(当時は本当にめちゃくちゃハマってて、祖父母の住む愛知に本店があるってんで帰省の時にわざわざ親に連れて行ってもらったぐらい)

そんなある日、いつものように店内で面白い発見がないかうろついていた時に見つけたのがNicholas Ganz著『Graffiti World』である。

日本も含め世界中のグラフィティ・ライターを地域ごとにアルファベット順に並べてるこの本は僕にとって本当に衝撃で、当時バンド活動に小遣いのほとんどを使っていた僕は急いで家に帰って、母親に小遣いの前借りだったか買ってくれとせびったか、とにかく手に入れて端から端まで読みまくっていた。今でも困ったり自信を無くした時に開く僕にとってのバイブル。

最初はグラフィティの見た目がカッコよくて、他の教科より美術が好きだった僕は「こういうものを作りたい」と思った。それがたぶん高校2年生の時。ほどなくして僕は「美大に行く」と言い出したんだと思う。母親の返事は「いんじゃない?やってみれば」みたいな感じだったと思う。(後になってそのことに対してよくOKしたよね、と言う話をすると「ドラムで食ってくとか言ってるのよりはマシだと思った」とのこと。)

そこで進む先に選んだのが「デザイン」である。なぜデザインなのか?なんのことはない。中高と授業でやってきた美術の知識しか持っていない僕にとって、グラフィティの見た目の印象はポップアート〜デザインがもっとも近く感じたからだ。

『Graffiti World』以降もグラフィティ関連の書籍を買い漁った。日本のグラフィティを不定期で紹介する『KAZE magazine』やハードコア系の『HSM』、その他にもよくわからない海外のマガジンを買ってみたり。

そんなおり、僕のグラフィティ熱に拍車をかけたのが2005年に水戸芸術館現代美術センターで開催された、日本国内で活躍するグラフィティ・ライター38人を招いて行われたグラフィティの展覧会『X‐COLOR Graffiti in Japan』である。結論から言うとその展覧会に行くことはできなかったんだけど、その展覧会の企画協力に入っていたのが岡山の老舗ライブハウス「PEPPER LAND」を主宰する能勢伊勢雄さんだったりした。たぶん縁だったんだと思う。

グラフィティの真髄にのめり込んでいったのはこの『X‐COLOR』の公式図録末尾に収録されている窪田研二氏と伊勢雄さんの文章。短い中に膨大な知識の端々が書かれていて、その中にRAMMELLZEEの『Alpsha's Bet』に触れた部分もあったりと、そこで初めてグラフィティの奥深さに触れたのだった。(念願叶ってRAMMELLZEEは今年NYに回顧展を観に行くことができた)

グラフィティに関する文献は当時もあまり多くはなかったけれど、グラフィティ・ライターが書く理由、時代背景や意志、思想、スタンスを知って行く中で僕が思ったことは「これは自分にはできない」ってことだった。

幸せなことに僕には尊敬できる両親がいて、衣食住に困ることなく、塾や予備校に通い大学まで進学させてもらえる環境があった。知れば知るほど、上辺だけをなぞって、ただカッコいいからグラフィティをやるなんてできない。それこそただの落書きになってしまう。

けれど、ただ諦めた訳でもない、とも思ってる。色や形や文字を駆使して、思想を表明したり目的を達成すること。そういったグラフィティの根元にある部分にも当然共感していた僕は、それをデザインで昇華させていけると考えた。と言うか、数年かけてそういう“落とし所”を得たんだと思う。自分が作るアートもそうでありたいと思っている。

だから僕の作るものはグラフィティではないけれど、グラフィティの思想を根元に持って制作に当たっているつもりだ。そのぐらいの強度を持ったものを作りたいと思っているし、自分の中にある核みたいなものをもっとしっかり探し、見極めて、自分だけのコンセプトを作るべきだと考えている。今やってる101キーワードもその一環。これまで恵まれた環境で自分のスキルを活かしてきたけど、そこに挑戦していきたいという思いが捨てきれないから、もうすぐ30歳になるってのに自分探しなんかやっている。

長々と考えすぎなのかもしれない。「好きなあの子の目に止まれ!」とタグを書き始めた最初期のライターのように、もっとピュアで直感的であるべきなのかもしれない。

でも記憶に残るよくできたロゴだって、考えに考え尽くした末にその形が生み出されている。天才でない以上、今はやれることをやり尽くす必要がある、と信じてやってみる。


【今回のまとめ】
・窪田研二氏と伊勢雄さんの文章
・色や形や文字を駆使して、思想を表明したり目的を達成すること自体に魅力を感じている
・考え切った末に出てくるピュアな直感

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