塗り絵

幸せを求めて生きていくのはなんか違う【私的価値観】

こんにちは。日刊書くメシU30’s日曜日担当の江藤です。

先週さっそく更新をサボりました…。みんな凄いですね、ちゃんと更新していて。でも、別にサボったって良いと思うんです。三日坊主って、三日坊主自体を何度も繰り返せば立派な継続でしょう?笑

さて今週は『私的価値観』というテーマですので、私自身の行動指針?選択の基準?を少しお話していこうかなと思います。


人生は塗り絵みたいなもんだ

私が大切にしている価値観って塗り絵みたいなもんなのかなー、なんてことを柄にも無く思ってたりします。

人生という真っ白なキャンパスの中に、様々な人との出会いや出来事というイラストが描かれていき、過去を振り返るたびにそのイラストが色付いていく。例え一部がくすんだ色になったとしても、それは全体的に見ると良いコントラストになるかもしれない。塗り絵としての総合的な自己評価は最後の最後までわからないのです。

そんなことを考えています。


幸せを求めて生きていくのは違う

というわけで、前項ではすごく抽象的にお伝えしましたが、幸せな人生かどうかは、自分の人生を振り返った時にしかわからないんじゃないかなーと思うわけです。

それを前提とすると、『幸せになる』を目標として生きていくことは論理が崩壊してますよね。だって後からしかわからないものだから。だから幸せを求めて生きていくのは違うと思うのです。幸せにはなりたいですけど、目指すものではないかなと。


後付けできるかどうか

では、何を基準に人生の選択を繰り返していくか?ですが、「後付できるかどうか」は強く意識しています。

何かしらまずは行動を起こしてみることって大事だとは思いますが、何でもかんでもというわけではなく、後から振り返った時に自分自身で後付できるような、胸を張って語れるような行動に最低限は絞るのです。

ここでよくあるのが「それは果たして本当に自分がやりたいことか?」みたいな自問を投げ始める人もいますが、行動を起こす前の言語化は不要かなと私は思っています。

難しいことばかり考えてしまうのは人間の性だと思うので否定しませんが、それが理由で動けないのは単純に勿体無いと考えています。

結論、私は「楽しそうかどうか、楽しめるかどうか」という自分の中での感覚的なものが働けば、まずは行動してみるようにしています。


意識的に余裕を作ろう

楽しそうかどうかは一人ひとりの感覚だと思いますが、楽しめるかどうかは『余裕があるかどうか』に大きく影響されるのではないでしょうか。

どれだけ面白いことをしてたとしても、根本的に余裕が無ければ楽しめないですよね。だから余裕を持って生きていくことが大切なのではないでしょうか。仕事でもプライベートでも同じことが言えると思ってます。


私の価値観や行動指針などはざっとこんなところです。皆さんはいかがでしょうか?

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