必要なのは苦労ではなく努力
苦労も努力もある程度の忍耐力を要するという共通点はありますが、両者を混同してしまうとエライ目にあう気がします。
私自身、混合している気がしたので、苦労と努力について整理してみます。
苦労は必要か?
苦労自体は目的ではない
あえて「そうだ、苦労でもするか」と考える人はいないですよね。つまり苦労は目的ではなく、何かに付随して生じてしまうものです。
また、回避しない限り終わりがない苦労もあります(人間関係とか)。
「苦労は買ってでもしろ」というのは、字面だけで解釈すると正しくないと思います。進んで苦労する必要はありません。他に必要なことがあって、その実現のために苦労が生じてしまうならば、対峙すればいいでしょう。
苦労はするものではなく減らすもの
自分が苦労を経験してしまった場合は、他の人が二の舞を演じることのないように助言することができます。戒めとして受け継ぐのはよいですが、苦労する過程そのものは受け継ぐべきではありません。
いま苦労している場合は、回避できないか、改善できないか、誰かに協力してもらえないか、を考えたいところです。周りの人が苦労している場合も同じですね。
苦労の悪影響
自分だけが苦労した、苦労したのに報われない、誰にも理解されない、、という状況になると、「お前も同じ目に遭え」と思ってしまう場合もあるでしょう。最悪の場合、ブラック企業の誕生や家庭内暴力に繋がりかねません。
やはり苦労は自他共にできるだけ減らしたいものです。
努力とは
目的ありきで生じる
努力は自分の意志に基づいて、何かの目的に向かってするものです。「苦労するぞ!」とはなりませんが、「努力するぞ!」と思うことはありますね。
ただ、あくまで自分がしたいからするだけであって、必ずしも目的を達成する必要はないと思っています。そもそもの目的が不要になってしまったり、もっと優先すべき目的が生じることもあるからです。変に固執すると努力も毒になります。
目標を設定できる
目的に向かうということは、ゴールがあるということです。すると途中に目標を設定できます。また、期間ではなく生産量(アウトプット)に比例するので、集中すれば早くゴールに到達できます。
努力は自分で好きに調整できるということです。
おわりに
苦労にしろ努力にしろ、他人から口頭で強いられるものではないと思っています。少なくとも私は他人から言われて苦労や努力をする気になれません。
実際に苦労している人や努力している姿勢を「見る」ことで、自分に何かできないか、自分も頑張ろうと思えるのではないでしょうか。
苦労するのも努力するのも、その人の自由です。無理にするのではなく、したいと思った時に頑張りたいです。
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