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「神を信じますか?」と聞かれたら

クリスチャンに「神を信じますか?」と聞かれた時に、どのように答えれば良いか考えてみました。

キリスト教と神道の「神」の違い

日本ではキリスト教もよく知られていると思いますが、神道の考えも根付いています。

両者の違いとしてよく挙げられるのは、キリスト教が一神教であるのに対して神道は多神教であるということです。

また、キリスト教では人間を作った「創造主」を神と呼ぶのに対して、神道では先祖を神として祀ります。日本神話に登場する神々にも系図があり、天皇陛下は天照大神の祖先とされています。神と人間が血縁関係にあるという考えは、キリスト教の神と大きく異なる点だと思います。

「神を信じますか?」の意味

クリスチャンに「神を信じますか?」と聞かれたら、厳密には「(キリスト教の)神を信じますか?」と言っていることに注意する必要があります。

そもそも神道では先祖を神として祀るのであって、先祖を実在の神と思っているわけではありません。つまり、神道における「神」は呼称であり、概念です。一方で、キリスト教における「神」は実在するかのように扱われています。

神道における「神」は人間が考えた概念なので、信じるも何もありません(日本神話の神々はちょっと別かもしれませんが)。しかし、キリスト教では人類が誕生する前に神が存在するという考えなので、信じるか信じないかを論ずることになるのだと思います。

なぜ神を信じる必要があるのか

宗教によらず、人間の技術や知識ではどうにもならない困難に直面したときに、人は神を信じたくなるのだと思います(それで良いと思います)。

古くから奴隷の制度があったヨーロッパでは、過酷な労働環境を強いられた奴隷にとって神を信じることが生きる術だったのではないでしょうか。また、支配者である奴隷主を抑えるためには、さらに強い「支配者としての神」が必要になるのではないでしょうか。

個人的には、キリスト教の神も古代の人々が作った「概念」なんだろうと思っています。奴隷主を抑える権威を神に持たせるために、神が創造主として設計されたのではないでしょうか。

「神を信じますか?」と聞かれたら

綺麗事っぽいですが、「神は信じていないけれど、人類が自分たちの努力で平和で安全な世界を創れるように願っている」というのが私の意見です。技術や知識によって、人類が神様に頼らざるをえない事象は減っていますし、神様に頼らなくて済むように更なる努力を続ける余地はあると思います。

おわりに

キリスト教は政治的に活用された歴史が少なくないですが、クリスチャンに対して偏見を持っているわけではありません。私自身まだ認識できていないことも多いと思うので、クリスチャンの方と客観的に議論してみたい気もします。みんなでいい世の中にできたらいいですね。

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