あっきー。

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  • コラムまとめ

    月1本は更新中。 過去の出来事や日々思ったことを書いてます。

最近の記事

あやかし卒業旅行 in Cebu City

季節は3月、日中こそ過ごしやすいが、未だに暖かくはならないのが、なんとももどかしい。 そんな3月というのは、卒業旅行シーズンでもある。社会人になってしまった私にはもはや関係のない話ではあるのも少し、悲しい。 今これを執筆しているちょうど9年ほど前の出来事である。私も大学時代の友人と卒業旅行に出かけることになった。まだコロナが流行する前の話である。(正確には、私だけ留年が決まっていたので、私は正式には卒業ではないのだがこれはまた別の話。) 在籍していた工学部の中でも、よく

    • Let's II(レッツ・ツー)の大冒険

      気が滅入るような寒い季節が続く。 我ながらアホな話ではあるが、そういえば大学の頃はこの時期でも素手で原付とか乗り回してたなー、と思い出した。 目的地に到着する頃には、当然凍えまくった両手を、部屋の暖気で温める。 Q: するとどうなるか? A: しもやけで、めちゃくちゃ痒くなる。 「痒い〜」 教室で嘆く私に、友人のツッコミ。 「手袋買えよ。」 すぐさまユニクロに直行。友人の中には、100均の軍手をしてくる猛者もいたが、ダセえといじってしまった手前、私がそれをする

      • 改めて自己紹介というか、ここ10年くらいのヒストリーを書いてみる③

        ①はこちら https://note.com/akiiiiiii51/n/n23f6cfea6d25 ②はこちら https://note.com/akiiiiiii51/n/nef8a835e83ff 遅刻大喜利 「俺、漫才やりたいんすよね。」 電話越しの相手はタダシ君だった。北海道時代のバイト仲間。 「やったことないけどな、いいけど。」 「いいんすか?」 ケイスケ君との話が立ち消えになった後も、個別に連絡は取っていた。 「ネタどうすんの?」 「とりあえず、お

        • 改めて自己紹介というか、ここ10年くらいのヒストリーを書いてみる②

          ①はこちら https://note.com/akiiiiiii51/n/n23f6cfea6d25 計算外とドベ社員 北海道より帰ってきた私は、晴れて内定していた会社に就職することになる。従業員数で言うと約3000人程度の電子部品メーカー。 メーカーの他にも、商社やら色々な業種も見ていたが、結局メーカー技術職に収まった。決め手になった点はいくつかあるが、一つあるのは離職率の高さだった。先の計画通り行くとすれば、私は3年で辞めると思っていた。 離職率が高いと言うことは、

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        • コラムまとめ
          35本

        記事

          改めて自己紹介というか、ここ10年くらいのヒストリーを書いてみる①

          自己紹介って最初にやるもんですよね 普段、月一本くらいのペースでゆるーくコラムのような、よく分からない便所の落書きとも言えるものを書いてたりするのだが、noteでは記事の1本目に自己紹介的なものを書く人が多いそうだ。 よくよく考えれば、当たり前のことである。 さて、私の場合はというと、1発目から今に至るまで、どちらかというと自分のことというより、周りで起きた変なことや、変な人、気になったことなどをひたすらに綴ってきた。 そんなことばかり書いていると、ブツブツとツッコミ

          改めて自己紹介というか、ここ10年くらいのヒストリーを書いてみる①

          フリーター墓場へようこそっ!

          2015年4月1日。エイプリルフール。 新年度、新たな春を迎え、多くの若者が進級、進学、就職などで人生の次のステージに期待に胸膨らませるであろうその日、私は大阪・福島の雑居ビルのテーブルで、120kgを超えるであろう巨漢と向かい合っていた。 「では、採用なんで、明日からのシフトなんですけど、、、」 「あ、明日からで問題ないですよ。」 「そうですか、シフトは自由なんで、入った時に次回の日付を教えてくれたら良いんで。では集合は午前8時半ということで、、」 私は、とあるポ

          フリーター墓場へようこそっ!

          タクチケ

          今年も10月17日から10月20日にかけて、CEATECが幕張メッセで開かれたとのニュース記事をどこかで読んだ。 CEATECとは、いわば最先端技術の見本市のようなイベントで、メーカー・IT企業などが参加しこぞってブースを出すことで、自社製品をアピールする場となっている。 私も、メーカーの社員時代に参加したことがある。 当時三年目にして、部署異動があり、技術営業といって営業の方々に同行し商品の説明や拡販業務を行なっていた。名前はコロコロ変わるが、言ってみればマーケティン

          コスプレ高校体育祭

          夏が過ぎ、秋全開モードである。 最近の小学校などは、運動会なども春頃に行うらしいが、まだ暑い9月に予行練習などを回避させるためらしい。 何のための体育の日だかわからないが、確かに私の子供の頃の時分には、9月に熱中症になることなど考えてもいなかったような気がする。 代わりと言っては何だが、光化学スモッグ(知ってる?)で外に出るなとか体育中止とかそんな出来事はあった。 大人になって知ったことだが、私が住んでいた地元は割と空気が澱みやすい地域らしく、喘息持ちも多かったそうだ

          コスプレ高校体育祭

          ジャイアニズム英語

          大学の1回生の話である。 どこの大学でもそうかと思うが、初めの1回生などでは、専門科目のほか、教養科目、語学、スポーツなどの授業などがあり、私も例外なく、他の人と同様に、英語の授業を受けていた。 英語の授業では、教科書の読みを席の順番に当てられて、学生が読んでいく。高校の授業と同じだ。 通っていた大学は、一応国立大であり、高校の成績もそれなりの人間で固められている。英語に関しても、センター試験も二次試験も突破してきたのだから、それなりの知識を持った者が多かった。 とは

          ジャイアニズム英語

          CDラジカセと終わりなき旅

          以前、予備校の記事を書いたことがある。 大阪、堀江のど真ん中でただひたすら受験勉強に打ち込む浪人生について記載した。 少し薄暗い予備校のビルに巣食う浪人生も浪人生でさることながら、講師の方にも個性的な方が多い。 数学の講師で自衛隊出身の方がいた。 スキンヘッドで、体格もゴツく、ちょっとでも油断すると体を締め上げられそうなその講師は、常に冷静に授業を展開する。ピリッとした雰囲気に感化されてか寝ている者もいない。 ある時、ふと講師が余談を始めた。 どうやら、数学の質問

          CDラジカセと終わりなき旅

          大連へ行けっ

          メーカーに勤めていた頃、新卒1年目も半年ほど経った日のことである。 当時、仕事といっても特にやることはなく、適度にサボりながら退屈な日々を送っていた私に、とある社内ニュースが飛び込む。 なんでも他部署で製品の不具合によるクレームが出たらしく、1年目、2年目の若手を総動員して、クレーム対応に当たらせる、とか。 すぐに私を含めたパスポートを持っている、1年目連中が課長に呼び出され、明日には客先に向かって欲しいと伝えられた。 場所は、中国・大連である。 あまり馴染みのない

          大連へ行けっ

          夏が過ぎ風あざみ

          「風あざみ」ってなんだよって少年時代思っていました。。 今年も帰省ラッシュの時期がやってくる。 私は自分の自己紹介するにあたって、出身は大阪を名乗っているが、生まれは異なる。 と言っても大分と近所ではあって大阪の隣、兵庫県は川西市というところになる。 母の実家が近い関係で、まぁいわゆる里帰り出産というわけだ。 小さい頃は、祖父、祖母、叔母が住む家に長期休暇となるとよく遊びに行った。 小さい子供にとっては、たかだか大阪から兵庫への移動だけでも大冒険となる。 話は少し

          夏が過ぎ風あざみ

          カツ丼

          梅雨も明けていないというのに、非常に暑くなってきた。 ここで21歳の夏、テレビに映る高校球児が灼熱の中、相手校と対峙している最中、近くのエアコンの効いた定食屋で、私も1杯の丼と対峙していた夏の思い出を、一つ記事にしようと思う。 「高校野球観に行こうぜ。」 大学の同級生のたけしが、声をかけてきた。 大学が甲子園に近かったこともあり、二つ返事でOKし、ある夏の日の朝、我々は観戦に向かうことにした。 朝、甲子園の駅で集合すると駅は凄い人で溢れかえっていた。 当時、藤浪擁

          盾と矛

          「調子良さそうっすね。仕事も途切れてないみたいですし。」 先日、東京に出向いた際に、以前所属していた会社の後輩との飲みの席で言われた一言である。 確かに、フリーになって2年弱で現状仕事は途切れていないし、次は東京の案件を獲得しようと足を伸ばしていたところである。 後輩から見ると順調そうに見えるのかもしれない。 しかし、それを聞いていた私の表情はおそらく浮かない顔をしていただろう。 それは、周りの変化に対する不安かもしれないし、 「そんなに甘かねーよ。」と冷めている自

          ペンションふみふみの住人

          訳あって、大学を留年した私は、非常に自堕落な生活を送っていた。 24歳ごろの出来事である。 最近このくらいの年齢の人間と仕事などで関わると、自分のその頃の暮らしぶりと比較して、 「しっかりしてんなー。」 と感じることが多い。実に恥ずべき人生を歩んできたかよくわかる。 話を戻そう。 留年したと記述した。 正確には、諸事情あって、卒業論文は提出したが、わざと単位を落として、半年大学に居座ったわけである。 大学5回生の前半ですでに、その落としていた単位を取得し、たい

          ペンションふみふみの住人

          ラジオスター

          今から4年程前の話である。 新卒より働いた京都の会社を辞め、大阪に戻ってきた私は、今の賃貸マンションに住み始めた。 まだ夏の訪れには少し早い6月のことだったと思う。 その日私は、引越し祝いにきた、大学時代のバイトの後輩と自宅近くのトリキで飲んでいた。 ただ普通に飲んでいただけだったのだが、事の発端は後輩が何の気なしに呟いた一言だった。 「なんか面白いことないっすかね?」 後輩は、3つほど歳が離れており(私は浪人していたので学年は2つ下)、通っていた大学も違ったのだ

          ラジオスター