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自分という幻想

煩悩だらけの身のままで
すでにすべての真理を会得している
などと思い込むことはけしからぬことです

今のこの肉体でそのまま成仏する
即身成仏というものは
空海が教えた真言密教の本意であり
身口意という三密の修行に励んだ結果
たどり着くことができる精神状態です

眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清らかにする六根清浄は
最澄が説いた法華経を基本とした平等思想や
四安楽という心身を安らかにする修行の結果
得られる功徳であります

これらはみな
生まれつき素質のある人が成し遂げる難行であり
真理に集中してはじめて
達成することができる悟りなのです

大変な修行を成し遂げる才能がない人は
宇宙の流れに乗って起きるがままに
未来を切り開いていくことが大切です

なるようになると分かっていれば
心をしっかりと定めて
あらゆることに対応していくことができるからです

これはどんな人でも勤めることができる
行いやすい修行であり
誰にでも区別なくあてはまる法なのです

大体 今生きている状況で
煩悩や悪習慣ををなくしてしまいたくても
なかなかできないからこそ

真言宗や天台宗の徳の高い僧侶たちは
厳しい修行を選んで真理を解明し
そうすることで悟りを開こうとするのです

戒律を守ったり智慧を絞って
修行することが難しい我々は
だからこそ
宇宙の流れに任せて生きてけばいいのです

生きていく苦しみや死ぬ苦しみは
海を渡る船のように
起きるがままに受け入れ
本来の私たちのチカラを思い出し
気楽に生きていくことができれば
湧いてくる煩悩の重く暗い性質にも
恐れる必要はありません

それら煩悩の正体も
月の光が照らすように明らかになり
宇宙の法則という
ありとあらゆる存在をスクう
大きなしくみのほんの一部であり
ありとあらゆる存在は
すべてスクわれているという
真理を理解することができるのです

自分だけの能力で真理や世界を理解できる
などと思い違いをしている人は
お釈迦様のように
対する人に応じて
その人に必要な態度を取ったり
三十二相 八十随形好などといわれる
心身の特徴を同じように備えて
人々を導くことができるているのでしょうか

それらができているのであれば
今生きているこの身で
すべての真理を体得できている見本だと
言わせていただきましょう


和讃と呼ばれる唄で

鋼のように強い信心が定まるのを待ってこそ
宇宙のしくみという恩恵の光に守られ
生きていく苦しみや死ぬ苦しみから解放される

と親鸞先生が仰っているように
確かに信じる心が湧いてきた時
その決心をしかと離さず捨てることがなければ
ただ繰り返し迷い苦しみながら生きる人生から
抜け出すことができる

そうすれば
生死の悩みに捕らわれることなく
存在することができる
ということなのです

このように真理と一体化していくこと(他力)と
自分のチカラだけで
この世界をなんとかしようとすること(自力)を
同等のことだと見ていいはずがありません
非常に情けないことであります


宇宙の法則である他力を信じるこの教えは
今 この世を生きる時は
どんなことが起きても
ただすべて流れの中で起きているだけ
という真理を信じるということです

この肉体の寿命が尽きて
あの世と呼ばれる宇宙意識全体に還った時
自分だと思い込んでいたものは幻想であり
すべてのものがひとつである

ということにたどりつけると私は習った

と亡き親鸞先生は仰っていました


『歎異抄』 第十五条

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