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宅配ピザというギフト

社外講師より
「宅配ピザチェーンは、ピザを売っているのではなく、届いたときに家族が喜ぶシーンを
売っているのです」云々といった
レクチャーを受けた。
なるほど。
そうかもしれない。
ピザだけではなく
全てのギフトは、
単に物を使う、服を着る、惣菜から栄養をとる、ために贈られるのでなく
受け取った人の
喜ぶ顔が想像できる。
という付加価値があるべきなのか。



かつて多くの日本の食卓には質素でも母親の味といえるギフトがあった。
小学生の頃、私の誕生日会に母は
友達のためにクリームソーダを作ってくれたものだ。思い出す。

それは売っているのではなくあたり前にあったのではないか。

家族の喜ぶ顔がみたいから努力している人たちがいる。
「母親」とは義務で家事をしているのではなく
家族が喜ぶ顔がみたくて
手料理を作る時間を惜しまなかったのではないだろうか。

どこの家庭にもあった付加価値のある家庭の食卓というギフトを私たちは、いつからインターネットやカフェや宅配ピザから買おうとするようになったんだろうか。
講師による'感動体験を生むホスピタリティー'
というレクチャーを聞いたあと私はこんなことを思い浮かべたのだった。
今求められるサービスは、母親のホスピタリティーを越えなくてはいけないのかと。

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