日記 2022.2.25


国際社会は過去の過ちを、同じ轍を踏まぬ、越えられる所作を、作法を持ち合わせているだろうか。きっと持っているのだと信じたい。



2022.2.25


もともとパソコン好きな息子はオンライン出席がすっかり性に合ってしまい、今週まで続けた。

学年主任で力のある先生は少人数のオンラインの子たちにもよく配慮、工夫をしてくれたので嫌な思いをすることもなく授業に参加できていた。そろそろ登校させたい‥と思う今週だったがまた隣のクラスで学級閉鎖が出たりしていた。


そんな今年度ももうじき終わりに近づいていて。さみしいものがある。春の入学式の季節が遠い昔に感じられるが‥  予定されていた年度最後の参観会もなくなり、懇談会のみとなった。うちの場合はほぼ一ヶ月、オンラインで具に授業を参観していたわけだが。黒子のようにアシスタントをする小1生のオンライン授業も楽しくも貴重な経験だった。子供たちは毎日を生き生きと過ごしている。それはやきもきと、隣で気を揉みながらも、希望に溢れた癒される時間ではあった。とくに今日のような日には。


うちのはもともとマイペースキャラだが、どうしても一律な号令や行動の多い学校という場のクラスのなかで、少数派のオンライン組として過ごす時というのも子供たちお互いにとってよい経験であるような気もした。息子のクラスはそのことになんの違和感もなく、居心地の悪さもなく、自然なこととして成り立っていたように思うが、それは先生の力量ということもたぶんあるのだろう。難しさが生じたときにきちんと向き合うという姿勢が一貫していたから、子供たちも自然なこととして受け入れていた。

子供が昼間学校にいるのが当たり前でなくなるという意味でもいいことはあるだろう。今の教育制度は子供を学校に囲い込みすぎているのだ。子供は希望で、お年寄りや、町の人にとってもそうなのだ。いろいろな意味で、大人が学ぶことも多い。まあ‥今は尚更で。コロナ禍が過ぎよりよい日常が戻ることを切に願うが。



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