見出し画像

セルジュ・ゲーンズブールの家の前で写真を撮ること


むかし、パリに行って、セルジュ・ゲーンズブールの家をたずねた。

セルジュの家の門には世界じゅうから集まったたくさんのファンのらくがきがあった。家の前にはたくさんの車が停まっていて、そのほとんどにはらくがきがされていた。わあ、ここでセルジュ氏はジタンを吸って、ジェーン・バーキンさんが生活していたんだなと思った。わたしが手に持っているのは、セントパンクラス駅で買ったパリのガイドブックである。

家の前でセルフタイマーでわたしたちは記念写真を撮った。ひさえくんはかつてパリに住んでいたことがあるので、セルジュの家は観光名所みたいな感じで良く知っている場所だったのだ。

パリに行って、うまれて初めて食べたもの、それは何だったかな。ひよこ豆のコロッケのファラフェルとか、おいしくてびっくりした。コロッケといえば、肉が入っててあたりまえのものだったから。

異国にいくこと。東京でいつもあっているともだちと一緒に。あらゆる小さな差異が、宝物みたいだった。

モノプリで売っているものとか、べつに西友みたいなものなんだけど、そのどれもが宝石みたいに輝いていた。

エッフェル塔は、東京タワーとは違った。まるで淑女のガーターベルトのようにエレガントだった。ひさえくんはそのふもとに座って、スケッチをしていた。それがどんなにすてきなスケッチだったか。

友人のおすすめで泊まった宿はポンピドゥーに近くて、エレベーターがなかった。わたしたちはすべすべした木の手すりがある階段を、スーツケースを抱えてよじ登った。オーナーはアラブ系の気のいいおじさんだった。そこは「お化けが出る」らしかった。わたしはそのお化けに会った。最後の夜。お化けはまるで煙のように階段を登ってきた。それは女性だった。ハアイ、こんにちは、ご機嫌いかが?

今思いかえして実感するのは、わたしたちはほんとうにパリを尊敬していた。パリが生み出すもの、ああそれは偉大なるヨーロッパ、そのすべてを崇拝し跪いていた。いまそれをやれって言われても、多分できない。そうした尊敬のきらめきは、一瞬のものだから。

ポン・ヌフに行って、とりあえず橋の中腹にあるベンチで寝そべって写真を撮った。ここはパリで一番古い橋なのに新しい橋という「ポン・ヌフ」と呼ばれているんだよ。そしてここに来たらやることはひとつ、レオス・カラックスによる、敬愛する「ポン・ヌフの恋人」ごっこである。雪は降っていなかったので、再現度は20%くらいかな。 

そんで、カフェ・ド・フロールに行って「ママと娼婦」ごっこをした。ええと、カフェに来たら、とりあえずなにかしらを熱弁しなくちゃいけないんだ。ううんどうしよう、熱弁したいことがないんだけど、、。あと、誰かに、ぐだぐだな会話の電話をかけたら終了かな。カフェ・ド・フロールでオーダーしたショコラ・ショーは濃厚でどこまでも甘かった。

追憶はカフェ・ド・フロールのショコラショーよりも甘い。フランスの叡智に身を委ねるとき、わたしはパリでの輝かしい瞬間に満ちた奇跡のような時間を思い出す。「わたしたち」と言える、その幸福について。

ああパリよ、人を酔わせるちからのある都市よ、その魔力は、なんぴとたりとも邪魔をすることはできない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?