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どうする拾った$20?

昨日、学校から帰ってきた息子ちゃんが駆け寄ってきて、ニコニコしながら私に報告する。

「今日ね、学校の校庭でお金を見つけたの。$20!」

とてもうれしそう。

なんだけど、私の心中はというと、かなり複雑で、どう伝えようかしら、と考えがグルグル巡る。

とりあえず、「おぉっ $20見つけるなんて、大金だね。どこで見つけたの? 周りの友達にお金落とした?って聞いてみた?」 と矢継ぎ早だな、と思いつつも質問。

聞くと、自分で一人で校庭にいた時に見つけたので、周りには誰もいなかった。そしてそのまま誰にも言わずに持って帰ってきたのだという。

うぅむ、さらに複雑な心境。頭ごなしに誰かが落としたお金なんだから先生に届けなきゃ、というのもなんか順序が欠けているような気がする。私としては、息子ちゃんが自主的に、明日学校に行って、先生に届けだすことにするよ、という結論にたどり着いて欲しいんだけど、改めてなんでそうなのかちょっと考えてからさらに質問することにした。

「$20も見つけちゃって、ラッキーだよね。」
息子「ウン!」
「でさ、落ちてたってことは誰かそのお金を失くした人がいるってことよね。学校だったからお友達かもしれないし、先生かもしれないね。」
息子「まあね。。。」
「もしさ、お金を落としたのが自分だったら今どんな気持ちだと思う?」
息子「悲しいかも。。。自分に腹が立つかもしれない。」
「だよね~。私も自分が$20落として失くしたら、やってしまった!!!!という気持ちが強くって、自分に腹が立つわ~。多分、お金を落としたお友達か先生もそんな気持ちだと思う?」
息子「うん」
「でさ、もしあんたが学校でお金失くしたらどうすると思う?」
息子「先生にお金失くしたって報告すると思う。」
「うん、おかんもそうすると思う。それでさ、報告した時に、次の日でもいいけど、その失くしたお金を拾って届けてくれた人がいたのよ、ってなったらどう?」
息子「うれしいと思う。」
   (正直でいいね、君は)
「だよねぇ。おかんもそうなったらうれしいわ。でも、落ちてたお金を見つけましたって報告するってことは、あんたはせっかく見つけた$20もの大金にバイバイ言うことになるのよね。それもイヤだなぁ、というか惜しいと思うよね。」
息子「うん」(ちょっと、どうしていいのかわからず二ヤついた顔をしている)
「なのよね~ これが道端に落ちてた$20だったら、おかんも、おぉ、ラッキーでありがたくいただいてるよ。でも学校の校庭って場所で見つけた物って、他の人と一緒に働いてる仕事場だったり、図書館とかさ(あんまり息子ちゃんにわかりやすい例が浮かんでこないのだ、トホホ)、ちょっと特殊な場所なのよね。失くした人にお金が戻りやす場所、というか。。。(なんのこっちゃ)」
息子「はぁ。。。?」
「よし、こうしようかしらね。この$20、僕が見つけたものだから、そして周りには誰もいなかった、ということで、自分のものにしてもいいよ。でも、お金を失くして困っている人がいる、ということを考えて、明日学校に持って行って、校庭で見つけました、って先生に届け出るのもいいよ。もしそうしたら帰ってきてから教えてよ。そしたらおかんから、困っている人のこと考えてくれてありがとう、という気持ちを込めて、$10差し上げます。」
息子「なんで$10なの?」
「いやだってさ、半額にはなるけど空から降って湧いたような$20の半分をキープできるうえに、先生に届け出たってことで、僕は良い行いをしたってモラルのブーストがあるじゃん。」
    (10歳児にモラルのブーストの価値なんてなんぼのもんじゃ、何だろうけどね。見るからに、今のところ価値は全くなし。母親に似て、自分の損得に非常に敏感な、とても娑婆くさい10歳児です。)
息子「。。。」
「はは、まあね、今ここで決断しろとは言わないよ。考えてみて。それで自分の納得のいく選択を選んでくれていいから。」

という感じで会話を終えた。息子ちゃんは見つけた$20札を学校用のバックパックのポケットにしまい込んで、「うん、考える」と言った。

その後、何度か、「で、どうするか決めた?」と聞きたくなる気持ちを抑え込み、聞かずに今朝になる。

校門手前まで歩いてきて、息子ちゃんに聞いてみた。「$20どうすることにしたん?」

そしたら、「あ、家に置いてきちゃった。まだどうするか決めてないんよね。」という返事だった。

そうなのか。まあね、欲深い母親から聖者が育つことって稀だと思うし、そんなもんなのかね。それとも、届け出したら、私がありがとう、という気持ちを込めて$20差しだします、にするべきだったのか? さらには、届け出すのがまっとうな行為だと思っているが、どうなのよ? この道端で見つけた$20と校庭で見つけた$20の違いをどう上手く説明するのか? つうか、もともと違いなんて私の価値観の反映だよね。 親が正しいことだから、と言ったので、あまり深く考えずに届け出すというのも残念だ。届け出すのが正しいなんて、馬鹿正直に育ちなさい、と育てるのも抵抗があるのだ。私にとって正直である、というのは尊重される、価値あるものだというとらえ方があるけど、馬鹿正直で損しかしなくてもいい、なんて言いきれないしね。もっと悟ってからでないとそんな境地には到底たどり着けない。

もっと金額がデカかったら。例えばカバンに詰められた札束、とかだと恐ろしくなって即通報するだろう。こんな$20という現実味のある中途半端な金額だから余計いろいろ考えるのかもしれない。

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