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人生の分岐点

あなたの人生の分岐点はどこだったか、覚えていますか?そこを振り返ると、もし今あなたが迷っているとしたら、原点を思い出すヒントになるかもしれません。

私の場合を振り返ってみると、その決断が人生の分岐点になることに気付いていなかったことが多いような気がします。後から振り返って、「あの時のあれが分岐点だったんだな」と思うものなのかもしれません。

私にとって別れ道の一つだったのは、第一志望の看護大学に落ちて、日赤看護大学に入学したことです。そもそも国際協力のために看護師になろうと思ったのですが、看護師になると決めた時から、それが目標にすり替わりました。ですから、国際協力につながる日赤に行くよりも、難関校や華やかなキャンパスライフに魅力を感じた大学に行きたいと思い始めたのです。

まあ、若かったので。ということにしましょう...。

けれども、第一志望に落ちて日赤に入って気付いたのは、そもそもの目的であった国際協力に近付いたということでした。授業に赤十字論などがあり、世界の人道支援組織の理念に基づいた大学であることを、ひしひしと感じたからです。

また当時は各地方の病院から奨学金をいただける制度があり、私は神奈川の病院に応募しました。オファーをいただいた時には正直なところ、大変失礼ながら、「こんな田舎の病院じゃ、世界には行けないよ!」と絶望的な気分になりました。けれども、当時の直属の看護師長さんが国際活動にとても熱意をお持ちの方で、私の希望を強力に後押ししてくださいました。他の病院に行った友人から聞いたところ、快く派遣してくれる職場は日赤でもそんなに多くはないとのことでした。

結果的に、入職4年目にして国際派遣の研修に参加することができ、翌年ジンバブエへの派遣が決まりました。当時の最短コースでした。

あの時、第一志望に合格していて、華やかな大学でキャンパスライフを送っていたら、もしかしたらそのまま国際協力のことなど忘れていたかもしれません。目的がすり替わったことにも気付かず、日々を過ごしていたことでしょう。

ですから、こうして振り返ってみると、第一志望に落ちたことで結果的に早く夢が叶うことになり、今の私へとつながってきたのでした。大学に落ちたことは自分の選択ではありませんでしたが、もしかしたら、それこそ潜在意識が仕組んでいたのはないと勘繰らずにはいられないほど、結果的にスムーズにことが運んで行ったと思っています。運命の別れ道というのは、こういうことをいうのかなといつも思っています。

意志あるところに道ひらく、と言います。今もし、自分が望んでいない環境で学んでいたり、仕事している方がいらっしゃって、迷ったり苦しんでいるとしたら、きちんと進みたい方向を分かってさえいれば、今の経験も未来に続くきっかけや力になりますよ、とお伝えしたいです。

今は渦中にいて、そうは思えないかもしれませんが、後で振り返った時には今の経験がその先につながる力になっていたことに気付くのではないかと思います。ですから、諦めないで。ありたい自分、手に入れたい未来だけは、いつもきちんと頭の片隅に留めておきましょう。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。あなたが生き生きと自分らしく過ごせますように。God dag!

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