Mineta Akiko

Mineta Akiko

最近の記事

復帰2年目、家族と私の2023シーズン

10年のブランクを経て12秒台 100m 12”82(+4.6) それはもう笑っちゃうような爆追い風だったんだけど、それでも14年ぶりに見た12"の数字は特別だった。 家族に負担にならない程度にひっそりのんびり楽しもうと思っていた陸上なのに、 わかってはいたけど私はただ走ることが好きなのではなく"速く走る"ことが好きで、そうなると練習すればするほど速くなって楽しくなってしまう。 そしてジリジリと迫っていくかつての自己ベストとのギャップに可能性を感じてしまい、ある日息子に言っ

    • 産後に見失った"自分"を取り戻したら、とんでもない未来が待っていた話

      我が子との生活 我が子が生まれてから、子供の都合最優先で回る日常。 自分の起きたい時間とは無関係に、早起きな子供に起こされて一日がスタートし、 トイレに行きたいとき、ではなく、行けそうな隙を見て大急ぎで行き、 食べたいものよりも、子供が食べられそうなもの・好きなものを作ったり注文したりして、 自分が行きたい場所よりも、子供が楽しめそうな場所にばかり詳しくなっていく。 子供を育てているとそれが当たり前になって、 でも、産むことだって一緒に過ごすことだって自分で選択したことだ

      • 続・真っ青な空の下で

        3年前、息子はどこよりもアクティブで冒険だらけの幼稚園に入園した。 その最たるイベントは、年長さんが行く卒業遠足・八ヶ岳登山。 2500m級の編笠山を山頂まで登り、山小屋に泊まって翌朝2700m級の権現岳を登って下山してくるというハードな工程を、5歳と6歳の子供たちが全員でチャレンジし、達成して帰ってくる。 入園を決めるとき、私はここを選ぶか普通の幼稚園にするか、悩みに悩んだ。 いわば命を賭けた挑戦に、親の意志で送り込むことへの葛藤、命との向き合い方。 私は、息子は、何のた

        • もう一度、速くなりたい

          今年、30歳になった私は"年を重ねること"そのものにネガティブな感情をあまり持っていない方だと思う。若く見られたいとか、何歳までにこうならなくちゃとか、大して興味が無い。外見も内面も、自分なりに一生懸命歩んできた全てでしかないから。 でも、そのはずなのに、なぜだか年を重ねるたびに必ず一瞬心に浮かぶ、ザワザワした感情があった。見ないように見ないようにしてきたけど、自分の年齢を意識する度に出てくるそれは、「身体能力のピークから、また遠ざかってしまった」という落胆だった。 大学

        復帰2年目、家族と私の2023シーズン

          真っ青な空の下で

          4月から、我が家も新しい生活がスタートする。 息子が幼稚園に行くこと。 今まで家族以外に預けたこともなく 3歳を過ぎても卒乳の気配もない甘えん坊の息子が 見えない場所で活動するというこの事実は、私にとってもやはり何よりも大きく、 特に、毎日外で活動するアクティブな幼稚園を選択したことにより、 怪我や事故に対する不安な気持ちが私の奥の方にずっと小さく震えていて消えなかった。 通園できる範囲の幼稚園を全て回ってもなかなか惹かれる園に出会えず、やっと見つけた親子共にお気に入りの

          真っ青な空の下で

          ひたすら"整えた"2019年

          息子の誕生日という年末の一大イベントが終わると、ようやく今年も終わりだなあという感じがしてくる。 仕事納めならぬ、母業納め🍾 自分を取り戻す今年は引っ越し、退職、春からの仕事や子供の幼稚園選び、、と大きな決断をたくさんすることになったのだけど、 それら全ての選択は、色んな方との対話やワークショップを通して自分の奥底のエネルギーに耳を澄ませていたからこそできた選択だった。今年1年間私と出会って時間を過ごしてくれた方々のおかげで、より自分に嘘をつかない、我慢しない人生をダイナミ

          ひたすら"整えた"2019年

          都心から23区外へ、職場徒歩圏内から実家近くへ。

          GW前日に、都心の職場近くの自宅から、多摩にある私の実家近くへと引越しをして、 家族(両親&息子と、兄のようなおじいちゃんのような先輩)の協力によりなんとか平成最後の日に部屋の片付けを終えた。 すっきり片付いた部屋で令和を迎えて 張り切っていたのも束の間、家族全員で風邪を引き、またもや実家にお世話になりまくったGW後半。 元号が変わって、最初の新月を迎えて、引越しを終えて、 一気にデトックスしたんだろうなと感じずにはいられないくらい、久々にガッツリ風邪を引いた。 どんなに

          都心から23区外へ、職場徒歩圏内から実家近くへ。

          どうしても必要なものだけを

          ========= いつだったか きみたちが 空をとんでゆくのを見たよ 風に吹かれて ただひとつのものを持って旅する姿が うれしくてならなかったよ 人間だって どうしても必要なものはただひとつ 私も余分なものを捨てれば空がとべるような気がしたよ ========= 小学生の時に知って以来、ことあるごとに思い出しては、その度に色々な気付きを与えてくれた、星野富弘さんの「たんぽぽ」という詩。 またちょうど、たんぽぽの綿毛が空を飛ぶこの時期に、ふとこの詩を思い出した

          どうしても必要なものだけを

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて④

          そして、引っ越しをする理由息子の2歳の誕生日、年末年始を迎えて、リセットしつつあった私は、心のスイッチを完全にもとに戻すべく、少し余裕の出てきた夫の協力を得て、”自分”を取り戻す時間を優先させてもらった。 子連れでなく、一人で、会いたい人に会い、行きたい場所に行き、食べたいものを食べた。私の心の中が「たすけて」から「ありがたい」に変わっていくのを感じた。 みんなが私のために時間を割いてくれて、ありがたい。夫が自由な時間を与えてくれて、ありがたい。息子が理解してお留守番して

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて④

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて③

          ふたりぼっちの一年間息子が1歳を迎えた年末。 私の心に矢は刺さったまま、夫の仕事が猛烈に忙しくなった、というべきか本人のモチベーションが桁違いに上がったというべきか(多分どちらも)。もともと平日夫と会話できるのは朝の5分程度だったが、それに加えて休日はなくなり、我が家は毎日が平日になった。週末は私と息子にとって「休日」ではなく、「街が混んでいる厄介な平日」。 週末の朝の公園はお父さんと子供で溢れていて、たまにいるお母さんの近くには、必ずお父さんがいる。土日の公園が嫌いにな

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて③

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて②

          職場復帰への思いの変化息子が生まれる前、私は「できるだけ早く復帰して、バリバリ働くママになろう」と思っていた。それがこれまでお世話になった会社に対して、みんなに対して、果たすべき責任であるかのように"勝手に"思っていたから。 12月生まれの息子は、生まれる前に4月入園の保育園の申し込みをすることになる。夫とともに申込用紙を前にして、初めてふと思い留まった。「この頃は生後3か月か…」「ほんとうに…このタイミングで…入れる?」「…ちょっと、一旦、延期しようか…」二人で用紙を片付

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて②

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて①

          この度、2012年から7年間お世話になった江東区を離れ、生まれ育った多摩の故郷へ引っ越すことにした。 引っ越しに至った背景を話すにあたり、この7年間について記しておきたいと思う。 初めての一人暮らし説明会で一目惚れしたgCストーリー(当時サイベイト)への入社が決まって、大学卒業を目前に控え、22歳の誕生日を迎えた直後の2月、私はこの街に引っ越してきた。 暗闇も怖いし、シャンプーのとき目をつぶるのも背後が怖い、建物が古いだけでも何か出そうで怖いという、幼児並みの怖がりのく

          先のことなんて、自分でもわからなすぎて①