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どうしても必要なものだけを

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いつだったか きみたちが 空をとんでゆくのを見たよ

風に吹かれて ただひとつのものを持って旅する姿が

うれしくてならなかったよ

人間だって どうしても必要なものはただひとつ

私も余分なものを捨てれば空がとべるような気がしたよ

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小学生の時に知って以来、ことあるごとに思い出しては、その度に色々な気付きを与えてくれた、星野富弘さんの「たんぽぽ」という詩。

またちょうど、たんぽぽの綿毛が空を飛ぶこの時期に、ふとこの詩を思い出した。

引っ越しを3日後に控えた私の今の心境は、まさにこんな感じ。

子供が生まれてから、今回の引っ越しを決めるまでのこの二年間、色んな事を難しく考えて、雁字搦めになっていたなあと、今になって思う。


「両親の近くに住みたいし、都心から離れた星空の綺麗な町に住みたいけど、会社が遠くなるから無理」

「会社が遠くなったら、子育てと仕事を両立できない」

「数年間は子供との時間を大切にしたいけど、育休のリミットがあるから、それまでには復帰しなければいけない」

「仕事に復帰するためには、保育園に入れないといけない」

「0歳で保育園に入れないとそれ以降入れなくなるらしい」

「育休のリミットまでに保育園が決まらなかったら、もう復帰することはできない」

「一度退職してしまってブランクができると、再就職は難しいらしい」

「退職しなくても長く休むと付いていけなくなるらしい」

「私のする選択が、会社の色々な人に影響を与えてしまうかもしれない」

………

ありとあらゆる「〇〇をしなければ、××」という一般論に縛られて、これからの私の人生を、これからの私の命の使い方を、決めようとしていた。そこに私のWANTは一つもない。あるのは、「誰か」の意図がはたらいて、「誰か」が決めたルール。

私のWANTを全部押し殺して、「〇〇しなければならない」に従った結果手にした生活は、本当に私の望むものだろうか。自分が死ぬときに、それで本当に満足だろうか。

今日、3年振りに同期で飲みに行った。7年前新卒で入社した私たちは、小学校の幼馴染みのようにお互いの家が近くて、家を行き来したり、終電を気にせず語り合ったりぶつかったり。この江東区で、この仲間と、色んなことを話して、それぞれに色んなことを乗り越えてきたなあと思うと、ふと寂しさが過る。

それでも、みんなの気持ちさえあれば、これからも簡単に集まることができる。「近くに住んでいなければ、集まることができない」そんな関係なら、必要ない。

何かがなければできないなんてものは、世の中にはきっと本当に少ない。もしかしたら、そんなもの一つもないのかもしれない。


だから、本当に私の心が掴みたいものだけを、大切に手にしていく。

「今持っているから手放さない」ではなく、「あれを掴むためにはこれを掴まなければ」でもなく。

私の一生を終えるとき、本当に必要なものだけが、手のひらにあったらそれでいい。

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