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【Vol.3】わたしのことを好きでいてくれる人は、わたしのことを見ていないと言う女:優衣

 モテるという言葉が生まれてずい分たつ。だが、モテるということは、本当はどういうことなのだろうか。

 キャバクラ嬢は男の鼻の下を伸ばさせて金を得る仕事だから、当然男にモテると思われがちだ。だが、実はそうでもない、とちえりは思っている。そんな時に、優衣はこんなことを話し出した。

 優衣は色素の薄い茶色い髪と真っ白な肌を持ち、甘い雰囲気で整った顔をしている。

 笑うと顔がふにゃりとなって更に柔らかい印象になり、そのせいか、優衣は「君は優しそうだから」と言われて気弱な男によく惚れられる。渋谷のテラス席もあるバーでビールを片手に優衣は、ちえりに語りだした。


A story about her: 優衣


 優衣は昔、わたしが一瞬だけ体験入店をしたキャバクラにいた女だ。その店は、六本木の有名店であまりにもノルマが厳しく、わたしはとてもついていけなかった。

 だが、優衣は持ち前の気弱な男に惚れられる性を生かして、その店に半年程勤めていた。その後、店を辞め、現在は歯科助手をしているが、相変わらず前の店での客をうまく引っ張っている。先日の引越しの際には、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、飼っている猫のケージ、寝具一式などをいろんな男から貢がれていた。しかも、引越し前にはいきなり「俺、きみのためにマンション買うから」と男の一人に言われたそうだ。

 しかし、優衣は今、「わたし、自分がモテてるかモテてないかわからないんだよ」と言う。

 「そんなこと言う女、普通なら張り倒したくなると思うよ」

 そう言いながら、わたしは、アンチョビバターソースのフライドポテトを頬張り、話の続きを待った。

「だからさ、わたしは確かにいろんなもの貰ってるよ。歯科助手の給料なんて安いし、そうでもしないと都内で一人暮らしなんか無理。だから、金銭的には助かってるけど、でも、結局、わたし自身がモテてるわけじゃないしな、って思っちゃうの」

 ならば、今、そこにいる優衣は誰だというのだろう。そう思いながら、わたしは肩をすくめて、「じゃあ、一体どうされたいし、どうしたいのよ」と、面倒な女と付き合っている男のようなことを聞いた。

「それ言われるとわからない、って思うんだけど。でも、わたしのことを好きでいてくれる人は、わたしのことを見てないってことはわかるんだよ。だってこの前、風邪を引いた時に『ずっと弱ってるままの優衣でいてほしい』って言われたんだよ。『そうしたら、ずっと俺が看病するから』ってさ。私さ、その時、この人はわたしが一生、ベッドの上にいてもいいんだ、って思った。本当、わたしのことなんてどうでもいいんだな、って思ったよ」

 そういうの感じると、たまにさ、自分が幽体離脱して、抜け殻の自分を勝手に弄ばれてる所を上空から見てるような気がしちゃうんだよね。

 優衣はそう続けて、白く細い手を挙げてウェイターを呼び、グラスの白ワインを頼んだ。

「でもさ、それって、そう仕向けているの自分自身じゃん?」

 テーブルに来たウェイターに、同じものを頼み、私は言った。

 モテることは実はとても簡単だ。今、書店に行けば山ほど並んでいるモテるテクニックを書いた本の内容を本気で全て実行すれば、誰でもすぐにモテるようになる。

 人間は誰でも自分のことが一番好きで、だから、自分を心地よくさせてくれる人間が好きだ。

 モテるテクニックとは、つまり、人を気分よくさせるテクニックである。

 だが、モテるということは本当にいいことなのだろうか。

 モテるという言葉は、漢字で書けば『持てる』だ。異性から人気があること、ちやほやされることを指し、江戸時代からある言葉だそうだ。

 モテている人間、というのは、持っている人間ということなのだ。だが、その持っているものが果たして本当に欲しいものなのだろうか。少なくとも、優衣はそうではないように見えた。

 欲しくはないものばかりを持っていたら、きっと疲れるだろう。
 重荷を背負っているような気持ちになるだろう。

 それでも、それを背負って歩くことで辿り着きたい場所に行けるなら、足を進めることが出来るかもしれない。

 けれど、辿り着きたい場所がなければ、重荷を背負って歩くことは、苦痛でしかない。

「わかってる。仕向けてるのは自分で、嫌なら全部辞めればいいってことぐらい。けれど、怖いんだ。だって、わたしがわたし自身の本当に思っていることを言ったら、周りから誰もいなくなるかもしれないじゃん」

 私はその言葉に顔を上げた。無性に、腹が立った。白ワインを一息で飲み干し、わたしは言った。

「あのさ、馬鹿じゃないの? 今、わたし、優衣のこんな面倒臭い話を既に聞いてるんだけど。それでいなくなるとかさ、人のこと馬鹿にするのもいい加減にしてって話」

 その瞬間、優衣は顔を上げた。うるんだ瞳の上にある眉根はひそめられ、その表情はまるで怯えた五歳児のようだった。

 そして、瞳が左右に惑った。

 きっと、優衣は、今、わたしが機嫌を直すような言葉、わたしが気持ちよくなれるような言葉を捜しているのだろう。

 わたしは、別にそんなものが欲しいわけじゃなかった。

 だから、わたしは口を開いた。

「自分にとって都合のいい存在だから、誰かと一緒にいるわけじゃないでしょ」

 そうわたしが言うと、優衣はソファに沈み込み、小さく息を吐いた。

 優衣は今、自分にとって都合のいい存在の男達に囲まれて、収入に見合わないいわゆるいい暮らしをしている。

 最初は、偶然の幸運に喜んで「くれるというなら貰っておこう」ぐらいの軽い気持ちでそれを始めたのだと思う。

 しかし、優衣は、現在、都合のいい存在がいることによって、苦しんでいるようだ。

 都合のいい存在をキープするために、自分も、相手の都合のいい存在にならなければいけないという思い込みに縛られて。

  優衣は「自分がモテているのかどうかわからない」と言う。「結局、わたし自身がモテてるわけじゃない」と言う。

 けれど、「自身が自分の思っていることを言ったら周りから誰もいなくなるかもしれないから怖い」と言う。

 それは、「偽者の自分には価値があり、本当の自分には価値がない」と言っているのと同じことだ。

 他人にとって都合のいい何かを持っていないと、自分には価値がない、と言っているのと同じことだ。

 洋服でも、音楽でも、絵画でも、書籍でも、異性でもいい。一目見て、心奪われ、何かに夢中になったことがあるだろうか。

 わたしにはある。

 そして、わたしは、その瞬間、相手が何を持っているかなど、1ミリたりとも考えない。

 その時に、自分の心にどんなに暗雲が立ち込めていたとしても、その時に相手の状況がどのようなものだとしても、そんなものは全て吹っ飛ぶ。

 吹っ飛んで、ただ、焦がれて、目も眩むほど憧れるだけだ。

「何もかもがぶっ飛んじゃうくらい、惚れられるものがあればいいのに」

 優衣は、ソファに沈み込み、そっと小さく、言った。

 モテたいわけじゃない。欲しくはないものを持つことなど、もう嬉しくはない。ただ、どうしようもなく夢中になれるものが欲しい。

 その気持ちには、わたしにも覚えがある。

 いつの間にか日々に流され、月末に家賃と光熱費を振り込むことだけが目標のようになっている今のわたしにも、きっと何もかもが吹っ飛ぶくらいに惚れているものはない。

 優衣は、荷物が多い女だ。化粧ポーチには化粧水がフルボトルで入っていたり、ストッキングの替えが何足も入っていたりする。

 店を出て、駅に向かう途中、優衣は言った。

「私さ、いつも荷物すごい多いじゃない。でもさ、出かけた先で使うものってほとんどないんだ」

 バッグの持ち手を重そうに肩にかけ直しながら、優衣は続けた。

「わたしが言っていることって、そういうのと同じなのかもしれないね」

 荷物を置いて走り出すことはいつでも出来る。そんな正論はあえて言わなかった。わたしはポケットの中の鍵を触りながら、「かもね」と答えた。

 違う路線で帰るわたしと優衣は駅前で別れた。雑踏の中にまぎれていく優衣の後ろ姿は、荷物が多いくせに姿勢がよくて、ヒールから伸びるふくらはぎは眩むように白く美しかった。

 わたしは、彼女を見送りながら、出来ればいつか、荷物などなくしても優衣が心を預けられる男がいればいいと思った。人任せにしている自分が、少し、情けなかったけれど。

 渋谷の雑踏は今日もごちゃついていて、怪しいキャッチセールスや胡散臭いナンパがあちこちで行われている。
 ネオンのせいで、月も星もよく見えない。けれど、私は空を見上げた。

 持っているものなど全てかなぐり捨てて飛び込める、本当に惚れられる何か。

 見果てぬもののような気がした。

 けれど、わたしも、そして、きっと優衣も、それがどこかにあると信じたかった。

 月にかかっていた雲を、なぎ払うように風が吹いた。

 こんな風に、胸の中の暗雲も吹き飛ばしてくれたらいいのに。

 そう思いながら、ビルの上空で肩身が狭そうにしている月を眺め、改札に向かって歩き出した。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき


※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 連載コラム3回目。このあたりから緊張がとれてきてる気がする。

現在、Amazonでは在庫切れみたい。

TSUTAYAでは在庫があるのかな。もしかしたらkindleパブリッシングとかで販売しなおすかもしれないです。ていうかリニューアルして販売したい。

現実に疲れ、夢に立ち向かう勇気を失った女の子が身を寄せる「キャバクラ」という名のモラトリアム。自分の夢と向き合うまでのストーリー。

Amazon『腹黒い11人の女』内容(「BOOK」データベースより)

 こちらは、出版当時の本の内容紹介。モラトリアムって、大人になると「面倒くせえな……」としか言いようがないんですが、でも、モラトリアムってなんか独特の輝きがあるよね。青春のダークサイドの贅沢的な。

 読書メーターのご感想もとても嬉しかったです。 

 最初は毎週木曜更新にしようかと思っていたが、なんか気の向くままにやりたくなったので、気の向くままあげていきます。

 またね!


作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。