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【Vol.7】「職業はデート」と言い、5股をかけている女:莉奈

 二股をかけたことがある人間は30%以上という統計が出ているそうだ。携帯を駆使し、時にはパソコンやSNSも使い、日々走り回るようにめまぐるしく男と男の間を渡り歩く女達は、一体何が楽しいのだろうか。

 そう思いながら、ちえりは今、「今の仕事? 男とのデートかなぁ」と言い、マティーニを飲んでいる梨奈の話を聞いている。


A story about her:梨奈

 梨奈は、31歳の既婚者だ。一年前に年収1000万以上ある男と出会って二ヶ月で結婚した。夫は、多忙でほとんど家に帰ってこず、ほぼ一人暮らしのような状態だそうだ。現在は横浜の3LDKのマンションで、ジムとエステに行くついでにスーパーに買い物に寄るような生活をしている。

 そして、週末ごとに都内にやってきて、西麻布や六本木界隈で朝までクラブやバーを4~5軒はしごをする。その上、SNSで知り合った相手と会ったり、オフ会に出たりもしているそうだ。そこで出会った男達に「旦那が別れてくれないの」などと言いながら、現在、5股をかけている。

「わざわざ都内に出たくない時にはさ、アルマーニのチョコレート買ってきて、とか言って男を家に呼びつけて。そうしてたら、他の男が『今、近くにいるんだけど行っていい?』とか連絡来たり、男の家から朝帰りしている時に、電車で出勤中の別の男と会っちゃったりさ。で、それを夜遊びで知り合った女の子とかに『やばかった』なんてすぐメールで報告して。そういうの楽しいんだよね」

 莉奈は確かに道行く人間の9割が振り返る程に美しい。現在31歳だが、いまだに10代後半から20代前半をターゲットにする雑誌の読者モデルをやらないかと声をかけられるそうだ。

 だが、言っていることは正直に言って、同じ女のわたしですら、モテてるつもりの馬鹿アラ30としか思えなかった。

 自分とは全く価値観の違う人間がいるものだ、と思いながら、わたしは、ブラッディメアリーを飲み、「その精力、分けて欲しいよ」と半ば嫌味混じりに言った。

「何、言ってるの、若い癖に」

 莉奈は、グロスで艶めかせたハート型の唇をほころばせてそう返す。

「え、じゃあ莉奈さんは若い頃は10股とかかけてたの?」

 わたしは、まさか、と思いつつも質問をした。

「いくらなんでもそんな訳ないでしょ。わたし、20代は真面目だったよ。こういう風にするようになったのは、結婚してから」

莉奈は、嫣然と微笑みながらそう言った。

 知り合ってすぐの電撃婚。年収1000万の夫。莉奈からそういった話しか聞いていないわたしからしてみれば意外な答えだった。

 「どうして」と問いかけるわたしに、莉奈はこう答えた。

「旦那は稼いでて、忙しくて、好きとか嫌いとか思えるほど家にいる人じゃないでしょ。わたし、それを見越して結婚したの。そうしたら、諦められるかな、って思って」

「諦めるって、何を?」

「何だろう。自分は何でも出来て、いつも楽しい人生を送れる、みたいなこと。あ、一言で言えば輝かしい未来、かな」

 そう言って、莉奈は喉をそらせてマティーニを飲み干した。

 わたしはまだ23歳で、莉奈よりはずっと若い。けれど、その言葉が何となくわかるような気がした。わたしや、わたしの周囲の女達にはひとつ、共通点がある。それは、上を見ることや前を向くことに疲れきっているということだ。

 けれど、まだ20代前半のわたし達は疲れながらも、諦めきれない。

 どこかに、輝かしい未来があるはずだ、何かを手にいればそれに近づけるはずだ、とまだ心の中で小さく思っている。

 けれど、莉奈はもう諦めきれたのだろうか。

 わたしは、「それで諦めきれたの?」と莉奈に問う。

「こんなもんかな、って思うよ。帰ってこない旦那のご飯を作って、冷めたものを翌日自分で食べて、何だか悲しくなってさ。それで、他の男に電話して、出なければ更に他の男に電話して。そうしていれば、忘れていられる」

 それは諦められたのではなく、ただ麻痺させているだけなのではないだろうか。そう思いながらも、口を開けなかった。

 莉奈よりもずいぶん年下の、まだ何も知らない私が、言っていい言葉ではないような気がした。

 莉奈は手帳を持たず、常にロックをかけている携帯でスケジュールを管理している。予定を忘れていて男がバッティングしてしまった時には、「旦那が戻ってくる」「親戚が上京する」などで切り抜けている。まず、旦那がいるということに目がいっている男達は、他の男の存在には気付かず、その点で苦労はないそうだ。

 エクステンションで完璧なカールを描いた睫毛に縁取られた、鏡のように透明な目で莉奈はそう話す。

 本当は、ばれてもばれなくてもどうでもいいんだけどね、と言うように。

 もしかしたら、莉奈は綱渡りのような日々を過ごしながら、どこかで全てが破綻することを望んでいるのかもしれない。

 そう思うと、内臓を見知らぬ誰かの冷たい手で、撫でられたような気持ちになった。

 綱渡りのような狂騒の日々を過ごしているという点では、ある意味で、わたしも一緒だ。キャバクラ嬢という仕事柄、わたしも毎日、複数の男を相手にしている。複数の男を相手にすれば、当然、トラブルがつき物で、それらをさばいているだけであっという間に時間は過ぎ、何も考えなくて済む。

 けれど、何も考えなかった先には何があるのだろうか。莉奈の透明な瞳を見て、そう思った。

「今日? 西麻布の男が働いているバーに行って、お店終わったらご飯食べてその子のうちに行くかな」

 莉奈は、完璧に化粧を直した顔で、そう言い、携帯を眺める。

「あ、西麻布の子はちょっと今、面倒なお客さん来てるみたい。じゃあ、青山の子に連絡しようかな」

 何事もなかったかのように、莉奈はそう携帯をいじる。そんな近場を行動範囲にしている男同士など、止めた方がいい。そんなことなど、きっと、わかっているだろうに。

 タクシーを拾うからといって莉奈は駅とは逆方向に消えていった。タクシーを止めるまでの短い道ですら、莉奈は男に声をかけられていた。やはり、彼女は尋常じゃなく綺麗な女なのだ。

 けれど、わたしは彼女が怖かった。莉奈は美しい。無数の男が彼女を欲しがっている。

 だが、わたしには、彼女が美しい絵柄を描かれた砂を詰めただけのズタ袋のように見えた。

 週末の夜。街には、着飾った女達で溢れていた。誰もが隙のない化粧をし、ヒールを鳴らして、自分を待つ男の元に駆けていく。

 けれど、その女達が本当は何を思い願っているかを知りたいと思う男は、果たしているのだろうか。

 どこかの店の排水が漏れて出来た水溜りに、街のネオンが映って見えた。

 輝かしい未来なんて、最早、排水に映る幻なのかもしれない。そう思いながら、足早に歩く。莉奈が抱える虚無に、追いつかれないように。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき

※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

 小説版『腹黒い11人の女』はこちら。奄美大島では、名瀬と奄美空港の楠田書店さんで売っています。

 この話に登場する子もモデルがいるんだけど、なんというか、彼女は存在自体が切なかった。わたしは、彼女のことを好きではなかった。魅力的だし、彼女といるとクラブやパーティのゲスト枠やシャンパンやワインには困らず、彼女が繰り出す男性関係の話を聞くのは面白かった。けれど、振り返れば、わたしは彼女のことを好きではなかった。

 けれど、彼女は言ったのだ。

「わたしはアキコのことが好き過ぎる」と。

 わたしはわりと人間関係が長く続くタイプで、今まで完全に絶縁した人間は二人しかいない。その一人がこの話の莉奈のモデルになった彼女だ。

 わたし達の関係は、『見下し』に基づいた共依存だった。
 彼女は、わたしを見下し、わたしはその彼女の内面を知っていた。
 知っていて、付き合っていた。

 面白かったから。

 そして、いつかは別れる間柄だとあらかじめわかっていたから。

 発想が酷い男、それこそ遠藤周作先生の『わたしが・棄てた・女』の主人公みたいですね。

 わたしとしては、『原罪』と『汝の敵を愛せよ』という言葉の意味がわかる名作です。遠藤周作先生はクリスチャンなんだよね。

 以前、書いたけれど、わたし、幼稚園がキリスト教系のところだったの。
 で、奄美大島って教会がたくさんあるんだよね。わたしが住んでいるところは徒歩5分以内に教会が5つはある。

 「三谷さんってどうしてそんなに偏見がないの? オープンなの?」

 わたし、島に来る前からわりとよくそう聞かれるんだけど、最近、奄美大島のクリスチャンの方とお話しする機会がよくあって気付いたの。

 『神の国の国籍はひとつ』というのが聖書の教えで、わたしがずっと感じていたことはこのことだった、って。

 その感覚はわたしが小学校一年生の頃のことを書いたこの文章にも表れていると思う。

 しかし、当時、小学校一年生のわたしは、その感覚を言葉にする術を持っていなくて、自分でもどうしてそう感じるのかわからず、周りにその感覚がないということもわからない。

翌日から、私は学校に行けなくなった。

周囲を人間だと信じていたが、実は全員アンドロイドか宇宙人だった。

映画や小説でよくある設定だが、当時の私の視界はまさにそれだった。本当に、彼女の言葉を聞いた瞬間に廊下を行き交う人々全員が、緑色のどろどろした粘液状の得体のしれない何かに見えたのだ。世界と人に対しての認識は、同じ土台の上で動いているという基礎があってだ。だが、世界は私が当たり前に信じていた土台とは全く異なるルールで動いていたのだ。

世界は、いきなり、異界になった。

三谷晶子 note『世界中のありったけのきれいな言葉を集めて』より。

 小学校一年生でこれは、そりゃあ、相当生きづらいよな……、と、当時の自分に我ながら同情です。

 と、話がずれてしまいましたが、そう、わたしはこの話のモデルになった彼女のことが嫌いだった。けれど、この話は、どうしようもなく愛の話であると我ながら思っているし、同時にすべての物語はすべて愛の話なのよ。

 それじゃあ、またね!


作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。