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【Vol.4】将来の夢は『かわいいお嫁さん』な女:真紀

 幼稚園の頃、将来の夢は何? と聞かれたら大抵の女児が『かわいいお嫁さん』と答えた。今の時代はどうなのかはわからないが、少なくとも20年ほど前はその答えが定番だったように思う。そして、その頃、幼稚園生だった女児達は今、大人になっている。

 新宿のバーの片隅で、ちえりは、今も将来の夢は『かわいいお嫁さん』だという女、真紀の話を聞いていた。


A story about her: 真紀

 真紀は、不動産管理会社の営業をしている女だ。すらりとした体躯ときつめの整った顔を持ち、いかにも仕事が出来るような見た目で、実際によい成績を会社では出している。だが、真紀は「将来の夢は幼稚園の頃からずっと変わらず、かわいいお嫁さん」と言っている。

「きちんと子育てするには、外で働いていられないじゃない? だから、自分の年収の二倍は稼いでくれる人が欲しいの。そうなると年収600万円以上ないと無理でしょ」

 しかし、現在、年収600万円以上の20~30代の独身男性は3.5%程度だそうだ。それだけしかいない男を得るのは相当に難しいだろう。

 わたしが、そのことを伝えると、真紀は少々むきになりながら、こう言った。

「そんなのはわかってる。でも、わたし、美容院にも行きたいし、時々は新しい服も買いたい。子どもに手作りのおやつを作って、旦那のこと毎日ちゃんと出迎えたい。『かわいいお嫁さん』になるには、どれも不可欠で、そのためにはお金が必要なんだよ」

 男がどれだけ金を持っているかは腕時計でわかる。結婚するつもりなら、相手の通帳は必ずチェックしろ。親の職業と親の家が持ち家かどうか、もちろん、長男か次男かは基本中の基本だ。

 これらは全て真紀の言うことだ。

 そして、真紀の周囲の女達は一様に同じことを言っているそうだ。

 わたしも同じように、客の金銭的な状況を見る。独身か既婚か子どもはいるか、家は社宅か実家か持ち家か賃貸か、給料日はいつか。その情報を元に、月末だから営業をしようだとか、家族がいるから土曜日に声をかけるのは止めておこうだとかを考える。

 しかし、真紀は『かわいいお嫁さん』になるためにそれらをしているのだ。わたしは、疑問に思って聞いてみた。

「わたしも、そりゃあ、仕事だから客の金銭状況はチェックするけど。真紀がそうやってチェックするのも、ある意味で仕事なの?」

 その瞬間、真紀の顔が膨らんだように見えた。持ち上げていたグラスを真紀は震える指で置いた。明らかに、真紀は怒っている。真紀の態度の急変に驚きながら、わたしは彼女の言葉を待った。

「仕事とか、水商売とかと一緒にしないでよ」

 そういうことなのか。わたしは腑に落ちた気持ちで、足を組み替えて息を吐いた。

 将来の夢はかわいいお嫁さん。

 そう夢を描くのが女の子は正しい。

 そういった刷り込みに影響されている部分は、女ならどこかにあるものだとわたしは思う。

 その夢は、仕事などの金銭が媒介するものと同列に並べてはいけないことで、ましてや水商売と一緒にするなどとんでもない崇高なものだ。そういった意識は、今も多くあるだろう。

 水商売は汚れた仕事だ、といまだによく聞く。わたしの周囲の同業者は、その考えを古いと笑っている。けれど、わたしは、ある意味で、『水商売は汚れた仕事だ』ということは当たっていると思う。

 何故なら、水商売は、『かわいいお嫁さん』になる夢をすり減らす仕事だからだ。

 既婚の男がどれだけわたし達に金を使い、鼻の下を伸ばし、店に通い詰めるか、わたしは身をもって知っている。

 それらを毎日眺め続けた上で、『かわいいお嫁さん』を夢見ることはなかなか難しい。

 しかし、『かわいいお嫁さん』になる夢は、現在、水商売をしなくても、ずい分とすり減らされているのではないだろうか。

 3.5%しかいない年収600万円以上の男、3.5%の男を求める女、3.5%に含まれない96.5%の年収600万円以下の男、そして、3.5%の男に選ばれない何%かわからない無数の女たち。

 この図式を見ると気付くことがある。

 それは、これらを求め続けていると、確実に多くの人間が幸せになれないということだ。

 だから、『かわいいお嫁さん』になりたい真紀は男の年収をチェックする。自分の求める幸せを得るために、それらを与えてくれる男を選別する。

 それは確かに自分の夢を叶えるために必要なことだ。

 けれど、その作業をしている間、真紀は『かわいいお嫁さん』になる夢をすり減らしてはいないだろうか。

 いつも綺麗で、優しくて、食卓には手作りの料理を並べて、旦那の帰りを出迎えて、子どもの運動会などのイベントには必ず参加する。真紀の求める『かわいいお嫁さん』像はそういったものだ。

 けれど、真紀は今、月末は深夜2時まで残業し、その上、会社からの要請で宅地建物取引主任者の資格を得るために勉強をしている。

 真紀の夢は、今までのように働いていたら到底叶えることが出来ないだろう。

 そして、働かずに暮らせるだけの年収を持っている男は現在たったの3.5%だ。

 わたしは、そのような話を真紀にした。真紀は、先程の怒りを収めて、「そうかもね」と同意をした。

 沈んだ声で、真紀はこう続けた。

「昔は、簡単に見えた夢がどうして今は叶えるのが難しいんだろう」

 時代も時代だしね。不景気だしね。仕方ないよ。

 それらは全て正しい言葉だった。けれど、わたしは真紀にそんな風に言いたくはなかった。

「だったらさ、家で仕事が出来るようになるとかはどうなのかな。それでも、もちろん仕事してるから忙しくて旦那や子どもに何も出来ないこともあるかもしれないけどさ。それでも、楽しく『かわいいお嫁さん』になれるくらい強くなるの。そういうのって駄目?」

 真紀が、ふと顔を上げた。

 そして、「それ、いいかも」と呟いた。

『かわいいお嫁さん』になる夢は、最早、荒唐無稽なものなのかもしれない。けれど、どんなに叶いそうになくても、夢があるだけいいのではないだろうか。

 3.5%の年収600万円以上の男と結婚することと、私が言ったことのどちらが難しいかは、正直に言ってわからない。

 けれど、少なくとも、叶えるために何かをしようと思えるなら、それでいいのではないだろうか。そう思えることが、きっと、夢や自分をすり減らせない一番の方法だ。

「わたしって簡単だな。何か、今日話して一気に宅建の勉強、やる気が出てきた」

 真紀は小鼻に皴を寄せて笑いながら、そう言う。

「そういう簡単さも『かわいいお嫁さん』の必要条件かもよ」

 わたしは、唇の片端を上げてそう返す。

 帰り際、真紀は宅地建物取引主任者の勉強に使う資料を見せてくれた。全く理解不能の専門用語と数字の羅列に、見るだけで眩暈がした。

「受かったら奢ってよ」

 真紀が、わたしの肩を叩いてそう言った。

「やだよ、結婚式でご祝儀はずむ予定だし」

 わたしは、真紀の肩を叩き返してそう返した。

 絶対だよ、どこで結婚式しても絶対来てよ。行くよ、そしたら新郎の友人の男前を紹介して。

 そう言い合いながら、夜道を歩いた。じゃれあいながら歩く帰り道は、『かわいいお嫁さん』が夢だった幼稚園の頃と一緒だ。

 黄色い帽子や名札つきの青いスモックはもう手元にない。けれど、あの頃に描いた夢を真紀は形を変えながらいまだに持っている。

「また飲もうね」という一言に、幼稚園の頃、退園の時間に「また明日ね」と手を振り合った日々を重ねた。

 時刻は終電間近。夕暮れなどとうに過ぎていたけれど、『夕焼け小焼け』が頭の中で流れた。

 変わったものもあるけれど、変わらないものだってあるよ、きっと。

 タクシーに乗る真紀に手を振り、駅に向かった。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき


※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

小説はこちら。現在在庫切れですが、電子化とリニューアル再出版企み中。

 この第四回目は女性たちに評判がよかった。前向きな話なのがいいのかもね。

 けれど、男性からの感想は少なくて、これはこの話が実は「全く男に期待していないし、男に何とかしてもらおうなんて思っていない」二人の女の話だからだ。

 この視点で見るとこの第四話は『腹黒い11人の女Spin-outコラム』の中でも屈指の諦めと絶望の回だと思う。

 この二人の会話って、男性がいないんだよ。真紀は好きな男の話をしているんじゃなくて、将来したい自分の暮らしの話しかしていないから。
 で、ちえりも真紀が将来したい暮らしをするにはこういう手もあるよ、と話しているだけなんだよね。

 これを書いた15年近く前には、Amazonで精子採取キットが売っている時代でもなくて。

 ちなみに男性は知らない人も多いと思うが、今じゃ普通にAmazonで売ってるよ。精子採取用シリンジ。

 しかも安い、という。

 こちらは主に不妊に悩むカップルが使っているものだと思うけど、実際、わたしの知人でも夫を持たずにこれを使って妊娠して子どもを育てている子もいるのよね。

※注:精子の入手先は彼女のプライベートだから知りません。最近、精子売買で売買する側の男性が学歴など嘘をついていた、という事件が日本でもあったし、現状、精子売買は日本では違法です。詳しくは検索するといっぱい出てくるが、まあ、こちらの記事でも。

 わたしの知人はこの記事の中でいう『選択的シングルマザー』なんだけど、「子どもは欲しいが男はいらない」って女性は、わたしが20代の頃の20年前からすごく多かった。けれど、その時代にはなかなかそれを実際に行うことは、ハードルが高かった。

 ひとりで子どもが欲しいと思う女性に対する世間の価値観や見方は、まあ、一言で言えば「糞ビッチ」ってものだったし、そしてシングルマザーに対する世の見方も、子育てしながら仕事する女性が受け入れられる社会基盤もなく、物理的な精子の調達方法もメジャーじゃなかった。

 それが簡単に実現できるようになったのが今の時代なんですよね。

 この真紀とちえりの話も、今だったら、わたしはこう書くと思う。

「だったらさ、家で仕事が出来るようになるとかはどうなのかな。それでも、もちろん仕事してるから忙しくて旦那や子どもに何も出来ないこともあるかもしれないけどさ。それでも、楽しく『かわいいお嫁さん』になれるくらい強くなるの。そういうのって駄目?」

 上記noteより、真紀に対するちえりの台詞

「それって、自分が稼いで、話が分かる男友達に精子採取キットで精子提供してもらえば解決しない? 自治体からシングルマザー手当もあるし、嫁姑問題とか、相手の家のこととか考えなくていいから超楽じゃん。そもそも真紀の話には、男の影が微塵もないんだからさ。子どもに手作りのお菓子を作ったりして、自分も美容院行ったり、好きな服を買ったりしたいってだけでしょ? だったら、男、いらないじゃん」

 この元のコラムを書いた当時だと『子どもが欲しいなら結婚しないと』という価値観がまだ根強かったが、今は全然そうでもないしね。普通に、シングルマザーも、精子採取キットを使った女性も、事実婚を選んだ女性もいますしね。

 この真紀のモデルになった女の子は元気かな。宅建合格してバリバリ仕事してるっていうのは噂に聞いたけど、その後は知らないな。

 もし、これを読んで、「あ、わたしがモデルじゃん」と思ったら連絡してね。そして、あの時から今まで、そしてこれからの話を聞かせてほしい。

 どんな方法であれ、わたしは同じ時代を共に過ごした彼女たちの幸せをいつも願っているよ。

それじゃあ、またね!

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。