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痛いものを痛いと言うことについて

2021年は、ダイバーシティ&インクルージョンに関して気づきの多い1年だった。

特に、『存在しない女たち: 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く(Invisible Women)』『Google流 ダイバーシティ&インクルージョン』の2冊にはガツンとやられた。


個人的には、ダイバーシティ&インクルージョンに関して、感情や感覚ではなく構造で語れるようになりたいと思っている。特に、経営のテーブルで感情を出したら、話が1ミリも進まなくなってしまう。さらに、ビジネスに実装するところまでを描けてこそ、男性経営陣と話せるようになると思っているし、それはいまでも変わらない

しかし、今年は、感情面で考えさせられることが多かった年でもあった。

整理がつかないまま発信するのもどうかと思うが、思いのままに書きなぐってみたい。

本当は痛かった

今年はじめ、東京五輪組織委員会の森会長が不適切な発言をしたとして辞任に追い込まれた。

私が驚いたのは、当該発言の内容ではなく、複数の駐日大使館からこのようなTweetがされたことだった。「DontBeSilent(沈黙しないで)」というハッシュタグだった。

驚くとともに、私は、各国のTweetを見ながら泣いていた。感情が高ぶり、涙が出たのだ。不意打ちだった。

報道を見たとき、ああいうかんじでこれまで生きてきたのだろうし、もう変わらないだろうな。こういった態度を許してきた周りも周りだし。時代は変わっているのに自分の価値観が変わらないとこうなるんだな。

そう思った。明日は我が身だと思った。

自分の感情をなかったことにしようとした。

そんなとき、外から「#DontBeSilent(沈黙しないで)」と声が上がったことで、あ、痛かったんだと思った。

本当は痛かったのだ。

本当は不快だった。

声の上げ方が分からない

いつから「そういうものだ」「明日は我が身」とスルーするようになったのだろう。

たとえば、参加者がほとんど男性の飲み会などで不快な言動があっても、なるべくスルーしてきた。笑ってやり過ごす。早く次の話題にならないかな。

声を上げるのはめんどくさい。

特に、そういった言動をする当事者は大きな問題だと気づかずこれまで生きてきたわけで、そこに物申すのはコミュニケーションコストがかかる。それだけでなく、違和感を共有したが最後、めんどくさいヤツというレッテルがこちらに貼られる

そういうものだとスルーしたほうが楽だった。既存の構造に適応することを優先しているうちに、声の上げ方が分からなくなっていた。

そもそも気づいていない

話は変わって、今年、会社で有給生理休暇についてアンケートが取られた。

すごく良いと思った。

なぜなら、生理は、私がスルーしてきたことのひとつだからだ。薬を飲めば問題なく稼働できるし、そんなにオオゴトなのかしらと思っていた。こんなんだから、これまでせっかく上げてくれた声を潰してしまったこともあっただろう。メンバーが声を上げ、実際に動いてくれたことに本当に感謝している。

もうひとつ。今年は、アフガンのニュースからも目が離せなかった。女性というだけで真っ先に教育の機会が奪われ、圧制されていく様は衝撃だった。底が抜けるようで怖かった。ひとたび傾けばこうなるのかと思った。ダイバーシティ&インクルージョンが叫ばれているいまの状況がひどく心もとなく感じた。そして、私はあまりにも無知で無力だった。

自分事になったテーマ

私個人としては、今年、スポンサーシップ・コミュニティを立ち上げた。「ベンチャー企業における意思決定層の多様化」をテーマにしている。

ほんの数年前まで、私は、自分が歪な構造の中にいることに気づいていなかった。経営層に女性が少ないのは、そういうものだと思っていたのだ。

しかし、ようやく気づいたのだ。インプットやアクションを重ねれば重ねるほど、構造のおかしさを知り、なんだか気になるようになった。私がこれまでしてきた意思決定や実行してきた施策は、同質性を高める視点しかなかったのではないか。無意識に排除してきたことは何か。

私にできることはなにか。

どんな課題にも当事者意識を持てるかと言われれば、もちろんそうではない。生理にまつわる課題について、私に旗振りは出来ない。そこには深い隔たりがあるけれど、しかし、痛みに気づかず、理解しようともせず、既存の構造の表面上を高速で駆け抜けるよりは人間らしくなったのではないかと思う。

「痛いものは痛い、とおっしゃい。」

感情に迫るという点では、上野千鶴子さんと 鈴木涼美の著書『往復書簡 限界から始まる』が良かった。「エロス資本」「母と娘」「承認欲求」「自由」といったテーマについて、殴り合いのような対話が行き交う。

経営でダイバーシティ&インクルージョンが語られるとき、まだまだ、性別、国籍や年齢といった外から分かる表層のダイバーシティであることが多い。しかし、本書では、いっきに深層のダイバーシティにダイブしていく。

上野さんは、鈴木さんを覆っている殻を1枚ずつ剥がしながら、「痛いものは痛い、とおっしゃい。」と語りかける。

自分の痛みも、人の痛みも、スルーしない人になりたい。

痛いものを痛いと言えるようになりたい。

そう思った。


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