まわりが対話を諦めたその中心に私がいたなら。
みんなのコードでは、年数回、全国から社員が集まるオフサイトを開催している。先日、年内最後の全社オフサイトを開催し、コンテンツのひとつに「2022年の喜怒哀楽を吠える」というプレゼン大会を準備した。
概要はこんなかんじだ。
数字や成果ではなく、ひとりひとりがどんな感情を抱きながら働いていたかに焦点を当てたかった。
仕事で感じた喜び、楽しかったこと、哀しかったこと。これまで人に共有できなかったことで繋がれた経験、子供のこと、社会課題に対しての怒り、そもそも感情をコントロールするようにしていることなど、多岐に渡るストーリーを浴びた。
自分の中に、働くメンバーのアンテナが取り込まれた感覚があった。(準備も簡単で、部署単位などでもおススメです!)
さて、私は「怒」を取り上げた。感情から振り返ったからこそ、自分の弱みを開示し、だからこその意志表明ができたのではないかと思う。
2022年のnoteは、スピーチの内容を残す形で書き納めたいと思います。本年もお付き合いいただきありがとうございました!どうぞよい年をお迎えください。
2022年、私は怒りました。
やり場のない怒りを抱きました。
ロシアウクライナ情勢です。戦争が始まったとき、「やめろー!」と思いました。世界の平和と安全維持を担う国がそういう意思決定をしたことに絶望も感じました。なぜこのような意思決定に至るのか、自分事として考えるきっかけにもなりました。
私には、ロシア人の友人がいます。彼/彼女と話したとき(※noteではエピソードを割愛します)、世界が分断されるとはこういうことなのだと思いました。対話が成り立たないとこうなるのだと思いました。
対話にはコストがかかります。
今日のオフサイトでは、午前中にアンコンシャス・バイアスに関するワークショップをしました。20代のときの私が参加したら、正直めんどくさいと思ったと思います。
アンコンシャス・バイアスを認知しないほうが早く物事が進みます。いちいち考えなくて済みます。
何より自分を変えなくていいし、楽です。
事業の成果を残すことが最優先でした。
意思決定をする役割になってからも、物事を前に進めるために、モノを言わせない空気を出したり、見えないふりをしたことがたくさん思い返されます。私のこういう姿勢の影で、対話が成り立たないと思った人たちがいたはずです。「こいつに何を話しても無駄だ」と諦めた人たちがいたと思います。
みんなのコードで働く中で、深い対話をとおしてインクルーシブなプログラミング教材を開発できることに感動しました。子供の居場所事業では、生理用品を設置したりガールズデーを開催したり、「すべての子ども」にとって良い居場所は何か、実践できることを知りました。
さまざまをスルーしてきた私にとって、ひとつひとつが尊いです。
「何を話しても無駄だ」ではなく、「人と話したら、少なくとも手の届く範囲はより良くしていけるのではないか」という実感を持つことができました。自分のバイアスに気づかせてもらうことが喜ばしいことに変わりました。
私は、内向的であることもあり、気を抜くと人と話すのはめんどくさいと思ってしまいます。しかし、まわりが対話を諦めたその中心に私がいたら、戦争という意思決定をする当事者になる。ふと、そんなことを思いました。
だから私は、2023年、なるべく対話をサボらずにいたいし、少なくとも手の届く範囲をより良くしていきたいです。そんなことを実感できた2022年でした。
今年もありがとうございました!
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