「料理が苦手」と言えるようになるまでの派手な回り道
2022年新たに挑戦したことのひとつに、半年間、調理の専門学校に通ったことがある。社会人が週末に調理のいろはを学びながら開業を目指すコースに通い、修了した。
ぶっちゃけ
料理をするのが好きかと聞かれたら、私は好きではない。
何もそんなことをドヤらなくても、と思われるかもしれない。しかしこれまでの人生で、「料理をするのが好きではない」となかなか言えなかったのだ。
幼い頃から「男性の胃袋をつかめる女性になりなさい」と言われて育った。
大学を留年したときには、このままでは嫁に行けなくなると危惧した母がクッキングスクールを申し込んでしまったほどだ。
「得意料理は?」「自炊してるの?」と聞かれては、「適度ですぅ」「適度に炒めるかんじですぅ」とやり過ごしてきた。
適度であることに嘘はないが、「料理をするのが好きではない」こと、正しくは「料理をするのが好きではない(女性なのに)」ということが、いつしか重石となって自分の中に沈んでいた。
好きになれないかしらと、たまにその存在をツンツン触るくらいに。
そんな私が、なぜ調理を勉強しようと思ったか。
食材を持ったままその場で360度まわる事態
毎年、年初にテーマを掲げている。
コロナ禍でカラダの調子が変わったことが気になっていた。いや、コロナ禍に始まった話でもない。これまで、自分がやりたいこと最優先、食や体といったことを完全に後回しにしてきた。いよいよ、そろそろケアしていこうと思い、2022年のテーマに「カラダ」を掲げた。
その施策のひとつが調理の専門学校だったのだ。
動機がナナメ上にある素人が、コックコートに袖を通し、ゆくゆくは開業を目指す集団の中で呼吸するのは大変なことだった。
毎日千切りするというタスクを自分に課した。わざわざキャベツの千切りをしなくてもピーラーがある時代に、むしろすぐに買えちゃう時代に、来る日も来る日も千切りをした。プロ仕様の切れ味鋭すぎる包丁に振り回され、何度か指を切った。火傷もした。
フレンチシェフに6ヶ月間教わった。各回のテーマに沿ったレクチャーがあり、シェフの実演を見た後に、全工程をひとりでやるスタイルだった。
初回のクラスでは、「はい!それではやってみましょう!」と個人に委ねられた瞬間、食材を持ったままその場で360度回った。
完全にパニックゾーンにいた。
授業が終わり、掃除をしながら「なぜここで床を磨いているのだろう」と何度も思った。
調理は理論、レシピは具体
しかし、回を重ねるとだんだんと慣れるもので、1ヶ月が経つ頃にはすぐに作業に取りかかれるようになり、劣等生感も薄まった。キラキラに見えていた周りの受講生もそれぞれがハードルを越えようとしていることを知った。
キャベツの千切りもブレイクスルーの瞬間があった。
調理の勉強は楽しかった。
普段、何を作るか考える手順はこうだ。冷蔵庫の中身を思い出す。何を食べたいかをひねり出す。レシピアプリを漁って何を作るかを決める。
調理は違った。
まず食材があって、その状態を見ながらどんな調理をすれば、素材の良さを引き出していけるかを考える。どう切るか。どう火を入れるか。オリーブオイルと塩胡椒で仕上げる料理も多かった。
調理は理論や原則、レシピは具体例なのだと思った。
私は、レシピという具体に溺れていたのだ。理論が分かってはじめてレシピにレパートリーが生まれるのだ。
「人にどう見られるか」に決着を
理論だ具体だ書いてはみたけれど、結局、最終課題を提出することができなかった。最後の最後に挫折した。
楽しむことよりも、ツラいが勝ってしまった。
なぜ調理を勉強しようと思ったか。
「2022年のテーマがカラダだから」なんて書いてはみたけれど、毎週末、調理コースに通うなんて、なぜそこまでする必要があったのかと、自分でもそう思う。
きっと、ずっと自分の中に沈んでいた重石と決着をつけたかったのだ。
「料理をするのが好きではない(女性なのに)」
果たして料理を好きになれるか、私にとっては究極の実験だった。ここまでチャレンジしてダメだったら、やり切ったと言える。
料理をするのが好きでないことも、諦めがつく。
諦めたかったのだ。
きっと、ずいぶん前から。
「料理は苦手」と言えるようになった。ようやく。自信を持って。
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