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心地のよい家づくり|生まれ育った場所の記憶

無意識の記憶


住宅の設計という仕事柄、育った住環境と大人になって好む住環境って関係あるのだろうか?と思うことがあります。というのも戸建ての設計を依頼されるクライアントにお聞きすると、ほとんど戸建てで育っているんです。そして口をそろえてマンション暮らしより戸建てが好きとおっしゃる。マンションなど集合住宅で育った方は、マンションの方が楽な面が多く住みやすいと感じるが戸建てなら戸建てでもよいという許容範囲広めな方がほとんどという感じです。
一方こういう方もいました。東京での暮らしがどうも落ち着かないと感じていたある日その理由が分かったそうで、それは「山が見えない」。生まれ育った故郷の町からは山々が見えていて、自分の精神安定が実はその景色だったと気づいたという話もありました。
冬でも窓を少し開けていないと息が詰まってしまうという方も、実家がそういった暮らし方をしていたそうです。どうも暮らしの根っこみたいなものは育つ過程で結構な影響を受けているんではないか。というのが経験を踏まえた実感としてあります。読んでくださる方にもきっと何か残っている家の記憶というものがあるんではないでしょうか。

記憶の再現


では自分ではどうかというと、私はものすごく影響を受けています。
私が育ったのは、東京都の杉並区というところです。中島飛行機という戦前のメーカーでエンジニアをしていた祖父が昭和初期に移り住み建てた築50年を超える和洋折衷の平屋の木造で育ちました。広い庭があり、南側に広縁と縁側を持つおおらかな建物で掘りごたつが一家団欒スペース件食卓でした。井戸もあり飲料も長らく井戸水。さらに幼い頃は浴室は木の浴槽でした。さすがに薪口にはガスコンロが設置されてガスで沸かしていましたが。トイレはもちろん和式。その扉はかんぬきでした。友達の家に遊びに行けば最新のユニットバスだったり、フローリングのリビングで椅子とテーブル。平屋暮らしで階段には憧れがありました。中学生になって与えられた自分の部屋はもともとは女中さんの部屋でした。当時周辺にも井戸水で暮らしている家はもうほとんどありませんでしたから、子供の目にも旧式の家でしたし、冬は寒かった・・・。でもこの家が私は大好きでした。

今、古道具が好きだったり、建築にしても古い数寄屋や昭和モダンのような建物が好きなのは間違いなく。この家から受けた影響です。古いものが持つ安心感やフェイクではない自然素材そのもの豊かさ。仕組みの単純さが持つ飽きのこなさ、祖父から受け継がれているという時間の流れも知っているんです。もちろん新しい斬新な建築も大好きで建築探訪にも行きますし、一人暮らしでマンションにも暮らしたのでマンション暮らしも抵抗感はないですが、根っこはと言われるとこっちだなと思います。

言ってみればこの大好きな昭和初期の家で育ったから、今、住宅をメインとして建築設計事務所を運営しているんだと思います。この家のおおらかさが自身の職業選択へと自然に向かわせたんだと思っています。これはとても幸せなことです。祖父や家を作った大工さんに感謝しています。さて最近も、そのことを改めて感じる機会がありました。今進めている自邸の設計です。進めていくうちにどこかで記憶の再生のようなことをし始めていると思ったんです。普段はクライアントの要望に沿いつつ、専門家としての考えも併せて設計を進めますが、自邸では私が主体となって進みます。そうすると、幼い頃に縁側で寝転んで空や雲をぼーっとよく眺めていた記憶が空が見える窓を求め、平屋の記憶なのか地面に近い1階にリビングを置きたくなる。自室の窓からに差し込んだ朝陽の情景は、リビングの真東に設置した窓に現れる。もちろん懐古趣味の保守的要素満載で家をつくるわけではないので、それらは要素だけを取り込んで新たなデザインになっていきます。でもゼロから設計を考え始めるときに、そうした記憶が手掛かりとなったことに面白さを感じました。記憶を新しい空間にミックスしていくというプロセスも楽しいものでした。よく言えば私小説のような家と言えるかもしれません。

もう一つ、自分が育った家に大きな影響をうけたことで設計の際に願うことがあります。それは設計した家で育つクライアントのお子さんたちにできるだけ楽しく快適に暮らしてほしいという気持ちです。家からポジティブなものを受け取ってほしいなという気持ちです。
なので、数年前から竣工当時小さかったクライアントのお子さんが大きくなり、私のインスタにいいねをくれるようになったのはとてもうれしい出来事でした。なにか気持ちが伝わったんだと思える出来事でとても仕事の励みになりました。




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